第11話 前途多難
「でも……雪代さんの、家……?」
雪代さんから今日も指名依頼が来ない――そう思った矢先に飛び込んできたオーダーに、俺は目を疑った。
だが、依頼主の名前は彼女ではない。まったく別の人物だった。
それなのに、ピックアップ先を確認し、さらに届け先の住所を見た瞬間、俺は固まった。
「……雪代さんのマンションじゃん」
どういうことだ? 依頼したのは別人のはずなのに、住所は彼女の家。胸の奥に嫌な予感が広がる。
けれど、指名依頼は断りにくいし、インセンティブも少しつく。ここで躊躇するのも変だろう。
俺は気を引き締め、自転車のペダルを踏み込んだ。
向かった先は、有名フライドチキンチェーンの店舗。
受け取った袋の量を見て、思わずため息が漏れる。いつも通りの大量注文。……まあ、雪代さん関連の依頼は儲かる。俺の生活費を支えているのは間違いなく彼女だ。
大量のチキンを抱えて、雪代さんの住む高級マンションへ。エントランスを抜け、エレベーターを上がり、インターホンを押す。
「……あれ?」
反応がない。
と、その時、スマホが震えた。雪代さんからのメッセージ。
『今トイレ。鍵開けてあるから入って』
え、入っていいのか……?
躊躇はしたが、本人の許可だ。ドアをそっと開け、袋を抱えたまま廊下を進む。
――その時。
横の扉が不意に開き、影が俺の前を横切った。
そして、トイレの扉に駆け寄り、ドンドンと叩きながら叫んだ。
「ちょっと陽依! タオルないじゃない! どこに置いたのよ! これじゃ体拭けな――」
その声が途中で止まった。
俺と、彼女の視線がぶつかったからだ。
鮮やかな金髪ツインテール。西洋人の血を思わせる整った顔立ち。雪代さんに並ぶほどの美少女――だが、問題はそこじゃない。
タオルがない、という彼女の言葉通り、全裸だった。
「…………」
互いに一瞬で凍りつく。
視界には濡れた果実。
俺はなぜかそれを口ずさんで――
「さ、さくらんぼ……」
「ぎゃああああああああああああっ!?」
絶叫とともに彼女は飛びかかってきた。
両手がふさがっていた俺は避けることもできず、右ストレートが頬に炸裂する。視界が一瞬白くなり、チキンの袋がガサリと揺れた。
――こうして、俺は雪代さんの家で謎の金髪美少女に殴られる羽目になった。
「――相沢、バイトお疲れさま」
リビングに移動し、雪代さんがねぎらいの言葉をかけてくれる。
だがその隣に座る金髪ツインテールの少女は、雪代さんの腕にぴたりと寄り添い、今にも殺しそうな視線を俺に突き刺していた。
殴られた頬が、まだジンジンと熱い。
「ねえ陽依。今すぐ殺していい? 百回じゃ足りないわ。私、人生ではじめて男に裸を見られたんだけど。キッチンに包丁あったわよね?」
「彩女。裸のまま出てきちゃダメ」
「っ……! 陽依がタオルを変な場所に置いておくからでしょ!」
……見たくて見たわけじゃない。不可抗力だ。
けど、そんな言い訳が通じる相手じゃなさそうだ。
「……君が、俺に指名依頼をしたのか?」
「そうだけど? てか勝手に喋らないで。殺したくなるから」
「不可抗力だってば……!」
「それで許されると思ってるの?」
険悪な空気の中、テーブルの上では雪代さんがフライドチキンをバクバク食べている。妙にギャップのある光景だ。
「で、結局誰なんだ……?」
「私は紫藤彩女。アンタと同じ氷誠学園、一年C組」
「……同じ学校だったのか。俺は相沢悠希、一年A組だ」
どうやら雪代さんの友達らしい。しかも同い年。
けれど、俺を見る目はやはり敵意そのものだった。
「いい? 陽依はただのモデルじゃない。とんでもない人気と価値を持った人なの。アンタみたいなバイト男がプライベートに踏み込んでいい相手じゃないのよ」
「……そんなこと、俺だってわかってる。でも、俺もどうしてこうなったのか正直わからない。ただ、雪代さんが俺を頼ってくれるなら、それを無視するのも違うと思う」
俺がそう言うと、紫藤さんは一瞬だけ黙り込んだ。
けれど、次の瞬間にはまた睨みを強める。
「……それで? アンタ、これからは料理まで作る気なの?」
「食べたいけど痩せたいっていう雪代さんの希望だからな。少しでも協力できるなら、と思ってる」
「本当にできるの?」
「実家が料亭だから。子供の頃から厨房を手伝ってた」
「……料亭、ね。じゃあ和菓子も?」
「多少な。日本料理に甘味はつきものだから」
「ふーん……」
紫藤さんのその反応、が少し気になった。
もしかして、と思ったのだが……
「彩女の家はケーキ屋さんだよ。すごく美味しいの」
「陽依っ! なんで言うのよ!」
「……ケーキ屋? ってことは、洋菓子方面か」
途端に彼女の雰囲気が変わる。
なるほど、甘いもの好き。しかも菓子屋の娘。……意外と似たような環境で育ってきたのかもしれない。
「私とスイーツ勝負よ! それでアンタが負けたら、陽依に料理を作るのはやめなさい!」
「は……もし俺が負けたら雪代さんのカロリー調整はどうするんだよ」
「それはアンタが負けてから考えるわ!」
「ゆ、雪代さんはそれでいいの……?」
「うーん。相沢の料理食べてみたいけど……彩女はこうなったら止まらないから……」
自信満々の紫藤さん。どうやら逃げ道は用意されていないらしい。
こうして、俺は雪代さんの友達である紫藤彩女と、謎のスイーツ対決をすることになった。
わけのわからないスイーツ対決に巻き込まれたものの、その後どうするのかなんてまるで決まっていなかった。
けれど――紫藤さんが俺をこの家に出入りさせたくない、その気持ちだけははっきり伝わってきた。
「でも俺、材料なんて持ってないぞ。それに、費用はどこから出すんだよ」
「料亭から余り物でも分けてもらえばいいじゃない」
「……そんな簡単にいけば苦労しないよ」
「ふーん。じゃあ必要なものをリストにして。私が揃えてあげるから」
「えっ……本当に?」
「別に、お金には困ってないから」
あれ? 紫藤さんの家のケーキ屋って、そんなに儲かってるのか?
ケーキ屋といえばそこまで儲かっているイメージがないんだが……複数店舗でも持ってるのか?
……まあ、集めてくれるならありがたい。助かるのは事実だ。
「じゃあ、頼むよ」
「決まりね! もちろん陽依が審査員よ! どっちのスイーツが美味しいか、しっかり判定して!」
「頑張って食べる……! 今から楽しみ……!」
「勝負は一週間後。ゴールデンウィーク前、最後の金曜日にしましょう!」
「わかった。受けて立つよ」
こうして、俺と紫藤さんのスイーツ対決は正式に決まった。
……ただ問題は、俺にはスイーツを作るための道具が一つもないこと。
材料は紫藤さんが用意してくれるとしても、器具なしじゃはじまらない。
「相沢、この部屋のキッチン使っていいよ。誰も使ってないから」
「え、マジで? いいのか?」
「うん。引っ越してきた時に、色々揃えたけど……一度も使ってない」
「そりゃありがたい! めっちゃ助かる!」
「ぐぬぬ……! アンタが準備のためにここへ来るのは……仕方ない。今回だけは特別に許してあげるわ」
紫藤さんなら、きっと家のケーキ屋で自由に練習できる。
だが俺は違う。狭い部屋にオーブンなんて置けないし、設備が整った環境はありがたすぎる。
「とりあえず、必要な材料が決まったら連絡して。私のラインに送って」
「……あ、ああ。わかった」
気づけば自然と紫藤さんと連絡先を交換していた。
なんだかんだで距離が近づいた気もするけど……気のせいだろうか。
「……で、アンタ。私の裸だけじゃなくて、陽依のパンツまで見たって聞いたけど。来世はもうないと思いなさい」
「今それ言うぅぅ!?」
ツインテールを揺らしながらジト目で睨んでくる紫藤さん。
殴られた頬がまた疼く気がした。
本当に、この人との関係は前途多難だ。
雪代さんとは少しずつ仲良くなれている気がする。
――でも紫藤さんとは、仲良くなれる未来なんて来るのだろうか。




