第5話 「美しい国」~揃いすぎた笑顔たち~
ヘレナはカフェのテラス席に腰を下ろし、ケーキを一口、静かにお茶を飲みながら周囲を見渡した。
それはどこを見ても整然としていて、眩しいほどに美しい世界だった。
けれど、なぜだろう――
(……ちょっと落ち着かないかも)
自分の動き一つひとつに、誰かの視線がついてくるような気がした。
人々の笑顔も、どこか揃いすぎていて。
言葉の端々には、決まりきった何かが漂っていた。
ヘレナはその違和感に、まだ言葉を与えられずにいた。
次の日、ヘレナは再び街を歩いた。昨日食べたケーキ屋さんが美味しくて、今日は別のケーキを目当てに訪れていた。
「今日は何にしようかな……。昨日のラズベリームースも捨てがたいし」
「でも、あの金木犀のプリンってのも気になってたでしょ」
「うん、全部食べられたらいいのに」
ルカとのそんなやりとりに笑いながら、二人はまた石畳を歩き出す。
そのとき、どこからかぴしゃりという音と小さな叱声が聞こえてきた。
「ほら、立ちなさい。そんな姿、美しくないでしょ」
広場の端。幼い女の子が膝をつき、泥のついたスカートを見つめながら、泣きそうな目で母親を見上げていた。
だが母親は、自分の服が汚れないように距離を取り、ポーチからハンカチを取り出すと、表情を変えぬまま娘の服を手早く払いはじめた。
「どうして転んだの? 姿勢が悪かったんじゃないの。ほら、泣いていたら美しくないわよ」
その声は、叱るというより、まるで形を整えるかのようだった。
女の子は、涙をこらえながら、震える口元を懸命に引き上げていく。
……まるで笑顔さえも、美しさの型にはめようとしている。
「……なんだか、あれも“美”のためなんだね」
ヘレナがぽつりと呟くと、ルカは耳をぴくりと動かした。
さらに歩いていくと、ふと通りの向こうから声が聞こえてきた。
「違うんです、わざとじゃ!」
若者の声だった。着崩れた服装の青年が、二人の兵士に両脇を抱えられて連行されていく。
「見苦しいぞ。その服装は基準違反だ」
「そんな……ただ洗濯が間に合わなかっただけで……っ」
ヘレナは立ち止まり、その様子を見送った。
兵士の背筋はきっちりと伸び、青年の抗議は通りの空気に吸い込まれていった。
「あの人も、整美院へ連れて行かれるのかしらね」
すぐそばで聞こえた年配の女性の声に、ヘレナが振り向く。
「整美院って?」
「ああ、あなたたちは旅の方ね。この国には、基準を乱す者を正す“整美院”という施設があるの。簡単に言うと矯正される場所ね。外から来た人でも、あまりに見苦しいとそこへ送られることもあるのよ」
女性はそれを“当然の仕組み”とでも言うように、静かに語った。
ヘレナは眉をひそめながら尋ねた。
「どんなことをする場所なんですか?」
女性は一瞬、言葉を選ぶように口を閉ざした。
そして、まるで周囲を気にするように視線をさまよわせてから、小さな声で言った。
「行った人にしか分からないけれどね……。戻ってきても、誰も整美院のことは話さないの。でも皆、まるで別人みたいになってしまっていて……」
その人は少しだけ目を伏せ、手元をぎゅっと握った
「でも皆、言うの。“ちゃんと綺麗にしていれば、大丈夫だった”って。私も、そう思おうとしてるの」
ヘレナはしばらく黙って女性の表情を見つめていた。
ルカがヘレナの肩で身じろぎをした。
『ヘレナ。たぶん、見た目よりずっと根が深いよ、この街』
ヘレナは言葉を返せず、その場にしばらく立ち尽くしていた。