友達(ホウイウ)
「サマスィ。コノピメ、イヒタリャ」
「スィカレンド、コアヨヒ」
どう頑張っても耳に慣れない言葉による会話が聞こえる。
わたしの言葉と比べて似ても似つかない。雅な発音を持つわたしの言葉と比べて、するすると口から音が漏れ出るように、この言葉は話されている。
それを耳にしながら、わたしは馬車に揺られていた。
ガラガラと、雪の上でから回る車輪の音。典型的な古びた荷台の上で、ローブに体をくるんでいた。
このローブは、最初からわたしが着用していたものと同じだ。ただし、肩の部分が上から布のようなものでガチガチに止められている。つまりやっかいなことに、わたしはこのローブを自分の意思で脱ぐことはできなくなっていた。まあたぶん、布をとったとしても、矢を射られたときの血が固まって、どのみち脱ぐことはできなくなっているだろう。
というか、こんな衛生状態じゃ、そのうち右腕が壊死するんじゃないか。早めにどこかの教会に行ければいいんだけども。
視界を左に向ける。
二人の背があった。この馬車を操縦している、二人の背だ。
一人は背が高く、もう一人は背が低い。親子にも見える。
その背の低いほうが、ちらりとわたしのほうを見る。
わたしと目が合った瞬間、さっとすぐに顔を戻した。
すこし幼さの残る、しかし大人らしい部分もある顔だった。わたしより少し上くらいの年の男性だろうか。
背の高いほうのもう一人が、低いほうの後にわたしを振り返る。
わたしを助けた狩人だった。
その二人の顔つきはどこか似ていて、血のつながりを思わせる。家族や兄弟かとも思ったが、鼻が長く目が大きいその顔つきは、もしかすれば、ニエシという民族の特徴なのかもしれない。
「スィカレンド、コノピメンガナ、ナパスィエリ?」
背の低い男の方が、狩人に何かを聞いた。
今のは、少し聞き取れた。
『この女の名前を知っているか?』と聞いた、と思う。
困ったことに、知識の書である程度言葉を引き出しても、それを聞き取れなければ意味はない。生まれて初めて聞く他言語だからか、耳から入ってもすぐに抜けていくような感覚がする。これもするすると話す、この言語の特質のせいだろうか。
「マオトヤ。タメスィナヒ。ヒカミャ?」
狩人が男にそう返す。
もう全然聞き取れない。わたしとしゃべるときと違って、話す速さも、言葉の長さも段違いだ。流れるように、ほんとうにするすると話す。
わたしと違って、それを理解できたらしい背の低いほうの男は、すこし顔をしかめたように見えた。顔の端しか見えないので、断定はできないが。
「ナウォタドゥヌルコトパ、ヨンバイニャリ」
今度は抗議をするような口調。
何か会話の中で不備でもあったのだろうか。
しかし狩人は軽い調子で、背の低いほうの男に返す。
「ヨソノピメナレンバ」
「スィカレ――――」
男が抗議の口を開くが、狩人はそれを遮るように、わたしに顔を向けた。
「ソンガ、ナパ?」
それは、しっかりと聞き取れた。わたしのために、ゆっくりと話しかけてくれる。
わたしの名前を聞いている。
名を聞かれれば、答えないわけにはいかないが、引っかかるのは、背の低いほうの男がそれを止めようとしていることだ。
しかし、名乗るのをためらっても仕方がない。
それにこちらも「狩人」と「背の低いほうの男」と呼ぶのはすこし疲れる。
「ロフーユ」
わたしは自分の名を口にした。
本名はもう少し長いが、彼らに名乗るのにはこれで十分だろう。
「ロフーユ?」
狩人は訊き返した。
「うん。ロフーユ」
「ロフーユ。ヨキヒナナリャ」
微笑んで、彼はそういう。
「サレンバ、ファンガナパ、タカンガリ」
今度は彼が名乗った。
タカンガリ。意味も何も分からなし、耳になじみもないけれど。
ようやく、命の恩人の名前を聞くことができた。
「タカンガリ」
わたしはその名前を復唱する。
「ウォ。タカンガリ」
狩人、いや、タカンガリは、力強くうなずいて見せた。
「サレ、コパ、トインガリ」
タカンガリが、横の背の低いほうの男を親指で指さす。
「トインガリ」
その名前も復唱する。
「タカンガリ。トインガリ」
二人の名前を、そうやって呼ぶ。
覚えるために。脳にしみこませるように。
わたしを助けてくれた、二人の名だ。
「ロフーユ」
彼が、わたしに手を伸ばして来た。
「……?」
なんの意味か分からない。
わたしが首をかしげていると、タカンガリはすこし呆気にとられたような顔をする。
「タカワスィ。スィアズヤ?」
……タカワスィ?
「タウォニグゥベスィ」
背の低い男、トインガリが、横から説明をしてくれる。
言われた通り、手を握る。
それが、このニエシの人々の挨拶なのだろう。
郷に入らば郷に従え。
彼の大きな手を、わたしは握った。
皮が厚くて、ぎっしりとして、わたしの手を包み込むような大きな手。
「わっ」
タカンガリが二度、手を上下に振った。
何をしているのか理解できず、小さな声を上げてしまう。
そんなわたしを見て、彼はにこりと微笑んだ。
「トモニホソ、ロフーユ」
ふたたび、そういってくる。
わたしは、こくりと首を縦に振った。
「うん。ハシュコイ。サランバ、トモニホソ、タカンガリ」
わたしに初めての、異民族、異言語の友達ができた、その瞬間だった。