第八十八話 禁忌の魔女
「お嬢ちゃん。もう一回聞くぞ? この彼に見覚えはないか? 元々は協会のギフターだったはずだ」
亜梨沙は改めて写真を見る仕草をする。舞台で演じる女優のような所作だ。
「よく見るとそうですね。AA級のエアロ系エレメンター。清原くんに似ています」
しかし、そう答える亜梨沙の瞳に写真は映っていない。あくまでもポーズと言わんばかりだ。
「なんで黙っていた?」
「ふふ。この有様では気が付きませんよ。人の形をしていませんもの」
亜梨沙は可笑しそうに答えると、写真を卓上に戻した。その振る舞いに死者への配慮は感じられない。
「そうかい? あんたの目は全てを見通す魔眼だと聞いているがね」
鬼沢の追求に亜梨沙は無言の笑顔で返す。そして横に座っている南を気遣った。
「南? そろそろ終わるから待っててね」
目の前で亜梨沙が弟をあやしている。本人の中でもう話は終わっているのだろう。鬼沢は怒鳴りたい衝動に駆られたが、深呼吸して冷静になった。感情的になり隙を見せてはいけない。何がつけ込まれる要因になるか分からないからだ。
「失礼。黒川副会長。清原さんとは協会を辞めた後も連絡を取っていたかい?」
鬼沢は態度を和らげて亜梨沙に問いを投げかける。
「そうですね。何かと相談に乗ることはあったでしょう。細かい内容までは思い出せませんし、守秘義務がありますので……おいそれとは言えません。ご理解ください」
鬼沢と亜梨沙のやり取りを見ていた田中が口を開いた。
「辞めた協会員が反社組織に斡旋されるケースはあるのでしょうか? 清原さんは柊会で何をしていたのでしょう?」
これが今回の訪問の核心である。本当ならもっと小出しにして相手の出方を見る計画だったが、もう仕方がない。想像以上に黒川亜梨沙は狡猾な相手だったのだ。
「さあどうでしょう。最後は本人の意志ですから。彼の行動を全て把握できるわけがありません」
「協会としても公にはしたくないでしょう。反社との繋がりに世論は敏感です」
田中が食い下がってくるが、亜梨沙はにっこりと笑った。
「その手の繋がりなら警察の方が長いのではないでしょうか? もちろん、我々協会は潔白です。清原くんは既に辞めていますので無関係ですし。……それに」
「なんです?」
「DMDの薬物汚染、龍尾と龍王の抗争、そしてファイブソウルズ。警察と協会はこの先も協力をしなくてはいけません。私はそう思っています。そうでしょう? 鬼沢警部補、田中巡査部長」
そう言うと亜梨沙は席を立った。もう話すことはないらしい。笑顔で出口を指し示す。
「またお話を伺うかもしれません。異能研のお力も必要です。それでは……」
田中は席を立つと亜梨沙に頭を下げた。二十代前半の亜梨沙だが、全く幼さを感じさせなかった。副会長の席に座っているだけはあると感じる。鬼沢も軽く頭を下げると、田中を伴って部屋を出て行った。
「私、カップを洗いますね」
華恋はそう言うとカップを片付けて給湯室へ下がっていった。亜梨沙は南に抱き付き頬ずりをしている。
「南は気になる? 清原くんのこと」
「……別に。興味ないよ」
「あはは! 南はアイス系だからクールだねぇ。大好き!」
給湯室の中で華恋は思い出していた。
(清原さん……懐かしいな)
異能訓練校の初等部にいた頃、華恋は清原に指示を仰いだことがある。属性は違うが、同じエレメンターとして尊敬していた。
(どうして死んじゃったのかな)
カップを洗いながら考える。すると、亜梨沙の独り言が聞こえた。
「……清原くんがやられたのね」
(副会長?)
華恋は聞き耳を立てる。
「……彼を殺せるストレンジャーは限られてくる」
華恋はカップを洗い終えると、そっと部屋を覗いた。
「ふふん。龍王。フェイロンが動いたか……よくやったわ」
そう呟く亜梨沙の横顔は笑っていた。華恋は思わず身震いをする。寒気がする冷たい笑みであった。
「南、寝ちゃったか~。ふふ。あなたは……私の……」
亜梨沙が何かを言ったが、小声で聞き取れなかった。南は亜梨沙の腕の中でうたた寝をしている。先程の冷たい笑顔とは裏腹に、愛おしそうに南の頭を撫でる亜梨沙の眼差しは温かかった。
◆
鬼沢と田中は氷川駅への道のりを歩いていた。鬼沢が出っ張った腹をさすりながら言う。
「悪いな、田中。段取り通りにはいかんかったわ。カード全部切っちまった。あの嬢ちゃん、曲者だな」
「気にしないでください。鬼沢さん。それにニシカワフーズの事件に協会は関わっていないと思いますよ」
「ほう? その根拠は? 田中くん」
鬼沢は汗を拭きながら田中に言った。鬼沢の巨体にこの炎天下は辛い。田中は笑いながら答えた。
「あの彼女が現場に証拠を残すとは思えません」
「はは、違ぇねぇ。……で? お前は精神感応系の異人だったな。どうだ? 副会長のマナは」
田中は少し悩むと答えた。
「彼女の異名は禁忌の魔女。底を見せてくれませんでした。おそらく戦闘系ではなく私と同様に精神感応系だと思います。魔眼の噂もありますしね」
「ふむ」
「それに……、彼女には強力な呪いがかけられています。少なくとも三つ。私、マナを視ると分かるんですよ。呪詛系は」
「呪いだぁ? おっかねぇな」
オカルトのような話だが、マナで呪いを受ける実例は過去にもあった。DMDの中毒症状も呪いに分類されるだろう。
「彼女の強さの根源はその呪いにあるように思えます。呪いが強ければその分強力な異能が発現することもあります。それと弟の南くんですが……彼が呪いに関係しているように思えましたね。これは刑事の勘、いや異人の勘です」
「まあ、確かにあの溺愛っぷりは異常だなぁ」
二人は駅のコンコースに着いた。鬼沢は何気なく振り返って都会にそびえ立つ協会本部を眺める。そして口を開いた。
「そう言えば、あの嬢ちゃんが目立つから忘れていたけど、協会の会長ってどんな奴なんだ?」
田中はスマートフォンで協会のホームページにアクセスする。そこには組織図が掲載されている。
「神喰正宗。それが会長の名前です」
「ふーん。単純に考えれば協会で最強ってことだよな? ギフター達の親玉だろう?」
「どうでしょうね、曲者と噂されていますけど。現状では、アルテミシア騎士団長のクートー=インフェリアがS級ギフターであり、協会のトップだと言われています。異名は【王殺し】」
「おっかない異名だな。あの嬢ちゃんよりも強いのか?」
「副会長はAAA級ですね。等級で言えばクートー氏の方が上です。ただ、AAA級以上は単純に実力差ではないらしいですよ」
田中の返答に鬼沢は溜息をついた。
「協会さんとは短い付き合いではないが、未だに謎が多いなぁ」
天気予報では午後から雨らしい。少し遠くの空には黒い雨雲が見えていた。
【参照】
高広屋について→第十九話 リンとシャーロット
DMDの薬物汚染→第二十三話 スパイダー
マンゴーパフェ→第二十七話 黒川南とフィオナ=ラクルテル
ファイブソウルズ→第五十二話 ファイブソウルズ
団長について→第五十七話 アルテミシア騎士団長
抗争について→第五十八話 龍の器
異能研について→第七十六話 異能研
清原について→第七十九話 龍王