狩人(マンダンギ)
どこか深いとこから浮かび上がるように、意識が戻ってくる。
本能的にわたしはそれを拒んだ。
痛い。
痛い。
何もかもが。
頭が。肺が。体中が。
燃えるように、すべてが痛い。
人生で初めて経験するほどの、最悪の目覚めだ。
ただ心臓だけが冷え切っていて、小さくわたしの胸の中で脈打っている。
その小さな鼓動に合わせて、わたしの頭は相反するように激しくうなり、起きろ、起きろと催促しているかのようだった。
「――――げほっ! ごほっ がっ……!」
激しくせき込みながら、わたしの意識は覚醒した。
「――ごほっ、げほっ!」
咳が止まらない。自分の体が自分のものではないかのようだった。
まるで肺を直接殴られているみたいだった。そして咳込みとともに、頭も一緒にズキンズキンと痛む。
止めようとしても止められない。
地獄のような連鎖を、わたしは永遠にも思える間、つづけた。
「――――はぁ、はぁ、はぁ……」
それがようやく収まると、わたしの体はすでに憔悴しきっていた。
しかし、わたしの五感はすこしずつ戻ってきているらしかった。
ぼやけてはいるが、視界が回復してくる。
これは――――焚火だろうか。目の前で揺らめく光と、焼けるにおいと、パチパチとはじける音。
視界を上に向けてみると、今は夜らしかった。降っていた雪はすでに収まっている。
わたしが今背にしてもたれかかっているものは、何かの丸太だろうか。
なんとも幸運なことに、わたしは誰かに助けられたらしい。誰か親切な人が、盗賊に襲われたわたしの命を救ってくれた。
どうやら今確認できる範囲にはいないらしいが、その人が戻ってきたときには、お礼を言わなければなるまい。
その人を探しに行きたいくらいだが――――体が全く動かない。かろうじて眼球が少し動かせる程度だ。
体が鉛のように思い。首すらも動かせない。かろうじて、指先を動かせる程度だ。
わたしの体は、かなり重症らしい。死の一歩手前、と言ってもいいくらいなのかもしれない。
腕を上げることができれば、体力を少し回復させるくらいの術は仕えたかもしれないのだが。まあ、こんな体力では、腕が動かせたとしても、術に体が耐えられないだろう。
それにしても、声くらいは出したいものだけれど。
顎は動く。口は開ける。
「誰か……」
そこまで行ったところで喉につっかえた。喉に全く水分がなかった。
口の中がカラカラだ。どれだけ長く眠っていれば、声が出せないくらい喉が渇くのだろう。
ごくり、となんとか絞り出した唾液を飲み込んで、再び口を開く。
「誰か、いませんか」
大きい声を出すことは全くかなわなかった。
まったく肺炎にでもかかっているのか、肺を膨らませるだけでも激痛が走る。肺の中に砂でも入っているのか。
そして声を出すにも頭が痛む。
「誰か、いませんか」
同じことを口に出す。
誰もいないはずがない。すくなくとも、ここに火をともした誰かが近くにいるはずなのだ。
がさり、と近くで音がする。
これは植物をかき分ける音か。ということは、ここは森か草原の中のどこかなのかもしれない。
まだ回復しない視界のせいで、確かめることはできないけれども。
しばらくして、足音が聞こえた。
人間の、二本足の足音だ。
よかった。誰かいる。
その事実だけで、すこし気が楽になった。
ざっ、と雪を踏む音とともに、わたしのぼやける視界の端に、足が映った。
その人が、何か言葉を発する。少し焦ったような声だった。
眼球しか動かせないので、腹の部分までしか見えないが、何かしら動揺しているのだろう。
しかし、参ったな。何を言っているのかわからない。
その人がかがみこんで、わたしの顔をのぞき込む。
ぼやけた視界によると、強面の男の人だった。顔のあちこちに古傷のようなものが見える。どこかの狩人なのだろう。
なにやら焦った顔で、わたしにいろいろ話しかけてくれるが、残念ながら、わたしはその一つも意に介さない。
どうやら、言葉も伝わらないほどの狩猟採集民に助けられてしまったようだ。
だが、少なくとも、悪い人ではなさそうだ。わたしを助けてくれたのだから。
「ウエニャアラム?」
その人がまた一言何か発する。
それが文章なのか、それとも単語なのか、検討もつかない。
ひとしきり何かを話した後、その人は困ったようにわたしから背を向けた。
気分を損ねてしまったのなら申し訳ない、とでも言えればいいのだが。
その人が、何かごそごそと焚火の近くで作業をはじめた。
そしてしばらくして、振り返ってわたしに何かを差し出してくる。
お椀とそこに入ったスープ、そしてスプーンだった。
その人が片手でそれを指さし、また話し始める。
「コレパミタマペ」
わたしにこれを食べろと言っているのだろう。
しかし、今は体が動かない。
指先すらまともに動かせるか、というレベルなのだ。
「ごめんなさい、体がうごかない……」
そう言うと、疲弊しきったわたしの声から察してくれたのか、その人がスプーンですくい、わたしの口元まで運んでくれる。
「ありがとう……」
そういって一口、スープをいただいた。
あたたかい……けど、あんまりおいしくない。
具材はたぶん、肉と野菜。
たぶん、狩ったばかりの獣肉とそこら辺の山菜だろう。味付けはなし。
宮廷料理に慣れたこの舌にはものすごい厳しい味だ。味をほとんど感じ取れない。
いや、もしかすれば、わたしの味覚がマトモじゃない可能性もある。
とりあえず、ほとんど味のしない具材を咀嚼して、スープと一緒に飲み込んだ。
「う゛っ」
一瞬、吐き出しそうになる。
しかしこらえた。喉に渾身の力を入れて、胃に流し込む。
スープひとくちもまともに飲み込めない体になってしまったか。
すでに口の前に差し出された二口目を、口を開けていただく。
二口目はうまく飲み込めた。
一口ごとに、だんだんと味わえるようになってきた。ほのかに、肉と山菜の味を舌で感じられる。
そんな感じで、スープを一杯食べ終わった。
暖かいスープのおかげで、すこし体に活力が戻ってきた気がする。
「ありがとう」
伝わらないだろうが、感謝を述べなければ気が済まない。
「サラニャハム?」
空になったお椀と、焚火の前にある鍋を交互に指さして、その人が聞いてくる。
まだ食べるか、と聞いているのか。
首を横に振る。
スープのおかげか、体が少しずつ自由に動くようになってきた。
首を横に振るの行為が否定を示すという文化がこの人にもあったらしく、おかわりは出てこなかった。
「ふう……」
食後のせいか、少し眠たくなってきた。さっき目を覚ましたばかりだというのに。
しかし、今回は、気絶ではなく、心地のいいまどろみだ。
それに抵抗することもなく、わたしは意識の緒を手放した。