第15話 スイーツ対決
気がつけば、あっという間に四日が過ぎ去り、ついに金曜日――勝負の日がやってきた。
今日はいよいよ、紫藤さんとのスイーツ対決である。
もし俺が勝てば、晴れて雪代さんの家で料理をすることになる。
だからこの日はバイトを休みにして、放課後そのまま雪代さんの家へと向かった。
「――相沢、勝負よ!」
玄関のドアが開き、少し遅れてやってきた紫藤さんが、両手でスイーツの箱を抱えていた。
一度家に戻り、わざわざ持参したらしい。
俺の方はというと、冷蔵庫で保存させてもらっていた自作スイーツを取り出し、仕上げの準備を残すばかり。
「ああ、勝負だ」
「ドキドキ……」
雪代さんは緊張というより、楽しみで胸を弾ませているようだ。
審査員としてただ食べるだけ――羨ましい役割だと思わずにはいられない。
「じゃあ、私から先に披露していいかしら?」
「ああ、構わない」
紫藤さんは箱の蓋を静かに開け、ゆっくりとケーキを取り出した。
現れたのは――なんとホールごとの大作。
「わあああっ!」
雪代さんの瞳が、赤とピンク色の輝きでいっぱいに染まる。
一見すればショートケーキにも思えるが、全体の色合いが明らかに違う。
「フレジェよ。簡単に言えば、フランス版のショートケーキね」
「すげえ……」
その艶やかな姿に息をのむ。
まるで芸術品のように整えられた層、美しく並んだ苺の赤。
正直、このまま店頭に並んでいてもおかしくない完成度だ。
「説明してあげるわ。スポンジはジェノワーズ――要はバターを使ったコクのある生地ね。中はアーモンド風味のカスタードクリーム。でも重くならないように層ごとに変えてあるの。上層はアーモンド寄り、下層はクレーム・パティシエールに生クリームを加えた軽やかな仕上がり。そしてトップにはラズベリーのジュレ。苺は……まあ、見ればわかるでしょう?」
知らない単語が飛び交ったが、理屈抜きで絶対に美味しいと確信できる。
見ているだけで唾液が込み上げてきてたまらない。
「切り分けるわよ」
紫藤さんはナイフを入れ、フレジェを丁寧にカットしていく。
断面の美しさにまた感嘆の声が漏れそうになる。
「はい、アンタの分」
「俺のも?」
「当然よ。自分の作品と比べたいでしょ?」
「まあ……確かに」
それ以上に、単純に口に運びたいという気持ちが強かった。
「じゃあ、どうぞ召し上がれ」
「いただきますっ」
「いただきます……」
雪代さんと俺は同時にフォークを入れ、口へと運ぶ。
ひと口――瞬間、ラズベリーの鮮烈な酸味が舌を駆け抜け、続けざまに濃厚でなめらかなカスタードが広がる。
そして、少しだけ硬めのスポンジが全体を支えることで、バランスが崩れない。
……完璧な一体感だった。
「……どう?」
目を細め、じっと俺たちを見つめる紫藤さん。
答えは考えるまでもない。
「おいひい……っ!」
「うまい……」
甘さに負けないようにと一緒に用意されたコーヒーを口に含むと、苦味と甘味が交互に押し寄せ、いつまでも食べ続けられそうになる。
これは……危険なほど病みつきになる味だ。
「――それじゃあ次はアンタの番よ」
「ああ、少しだけ準備させてくれ。すぐに終わる」
正直、俺の用意したものは春らしさから外れている。
季節感を無視した一品。
味でもきっと敵わないだろう――それでも考え抜いた末に形にしたものだった。
俺は材料を取り出し、鍋でぐつぐつと煮込む。
待つ間に、冷蔵庫に置いていた仕込みを器へと並べていく。
「……よし、こんなもんかな」
煮立ったものを器に流し込み、最後に別で用意していたパーツを乗せる。
桜の花びらを模した小さな飾りが、器の中で可愛らしい存在感を放った。
「こ、これ……なによ……!」
紫藤さんが思わず声を漏らす。
無理もない、少し変わった見た目をしているのだから。
「すごおおおっ。かわいい……!」
雪代さんの言葉が、俺にとっての正解だった。
「――雪だるまのおしるこ、だ」
器の中の熱々のおしるこの上に、練り切りで作った雪だるまを並べてある。
その頭上には、薄桃色の桜が添えられ、春と冬が一つの器の中で寄り添っていた。
「雪だるまは練り切りなんだ。中にあんこを包むだろ? おしるこも同じくあんこだから、相性はいいと思ってさ。それと、おしること言えば餅。だから今回は餅を練り込んだ、ちょっと薄味の練り切りにしてあるんだ。……まあ、実家じゃそんなの邪道だって笑われるかもしれないけどな」
「へえ……」
「食べるのもったいない……」
雪代さんの声は本当に小さくて、けれど弾むような響きがあった。
見た目はできるだけ愛らしく仕上げたつもりだ。女の子はやっぱり可愛いものに心惹かれるはず――俺なりにそう思って作った。
「それと……おしるこって、昔から一年を健康に過ごせますようにって願いを込めて食べられてきたらしいんだ。雪代さん、これから痩せたいって言ってただろ? だから、その願いも込めて……今回はおしるこにしてみたんだ」
「相沢……」
彼女の目が、一瞬だけ大きく揺れた。
プロの和菓子職人なら、もっと繊細で洗練されたものを作れるだろう。俺のは拙い、素人に毛が生えた程度のものだ。
だけど――今日のスイーツは、ただ一人のために作った。雪代さんだけに喜んでほしい。それが俺の精一杯だった。
「ほら、とにかく食べてみてくれ」
「わ、わかった……」
「ふん、仕方ないわね」
二人は同時に雪だるまのおしるこへと手を伸ばす。汁をすくい、可愛い雪だるまを崩さないように慎重に口へと運んだ。
「おいひいっ!! おしるこおいしいっ!」
「……美味しい……それに、あったかい……」
雪代さんは子どものように頬を輝かせ、紫藤さんはじんわりと目を細めて言葉を零した。
洋菓子とは違い、派手さはない。だけど温かさと優しさを感じてもらえたなら、それだけで十分だと思えた。
――そして、両方のスイーツを味わった以上、いよいよ勝負の決着をつける時が訪れる。
「陽依、正直に好きな方を選びなさい」
「雪代さん、遠慮しないでね。思ったままでいいから」
「うん……わかってる」
俺と紫藤さんは黙って雪代さんの答えを待った。
緊張に包まれた沈黙のあと、彼女の唇が震えながら開く。
「……彩女の……ほうが、美味しかった……」
申し訳なさそうに告げられたその言葉に、俺は静かに頷いた。
――やっぱり、俺の負けだ。
でも、それを正直に言ってくれたことが嬉しかった。
俺を気遣って嘘をつかず、真っ直ぐに答えてくれたのだから。
「そうか。ありがとう。……正直、俺もそう思ってるよ。紫藤さんの方が断然美味しかった。食べた瞬間に、完成度の違いを思い知らされたからな」
紫藤さんのフレジェは芸術品だった。俺のおしるこでは到底かなわない。結果は当然のものだと、心から納得できた。
「――ちょっと待ちなさい」
ところが、その場で紫藤さんが声を上げた。
勝敗が決まったのに、納得がいかないとでもいうように、彼女は真剣な表情を向けてきた。
「なに勝手に終わらせてるのよ」
「え……?」
不思議そうに雪代さんが瞬きをする。俺も思わず聞き返した。
「今回の勝負、私の負けよ」
「は、なんでだよ」
自分から勝利を否定するような紫藤さんの言葉に、俺たちは同時に目を丸くする。
「私は……絶対に勝てると思って、全力で美味しいケーキを作ったわ」
「それは……見ればわかる」
「でも、それだけ」
紫藤さんは深く息をついて、真っ直ぐ俺を見る。
「アンタは陽依のことをちゃんと見て、考えて作った。……でも私は、ただ自分が誇れるケーキを持ってきただけ。悪く言えば、陽依のことがまるで見えてなかったのよ」
静かな告白に、胸が詰まる。
――そんなことはない。紫藤さんだって、ずっと雪代さんを気にかけていた。だから見えてなかったなんてありえない。
「でも、美味しかったのは事実じゃないか」
「……食ってね、相手のことを思わなくなったら終わりなのよ。わかっていたはずなのに、私はただ美味しさだけを追い求めてしまった。持ってきたのは自信作だったけれど、それは結局、自己満足に過ぎなかった……。でも相沢、アンタは違った。陽依のことを考えて、可愛らしいデザインにして、そこに意味まで込めた。それは私にはできなかったことよ」
静かに告げる紫藤さんの言葉は、胸に深く響いた。
確かに、彼女の言う通りだ。けれど――逆に言えば、俺はそうでもしなければ勝ち目がないと思ったのも事実だった。
「私は……陽依にアンタみたいな男が近づくのが嫌で、この勝負を仕掛けたのよ」
「…………」
「なのに、蓋を開けてみれば、私の方が陽依をちゃんと見ていなかったなんて。――だから、この勝負はアンタの勝ち。文句ないわね?」
「えっと……それは……」
答えを迷っていると、不意に雪代さんが柔らかい声で言った。
「彩女のケーキ、とっても美味しかった。でも……心が、ぽかぽかしたのは相沢の方だった」
「雪代さん……」
思わず言葉を失った俺を見て、雪代さんは少しだけ首を傾げる。
「でも、ひとつだけ気になる。なんで雪だるまにしたの?」
「それは……雪代さんのラインのアイコンが雪だるまだったから。雪が好きなのかなって思って」
「ふふ……相沢、よく見てる。そう、私、雪が大好きなの」
「そっか……」
ラインのアイコンにするくらい、彼女にとって特別な存在。
俺はずっとそれが頭から離れなかった。あの雪だるまは、雪代さんにとって大切な思い出なんだろうと――勝手に、けれど強く感じていた。
「……陽依のこと、任せたわよ。ちゃんと料理で痩せさせてあげなさい」
「え、それって……」
「私の負けを認めるってこと。だから、アンタがここに通って料理を作るのも許してあげるって言ってるの!」
「し、紫藤さん……!」
「彩女も一緒に、相沢の料理食べよう」
「た、たまになら……いいけど。でも勘違いしないで! 陽依に変なもの食べさせたら、ただじゃおかないんだから!」
「ああ、任せておいてくれ」
「ふんっ……」
ツンとすました態度の裏で、紫藤さんは誰よりも優しかった。
最終的には俺を認めてくれたようで、胸の奥が少し軽くなる。
「今日は相沢もいるし、夜ご飯みんなで食べよう。ユーバーで頼む」
「ああ、いいな」
そうして、三人で相談しながら夕食を注文することになった。
やがてチャイムが鳴り、俺が代表して玄関へと出る。
「こんばんはー! ユーバーでーす!」
ドアを開けたその瞬間――
「に、新川先輩!?」
そこに立っていたのは、まさかの人物。
少し前に自転車のトラブルで助けた、新川新菜先輩だったのだ。




