第九十二話 市街戦
スパイダーとの取引を終えて、ソジュンとシンユーは廃病院を後にした。旧市街に夕暮れが迫っている。振り返って見ると廃病院の不気味さが一層増していた。運転をしているソジュンを横目にシンユーがぼやいた。
「相変わらず陰気くさい野郎だな。オスカルは」
「そうかい? 僕は彼に共感できることが多いんだけどな。あそこまで開き直れないけどね」
「開き直ったらおしまいだろ」
「誰だって心に闇がある。光だけでは疲れてしまうだろう? 心が日焼けをしてしまう。自ら好んで闇に身を置く人種だっているのさ」
「そんなもんかねぇ。アホの電拳に聞かせてやりてぇわ」
シンユーは車窓を流れる旧市街の景色を見ながら言った。ソジュンが苦笑しながら答える。
「いや、シュウくんには分からないんじゃないかな? 彼は前しか見ていない。子供の頃から変わっていないんだよ」
「少しは後ろも見ろってんだ。あの馬鹿は……。ん? おい、ソジュン! 前……!」
――次の瞬間、銃声が聞こえ、フロントガラスに亀裂が入った。蜘蛛の巣のような白い弾痕が一つ、二つ、三つ刻まれる。運転席の視野が狭まった。
「シンユー! 衝撃に備えろ!」
ソジュンがハンドルを切ると、車はスリップをし廃墟の壁に激突した。エアバッグが作動し、エンジンが停止する。シンユーが首をさすりながら口を開いた。
「……ってー。このまま終わるとは思っていなかったけどよぉ」
「大丈夫か? シンユー」
「ああ。一瞬だけど銃を構える女が見えた。龍王のアサシンかもしれねぇ」
シンユーが車外に出ようとフロントドアに手を伸ばそうとした瞬間、サイドガラスが割られた。ガラスを突き破ってきたのは鋼鉄のように硬い人間の拳であった。その腕は丸太のように太い。
「なっ?」
シンユーは胸ぐらを掴まれると強引に外に引きずり出され、そのまま路上に投げ出される。勢い余って反対側の廃墟の壁に叩き付けられた。
「シンユー!」
ソジュンが運転席から叫ぶ。
「……ふざけやがって」
シンユーは瓦礫の中から立ち上がると、眼前に立つ巨躯の男を睨んだ。
「龍尾のシンユーだな? DMDを渡してくれ。そしたら半殺しで勘弁してやる」
そう言い放ったのは、無精ヒゲを生やした角刈りの男である。ジャージの上からでも鍛え抜かれている筋肉が分かった。
(なんだこいつは……。百八十あるソジュンよりでけぇ。厄介だぜ)
男の身長はシンユーより高い。肉弾戦になったらリーチの面で不利なのは明白であった。
「小さいな、お前。弱いもの苛めになっちまうか。こりゃ」
「んだとぉ? てめぇなんだよ? 龍王の刺客か? こら」
シンユーは腰を落とすと、左手を前に突き出した。不意打ちの衝撃は<硬気功>で軽減している。するとソジュンが車から出てきた。ソジュンとシンユーで男を挟む陣形になる。それでも巨躯の男に動揺はない。
「俺は荒川アウトサイダーズの剛田。スパイダーから買ったDMDを渡してくれりゃ、仕事は終わりだ。でも、そんじゃ面白くねぇ。この鉄拳をぶち込むためにここまで来たんだ」
剛田は一瞬ソジュンを振り返るが、再びシンユーを見る。
「俺は硬気功を使う。マナで肉体を強化して殴り合う。これまで負けたことがねぇ。異名は【鉄拳】だ。お前とキャラが被るなぁ」
シンユーは剛田を睨むとこう言った。
「知らねぇよ、てめぇなんぞ。負けたことがねぇのか? それも今日までだな」
剛田はにやりと笑う。
「俺は後ろの優男よりお前さんに興味があるな。【硬拳】のシンユー。俺の拳とどっちがが硬ぇかな?」
シンユーは丹田に力を込めると、足の指先で大地を踏みしめた。そして好戦的な笑みを浮かべる。
「おもしれぇな、おっさん。試してみるかよ? 武術は体格じゃねぇぞ。……おい! ソジュン! お前はブツ持って逃げろ!」
剛田はシンユーの性格をある程度掴んでいた。見事にタイマンヘ持ち込む。
「威勢のいい小僧だな。見たとこガキだが。まあ気功ってやつを教えてやる」
ソジュンは剛田の背後で数秒逡巡した。しかし、感情より任務を優先する。
「……シンユー! 分かった! 死ぬなよ!」
ソジュンが車へDMDを取りに戻ろうとすると、銃声が鳴った。
「なにっ!」
銃声の方を振り向くと、金髪の女が銃を構えて立っていた。
「あたしはライザ。イケメンのお兄さん、あたしと遊びましょう?」
銃弾は車のタイヤに命中している。ソジュンは冷静に言葉を返した。
「ツーマンセルですか。まあ、常識ですよね」
ソジュンはライザと向き合った。少し距離が離れているが、遠距離を得意とするソジュンには丁度良かった。
「おい! 女ぁ! お前の相手も俺がしてやる! 二人でかかってこい! こらぁ!」
シンユーが叫ぶと、ライザは可笑しそうに答える。
「いやよ。あんたみたいなガキの相手。あたしイケメンが好きなの。遊ぶならコッチの方がいいわ」
ライザはそう言うと銃を投げ捨てた。ガチャッと瓦礫の中に落ちる。
「異人同士で銃は無粋でしょ? いらないわ、こんなの。わくわくするような異能バトルを始めましょう」
剛田はシンユーとの距離を詰めながら言った。
「振られちまったなぁ? 小僧。あんなビッチほっとけよ……っと!」
剛田がシンユーに向かってマナで硬化した拳を打ち込む。
「おらぁ!」
シンユーも硬気功を使い強化した拳を剛田の拳にぶつける。凄まじい打撃音が廃墟街に響き渡った。拳と拳……というより、鉄と鉄が衝突したような乾いた音である。
「ふん!」
剛田が拳を振り切ると、シンユーは後方へ吹き飛ばされた。肩が抜けるような衝撃が全身を駆け巡る。
(こいつマジか! 硬いうえに強ぇ!)
硬気功は肉体を強化する技である。硬質化だけでなくパワーが向上するのだ。シンユーは全力だったが、それでも剛田のパワーが上回った。
(ざけんな! 硬気功で負けらんねぇ!)
剛田が二撃、三撃と繰り出してくる。シンユーはそれらを回避し、カウンターでボディーブローを叩き込む。しかし、まるで分厚い鉄を叩いたような感覚が拳に返ってきた。気を抜くと自分の手首が折れそうになる。顔を歪めるシンユーを眺めて、剛田は不敵に笑った。
「龍尾きっての硬気功使いって聞いていたから期待していたが……。やはりガキだなぁ?」
剛田の体さばきは遅いが、拳の振りは速い。シンユーは剛田の鉄拳を両腕でガードした。――しかし、鈍い音がして後方に吹き飛ばされる。剛田が連撃を繰り出すと、シンユーの身体がピンボールのように左右に揺れる。
「おらおら! どうした、小僧ぉ!」
剛田が手を緩める様子はない。一撃一撃が重い。シンユーはただ耐えている。空には暗雲が立ちこめていた。廃墟街を湿った風が吹き抜ける。
【参照】
剛田とライザ→第八十一話 荒川アウトサイダーズ