族長(ニエシンガウォサ)
入ってきたタカンガリは、わたしの側に背の低い椅子をもってきて、そこに座った。
おそらく、ここは彼の家だろう。そして、さっき来たイナンダという女の子は、彼の娘だ。
既婚者だとは知らなかったが、彼の年を想像してみれば、世間一般では二児くらいの父になっていてもいい年齢だ。わたしでも、あと少しすれば結婚適齢期に入る。そんな気は毛頭ないけれども。
そもそもそれを含める、ありとあらゆることが嫌で、ここまで逃げてきたのだ。
「ヨヒャアサ。ヨヒコモリニャリヒ?」
ゆっくりと、タカンガリが口を開いた。
こくりと首を縦に振る。
「ソパイミンズィ」
彼の顔に優しい微笑みが浮かぶ。しかし、どこか、ぎこちないような。
「サラニ、ファンガミ、ヒコエサセタマペ」
何かの言い回しか。意味がはっきりしないけれども……自己紹介、という事だろうか。一度したはずだが、改めて、ということかな?
「ファンガナパ、タカンガリ。コンガサトンガ、ウォサニャリ」
『サトンガ』……これは良く分からない。
しかし、ウォサは確か……何かの指導者や優れたもの、というのを表す言葉だったかな。
つまり、この集落か何かの指導者、ということだろうか。
そんなたいそうな立場だったとは。そうか、だから、外から何人もの人が、彼についてきているのか。その人々は、今でも外で、何やら話している。小さい声な上に、異言語の言葉なので、ほとんど意味を読み取れない。
「コパ、ロフーユ。ソコンバク、タンドゥネマホスィヒ」
単刀直入だな。
別に、どうという事はないけれども。
こくり、とうなずくと、彼が口を開く。
「ナパ、インドゥフヨイヒタリャ?」
――ああ、そう言う。
彼がそれを言うときに、わたしの髪を一瞥した。
そうか。ここまで逃げてきても、その影からは逃れられないのか。
本来、自然にはあり得ない、青い髪。
その起源は一つしかない。
それこそが、わたしが逃げてきて、離れたいと思った場所。
それなのに、その髪によって縛られている。
おもわず、ふぅ、と口からため息がでる。
三〇〇〇ディーも離れた故郷の幻影が、まだ残っている。
魂に刻みつけられたこの髪の毛は、どれだけ変えたくても、死ぬまで変えられない。わたしの子どもなら、そこから逃れられるかもしれないが。
小さい頃は羨望を覚えた故郷が、今は自身にいつまでもつきまとう、大きく無為な影だ。
わたしは首を左右に振った。
答えたくない。
ここまで逃げてきたのだ。少しでも脚を掴まれてたまるか。
「ソパヤ……」
そもそも聞かれている時点で、彼にはかなりのところまで感づかれているだろう。
だが、わたしは言わない。言いたくない。
あそこはもう。
タカンガリは納得したような顔で、大きく頷いた。
「ファラ、コトオポフヒカンドゥ」
少し間をおいて、言葉を続ける。
「ファラナウォタスケマポスィ。ナパ、インドゥクニ、ユカマポスィ?」
質問の意図は汲めない。
が、親切にわたしを追求することをやめてくれたお礼に、答えなければなるまい。
慣れない口を動かして、簡単な言葉で、率直に言う。
「トポヒカタ二。コナランドゥカタニ」
彼はふたたび大きく頷いた。
「トモニホソ」
理由もきかず、彼は了承した。
つい一昨日あったばかりの友達は、実に親切だった。
今は分からないその理由。
それを知るのは、それなりに後のことになる。
彼らが、わたしの正体を知るのも。