逃走(イグーオソ)
三日だ。三日経った。
わたしがニエシの人々に助けられて、三日が立っている。
いや、タカンガリにたすけられた日も入れると、四日ほどだろうか。
気を失っていた時間も含めれば、もっと。
そして、わたしが知識の書を開いたのも、タカンガリにたすけられた夜、四日前のこと。
たったの四日で、彼らはやってきてしまえるのだ。わたしがやっとの思いで、逃げてきた三〇〇〇ディー先のこの場所へと。
自分がかつて居て、もしかすれば支配する立場となっていた場所の実力を、わたしは把握していなかった。
体全体を焦燥感が襲っている。
お腹の底が冷えて冷えて、しょうがなかった。
ローブの両端をつかんで、できるだけ体を隙間なくくるむ。
体全体が、小刻みに震えていた。
「ロフーユ、来たよ!」
頭上から、イナンダの声がする。
見上げると、そこには、縦長の大きな馬の顔と、青空と、イナンダののぞき込む顔があった。
真っ白な毛を持つ馬。
巨大な馬だ。わたしの知っている者よりも、ひとまわりも二回りも大きい。首や脚が比べ物にならないほどに太く立派で、蹄のまわりには、寒冷地に適応したためか、深い毛が生えていた。
そして、裸馬だった。わたしが知っている、馬に乗るときに必要な道具は何もついていない。
鞍どころか、手綱まで。
平気そうな顔でその上に乗っているイナンダは、馬のたてがみをつかんで心ばかりの視覚的な安定を保持していた。その馬に乗れている要素のほとんどは、彼女の体幹と脚の筋肉によるものだろう。
ひゅいーっ、とイナンダが、指も使わずに大きな音で口笛を吹いた。
するとたちまち、馬は四つの脚を折って、わたしの前に膝まづく。
「乗って、ロフーユ」
イナンダが、自身と馬の首の前に空間を開けて、わたしを催促した。
「ありがとう」
立っている状態では、わたしの頭の上にあった馬の背が、伏せてくれたことでずいぶんと乗りやすくなっていた。この高さに、イナンダはどうやって一人で乗ったのだろうか。
近い年でも、わたしより何倍も強かな女の子なのだろう。
わたしはイナンダの前に乗り、そしてイナンダはわたしの後ろから手をまわして、馬のたてがみの後ろっかわを握る。
「ロフーユ、握って」
「うん、ありがとう」
ひゅーっ、とまた口笛が鳴った。最初とは少し違うリズムの音だ。
「うわわっ!」
すると、馬が途端に、脚を伸ばして立ち上がる。
ふんばる鐙もない。イナンダが後ろから体で支えてくれていなければ、転がり落ちていたことだろう。
「両脚で、しっかりこの子の体を挟んでね」
言われた通りにする。
が、わたしの貧弱な脚力で、一体どれくらい役に立つだろうか。
「いくよっ!」
ヒュィヒューッ、と特徴的な口笛が、頭の後ろから聞こえた。
馬が発進した。
生まれて初めて、鐙も鞍も手綱もない状態で馬に乗った。
そんな馬が、急に襲歩で走り始めたとしたら、どうなるだろう。
答えは落馬する、だ。誰でもわかる。
「ロフーユ! がんばって!」
ずるっ、右へと滑り落ちそうになったわたしの体を、がしっ、とイナンダは片手でローブのフードをひっ掴み、起こしてくれた。
「ご、ごめんっ」
襲歩の馬から落馬したらどうなるか、その恐怖に心臓が高鳴りながら、わたしは全力で脚で馬の胴体を絞めつけた。
それにしても、鐙も何もない状態で、わたしの体を引っ張り上げるとは。わたしとこのかわいらしい女の子の間には、どうやら天と地ほどの身体能力の差があるらしい。
「テーリン山までは、たぶん、一吹きくらい、だと思う!」
一吹き。それは、ニエシの人々が使う、唯一の距離的な単位だ。
それは曖昧なもので、だいたい、口笛が届くぎりぎりの距離、という事。
つまりだいたい、十ディーくらいだ。
視線の向こうに、堂々とそびえる――――
ハンファクール帝国、わたしのかつて居た場所と、その外を隔てる、大陸最高峰の山。
テーリン山までは。
作中に出てくる距離とキロメートルの変換対応がよく変わったりしててすみません。
一ディーが4キロなのか、500メートルなのか、300メートルなのか、作者の中でも混乱しています。
確定したら、まとめて直します。今のところ現時点では、一ディーはだいたい300メートルくらい(のつもり)です。




