第14話 揺れる境界
冬の朝。
会議室の蛍光灯が、やけに白く感じた。
桐島凜音は、生徒会室の長机の端に座り、
資料の束を前にして微動だにしなかった。
副会長の椎名颯太が議事録をめくりながら、
静かに口を開く。
「来月の奉仕活動の件ですが、地域委員から正式に依頼が来ました。
ただ、問題は……参加者の推薦リストに、少し苦情が出ているようです」
「苦情?」
「ええ。外部から見た“学校の印象”を気にしているようで」
椎名の目が、一瞬だけ凜音に向けられた。
その目が何を言いたいのか、凜音はすぐに理解した。
——高瀬くんのこと。
生徒会の活動に彼を推薦したのは、自分だ。
彼の誠実さを見てほしかった。
でも、外部の大人たちは“見た目”だけで判断する。
校内でも噂が広まりつつあり、教師からも何度かやんわりと注意を受けていた。
「……わかりました。再検討します」
凜音はそう言って資料を閉じた。
声が少しだけ震えていた。
“公の顔”で答えながら、“私”の部分を押し殺す。
それが生徒会長としての務め。
そう自分に言い聞かせる。
でも、胸の奥がざらついて痛かった。
昼休み。
屋上には、白い冬の陽射しが差し込んでいた。
彰人が先に来ていて、いつものように弁当を広げていた。
「今日もサボらず来たのか。真面目だな」
「お前に言われたくねぇよ」
そう言いながら笑うその顔が、好きだった。
けれど、今日は笑えなかった。
彰人がふと気づいて眉を寄せる。
「どうした? 顔色悪いぞ」
「……なんでもないの」
“なんでもない”という言葉が、
自分でも虚しく響いた。
「生徒会のことで、少し揉めてて」
「俺のことか?」
その問いに、言葉が詰まる。
否定すれば嘘になる。
でも肯定すれば、彼を傷つける。
凜音は小さく俯いた。
「……推薦リストに、あなたの名前を入れたんだけど……
外から苦情があって」
彰人は少しの間黙っていた。
風が吹いて、彼の髪が揺れる。
「そうか。まぁ、そうなるよな」
その声があまりにも穏やかで、
かえって胸が締めつけられた。
「ごめんね、私が勝手に……」
「違う。お前は悪くねぇ」
「でも——」
「お前が俺を信じてくれたこと、それだけで十分だ」
そう言って微笑む彼の顔が、まぶしかった。
そのやさしさが、痛い。
——どうして、こんなに苦しいんだろう。
好きなのに、心が沈んでいく。
生徒会長としての“正しさ”が、
彼と過ごす時間をひとつずつ奪っていくような気がした。
放課後、職員室に呼ばれた。
担当教諭が淡々と告げる。
「桐島、生徒会長としてもう少し自覚を持ちなさい。
学校の代表が、生徒間の交際で噂になるのは好ましくない」
その言葉は正論だった。
否定できない。
だけど、心のどこかで叫びたかった。
——私は人間だ。
完璧な生徒会長なんかじゃない。
好きになるくらい、自由にさせてほしい。
けれど、唇は動かず、声は喉に沈んだ。
「はい……気をつけます」
凜音はそう答えるしかなかった。
帰り道。
夕暮れの色が街を赤く染めていく。
校門の前で、彰人が待っていた。
「遅かったな」
「先生に呼ばれてて……」
「もしかして、俺のことで?」
凜音はうつむいた。
その沈黙が、すべての答えだった。
彰人は少しだけ苦笑した。
「ま、予想はしてたよ」
「ごめん」
「謝んなって。俺はお前の隣にいられるだけで十分だ」
その言葉が、また痛いほどやさしかった。
彼は何も悪くないのに、
その存在だけが、私の立場を揺らしていく。
だけど。
——それでも、離れたくなかった。
凜音は小さく笑って言った。
「ねえ、私、少しだけ強くなるね」
「もう十分強いだろ」
「ううん。生徒会長としてじゃなくて、“私”として」
彰人が目を細める。
その視線の中に、自分の居場所を見つけた気がした。
公の顔がどう揺らいでもいい。
“私”として、あなたを選ぶ。
その想いだけは、誰にも汚されたくなかった。




