第22話 交差する未来
三月の風は、どこか切ない匂いがした。
校庭の桜はまだ蕾のままだが、
季節の気配は確かに、冬を越えて春へと変わろうとしていた。
放課後の教室。
机に並ぶ卒業アルバムの見本を前に、
彰人は手を止めたまま、ぼんやりと外を眺めていた。
グラウンドの向こう。
夕陽の中に、凜音が生徒会の後輩たちと話しているのが見える。
笑顔だった。
でも、心の奥でどこか遠い。
彼女の視線は、もう未来の方を向いているように見えた。
彰人の胸に、ざらりとした焦燥が広がる。
——これでいい。
あいつが前を向いて歩けるなら、それで。
そう思うのに、
心の奥で何かが軋む音がした。
その夜。
凜音は自室の机に座り、封筒を開けた。
白い紙の上には、大学の校章と「推薦合格」の文字。
指先が震えた。
思っていたよりも早く、決まってしまった。
「……東京、か」
小さく呟く声が、部屋の静けさに溶けた。
喜びと、不安と、罪悪感。
胸の奥が、いくつもの感情でごちゃまぜになる。
彰人にどう伝えよう。
彼がどんな顔をするか想像するだけで、胸が締めつけられた。
——でも、隠すのは違う。
あの人の前では、嘘をつきたくない。
凜音は決意を込めてスマホを握り、
彰人にメッセージを送った。
>【明日の放課後、少し話せる?】
すぐに既読がつき、短い返信が返ってきた。
>【ああ、いつもの場所で】
翌日の放課後。
校舎裏のベンチ。
まだ冬の名残を残す風が吹き抜ける。
凜音は封筒を手に、ゆっくりと彰人の前に立った。
「……どうした?」
彼の声は穏やかだった。
けれど、その奥にある緊張を凜音は感じ取っていた。
「受かったの。推薦……東京の大学」
彰人の瞳が一瞬だけ揺れた。
風の音が、会話の隙間を埋める。
「……そっか。おめでとう」
静かな声だった。
ちゃんと笑っているのに、どこか遠い。
凜音は唇を噛んだ。
「ありがとう。でもね……すごく怖いの。
彰人と離れることが」
彰人は目を伏せ、ゆっくりと言葉を選ぶように答えた。
「俺は、応援してる。
凜音が努力して掴んだ場所だろ?
だから、行けよ」
その“行けよ”が、まるで「さよなら」に聞こえて、
凜音の胸が痛んだ。
「応援なんて、いらないよ……」
凜音は俯いたまま、かすれた声をこぼす。
「私、あなたと一緒にいたいだけなのに……
夢を追うことと、あなたを選ぶこと、
どうして同時にできないんだろう」
彰人は何も言わなかった。
その沈黙が、何よりも重かった。
やがて、凜音の肩が小さく震えた。
「ねえ、彰人。
もし離れても……気持ちは、変わらないよね?」
彰人は息を吸い、
そして静かに答えた。
「変わらないさ。
でも……“時間”ってやつは、残酷だからな。
俺はお前を縛りたくない」
凜音は顔を上げる。
その瞳には、涙が光っていた。
「縛ってほしいのに……」
その一言は、風にさらわれるように消えた。
沈む夕陽の中で、
二人の間に流れる空気は、
まるで冬に戻ったように冷たかった。
そして、桜の蕾がひとつ、
そっと開き始めていた。




