第11話 冬の始まりに
十一月の風は、いつの間にか冬の匂いを帯びていた。
冷たい空気の中で、木々の枝が乾いた音を立てる。
文化祭が終わって一週間。
校舎のざわめきが落ち着き、季節だけが確実に進んでいた。
高瀬彰人は、校門の脇で息を吐いた。
白い吐息がふわりと上がる。
手には、小さな紙袋。
中には、放課後の帰り道で見つけたマグカップがひとつ。
「寒くなると、あいつ、手が冷たいからな」
つい独り言が漏れる。
——桐島凜音。
あの日、屋上で言葉を交わしてから、一週間。
彼女は変わった。
いや、正確には“肩の力を抜けるようになった”。
朝の挨拶に照れくさそうに笑い、クラスメイトの冗談にも少しだけ肩を揺らして笑う。
そのたびに、彰人の胸の奥に温かいものが灯った。
けれど同時に、少し怖かった。
——この距離を壊すことが、もうできないような気がして。
そんな時、背後から声がした。
「高瀬くん、待たせた?」
振り返ると、凜音が立っていた。
グレーのマフラーに包まれた顔は、ほんのり赤い。
制服の上に淡いコートを羽織り、吐く息を両手で温めていた。
「いや、今来たとこ」
そう言いながら、彰人は紙袋を少し持ち上げた。
「これ、文化祭お疲れってことで。……大したもんじゃないけど」
凜音は驚いたように目を瞬かせ、そっと受け取った。
袋の中を覗くと、白い陶器のマグカップが入っている。
縁に、小さな青いリボンが描かれていた。
「可愛い……」
凜音の声が、冬の空気に溶けるように柔らかかった。
「ありがとう。大事に使うね」
彰人は、ただ小さく頷いた。
言葉にできない想いが喉の奥に詰まる。
二人は並んで歩き出す。
放課後の街は薄暗く、街灯が少しずつ灯り始めていた。
風が吹くたびに、凜音の髪が揺れる。
それを見ているだけで、不思議と落ち着く。
「ねえ、高瀬くん」
「ん?」
「私ね、少しだけ自分を好きになれそう」
「……そうか」
「うん。前はね、自分のことが嫌いだったの。
失敗したら誰かを悲しませる気がして、怖くて仕方なかった」
「でも、もう違うんだろ?」
凜音はうなずいた。
「うん。だって、誰かが見ててくれるから」
その“誰か”という言葉に、彰人の胸が静かに鳴った。
——きっと、俺のことなんだろう。
でも、確かめるのが怖い。
その確信を言葉にすることが、壊れそうで。
凜音はふと立ち止まった。
目の前の交差点、信号が赤に変わる。
夕焼けが沈み、冬の夜がゆっくりと広がっていく。
「ねえ、高瀬くん」
「ん?」
「私ね、今、すごく幸せなの」
その言葉に、彰人は一瞬、息をのんだ。
凜音がこちらを見上げる。
その瞳は、冷たい空気の中でもあたたかく輝いていた。
「……それ、俺のせいか?」
「うん」
「即答かよ」
思わず笑ってしまう。
けれど、胸の奥では心臓がうるさいほど鳴っていた。
信号が青に変わる。
二人は並んで歩き出す。
そして、横断歩道の真ん中で、凜音が小さく呟いた。
「高瀬くん、好き」
その言葉は、風よりも静かに届いた。
凜音は顔を伏せて、マフラーに口を隠していた。
耳まで赤い。
彰人は、少しの間、何も言えなかった。
ただ、その背中を見て、心の中に確かな温もりが広がるのを感じた。
——ああ、これが恋なんだな。
「……俺も、好きだよ」
その言葉は、凜音の髪に触れるくらいの距離で、静かに落ちた。
凜音が顔を上げる。
目が合う。
そして、微笑んだ。
交差点を渡りきると、街灯がふたりを照らした。
その下で、凜音の手がそっと彰人の手を探す。
震える指先が触れ、絡む。
「これからも、ずっと隣にいてくれる?」
「離れる気、ないけど」
凜音が小さく笑った。
その笑顔が、冬の夜をやわらかく溶かしていく。
——この瞬間を、きっと一生忘れない。
白い息が二つ、夜空に溶けていく。
ふたりの影は寄り添いながら、長く、長く伸びていった。




