第7話 「美しい国」~壊れた心、新たな犠牲者~
ヘレナたちは街の中へと戻り、しばらく物思いにふけっていた。
「お姉さん、観光ですか?」
背後から声をかけられ、ヘレナが振り向くと、街角に一人の若い女性が立っていた。服装から髪の分け
目、目元に至るまで整った容姿。常に微笑みを湛えているその顔は――どこか、焦点が合っていないよ
うに見えた。
(……もしかして)
「はい、旅をしていて。……ちょっと、気になることがあって。考え込んじゃってました。整美院って、
行かれたことありますか?」
女性の笑みが一瞬だけ止まり、すぐに再び口元に浮かぶ。
「はい。私は、矯正済みです」
まるで機械のような、乾いた返答だった。
「怖くは、なかったですか? 昨日男性が連れていかれてしまうのを見たのですが、とても怯えていた
ように見えたので」
ヘレナが問いかけると、女性はゆっくりと笑みを深めた。けれど、その笑顔には、どこか筋肉の命令で
作られたような不自然さがあった。
「怖がる必要なんてありません。美しくなかった私を整えていただけたのですから。私は、もう間違え
ません」
「……間違え、ですか?」
女性は少しだけ黙り込んだ。だが、その間も笑顔は崩れない。
「ええ。私は今、美しく過ごせていますから」
ヘレナは言葉を返せなかった。胸の奥に、冷たいものが広がっていくのを感じた。
女性と別れた直後、近くでそのやりとりを見ていたのか、年配の男性がにこやかに声をかけてきた。
「お嬢さん、旅の人かね?」
「ええ、ちょっと立ち寄ってみました」
「そうかいそうかい。じゃあ、整美院はちょっと驚いたんじゃないかな?」
ヘレナはうなずいた。
「はい……何となく、少し怖くて」
老人は笑いながら、どこか懐かしむように言った。
「慣れないと、そう見えるかもしれないね。でもね、あれがあるから、この国は落ち着いるんだよ。自
由ってのは聞こえはいいけど、みんな好き勝手にしすぎるんだ。服装、言葉遣い、振る舞い……全部だ」
「でも、さっきの女性……どこか、心がここにないような気がして、ちょっと心配で」
「何を言ってるんだ。外見や言葉が整えば、中身も自然と変わってくる。今じゃ争いもほとんどない
し、皆が穏やかに暮らしてる。これ以上の“正しさ”なんてあるかね?」
(……正しさ、か)
ヘレナは目を伏せた。隣ではルカが、ぴくりと耳を動かしている。
そのときだった。
カラン――
乾いた音がして、誰かが転んだ。
向かいの石段で、小さな袋を落とし、地面にうずくまるおばあさんの姿が見えた。
「っ……!」
鈍い音。
ざわめく群衆。
しかし――誰も、動かない。
まるで、“助ける”という選択肢が、頭に浮かばないかのように。
彼らは、ただ整った笑顔で、状況を見ている。
「見なさい、服が……」
「仕方ないわね、もうお年寄りなのだから……」
「見てはいけない、汚れてしまう」
誰かが囁いた。
その声は、誰も手を差し伸べないという事実の上につもり、より冷たく響いた。
ヘレナはためらわなかった。
石畳に膝をつき、ドレスが汚れることも気にせず、おばあさんのそばにしゃがみ込む。
「大丈夫ですか?」
答えはなかった。
けれど、おばあさんの目が、震えていた。
この国で、犯してしまった“罪”に怯えているようだった。
「少し待って」
ヘレナは両手を重ね、光を込める。
白銀の風のように、淡い輝きが彼女の掌から溢れた。
光はおばあさんの傷口に静かに触れ、滲んでいた血が吸い込まれるように消えていく。
「……すごい……なに、あれ……」
それは、通りすがりの一人の少女の声だった。
その目は、怯えと驚き、そして……どこか、心を奪われたような光をたたえていた。
「不美な行為だ。」
「矯正兵を!」
その声に応えるように、甲冑の足音が近づいた。
二人の兵士が現れ、無言で槍をこちらに向ける。
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