第九話 二つの事実
シュウとリンは事務所の応接間にいる。ゲリラ豪雨の中、走ってきたので疲弊していた。
目の前のソファーには、誘拐事件の被害者であるソフィアが寝ている。多量の返り血を浴びていたが、豪雨で洗い流されており、リンがタオルで拭くと一応奇麗になった。服だけはどうにもならなかったので廃棄し、今は金蚊の甚平を着せている。
先程、フィルに連絡をしたので程なく迎えに来るだろう。フィルは歓喜のあまり、二万ドルに色をつけて三万ドルを払うと約束した。
「リン、サイコメトリーで読み取れた情報は、憎悪と恐怖だったな? それ以外に何か映像は視えなかったか?」
「はい、兄さん。特に憎悪が強くて……。その他の情報は破損していました。申し訳ありません、私は生粋のサイコメトリストではありませんので……死者の思念は読めないのです」
リンは<サイコメトリー>を使えるが、それは複数持つ能力の一つに過ぎない。
「気になったんだけどさ、憎悪って誘拐犯と被害者のどちらが抱く感情だ? 少なくとも犯人側ではないと思うんだよな。身代金が目的で私怨ではなかったわけだし」
「そうなるとソフィア様が抱いた感情が憎悪、犯人側の感情が恐怖ということになります。……でもそれっておかしくないですか」
「そうだなぁ。ただ……意識を取り戻さないソフィアちゃんを見ているとね」
シュウは何かが引っ掛かっていた。何かがおかしい。異人は無制限に異能を発動できるわけではない。異能を使うと術者にそれ相応の反動が生じるのである。
まず、エネルギー源となるマナは有限である。使えば無くなるものだ。それが原因でマナの奪い合いが起こることすらある。
異能を使うと術の反動が「排マナ」として放出される。排マナはマナの搾りかすで、質の悪いものである。これが増えると環境に悪い影響を与えると言われる。
そして排マナは時間が経つと「ダークマナ」に変化すると言われている。ダークマナは生物や自然に有害だ。ダークマナが正常なマナに還元されるまで百年から千年かかると言われているのだ。
発動した能力の規模が大きい場合、その反動は排マナだけではカバーできず、術者に返ってくるのだ。端的に言うとキャパオーバーである。
その上で排マナ中毒となると意識を失っても不思議ではない。シュウはソフィアが目を覚まさない原因が排マナ中毒であると睨んでいた。
しかし、その場合、二つの重い事実がのしかかってくる。その事実をフィルが受け止められるとは思えない。
まず、ソフィアは異人であること。何かしらの理由でソフィアは激怒し、激情に駆られたまま異能を発動してしまった可能性がある。
そして二つ目の事実。ソフィアが三人の命を奪ったこと。彼女は大人三人を吹き飛ばした能力の反動で今眠りについている。
「リン、フィルのおっさんに何て言おうかな」
「私達の任務はソフィア様を救出することです。それ以外のことは知りません」
フィルには伝えないことにした。現場を見ていない二人の憶測に過ぎない。軽々と口にしていい言葉ではなかった。ソフィアの人生はこれから始まるのだから。
(俺が何も話さなければ大丈夫だ。警察ではこの事実には辿り着けない。ただ気になることがある)
シュウはアパートの一室で見た黒い人影を思い出していた。あの時、一瞬だが黒髪と黒い服が見えたような気がした。奴は何者だろうか。
「あ、あの……あなたは?」
ソファーからソフィアがシュウを見上げていた。
「俺はシュウ。フィルのおっさんから君を助けて欲しいと依頼された便利屋だ。そっちに座っているのが俺の妹。リンだよ」
リンが軽く会釈をすると、ソフィアは半身を起こした。
「ありがとうございます。無事に帰ってこられたのは、シュウ様のお陰です」
どうやらソフィアも日本語が話せるようである。心なしかソフィアの頬がピンク色に染まっている。隣に座っているリンの眉間に一瞬シワが寄ったが、すぐに消えた。
「君はいつ能力に目覚めたんだい? フィルは知っているのか?」
ソフィアは首を横に振った。
「もうご存じなのですね。そうです、私は七才の頃に異人になりました。母が亡くなった年です。母との最期の会話が……原因だと思います。父は知りません」
異人には二つのタイプがいる。先天的な異人、つまり遺伝による能力の継承。そして後天的な異人。「何か」がきっかけとなって能力に目覚めるタイプだ。原因は不明だが、大きなストレスがトリガーとなることが多いと言われている。
「君は自分が何をしたか覚えているか?」
シュウは今回の事件の核心を突いた。ソフィアはけろっと答えた。
「はい。私は誘拐犯を殺しました。悪い大人だったので。当然じゃないですか?」
ソフィアは笑顔である。罪悪感はないようだった。そしてやはり頬をピンクに染めている。能力の反動で熱があるのか、それとも単に照れているのか、シュウには分からない。ソフィアはじっとシュウを見詰めている。
「なんだい?」
深く溜息をついてソフィアは言った。
「シュウ様。お強いのですね。私、寝ていましたけど、シュウ様の力強いマナは感じておりました」
「あ、ああ。それはどうも」
美少女に見詰められ、シュウは目を逸らした。横でリンがその様子を見ている。無表情だが、時折眼光が鋭くなる。
「シュウ様」
ソフィアはシュウの手を取り、うっとりとした表情で言葉を紡ぐ。
「シュウ様のマナを感じた時、胸の奥がビリッとしました。頭の中を金色の妖精が飛んだような気がしました。これは恋かもしれません」
そこで我慢していたリンが口を挟んだ。
「兄さんはエレキ系のマナを纏っているので、恋ではなくて単に感電しただけだと思いますが? 妖精云々の話はただの夢かと」
リンはそう言うと、二人の間に入り、ソフィアの手を軽く払った。ソフィアは不機嫌そうにリンを見た。
「さっきから気になってたけど、あなた誰? 何歳? モブ?」
ソフィアは急に敬語をやめた。その変貌振りにシュウは驚いた。リンはソフィアの本性を見抜いていたのか、驚いた様子はない。
「妹ですけど? 兄の話を聞いていました? 十五歳ですがソフィア様には関係ないかと」
ソフィアは手を口に当て、嘲笑して言った。
「私は初めからシュウ様しか視界に入っていなかったもの。十五歳ってオバサンですね、私より。シュウ様が可哀想……」
普段感情を表に出さないリンが珍しく不機嫌になっているのをシュウは感じていた。それどころか殺気を感じる。兄としてこの場を収める責任がありそうだ。
「まあまあ。リン、落ち着けよ」
「兄さんは黙っていただけませんか? これは妹の面子に関わる話です」
こちらを見ようともしない妹の態度に、シュウは背筋が凍った。リンが怒ることは滅多にないからだ。その時、応接間の外でガラガラッと音がした。そして大きな声が聞こえる。
「ソフィー! いるか? パパが来たよ!」
飛んで火に入る夏の虫。いや、九死に一生を得た。フィルがガラス戸を開けて店内に入ってきたようだ。シュウは応接間を出て、受付へ向かう。そこには必死な顔をしたフィルが息を切らして待っていた。