第八十七話 清原大輔
「失礼いたします」
華恋はノックをして一声掛けると副会長室に入った。南がその後に続く。中にいた黒川亜梨沙が笑顔で迎えた。
「あら、朱雀さん。どうかした? あ! 南! おはよー。お姉ちゃんに会いに来たの?」
亜梨沙は南に駆け寄ると抱きしめて頭を撫でた。姉に服従している南はただ耐えている。華恋は若干引いているものの、優等生スマイルは崩さない。
「姉さん。警察が来ているよ。痩せた方は異人っぽい」
南がそう言うと、鬼沢と田中が部屋に入ってきて、警察手帳を開く。鬼沢が口を開いた。
「どうも、すいません。黒川さん。事前に連絡しましたが、今日はある事件についてお話を聞きに来ました」
「田中です。先程、南くんが言ったように私は異人です。よろしくお願いします」
亜梨沙は二人の顔を見ると、抱きしめていた南を開放した。
「あ、そっか! 今日が約束の日でしたね。あちらの席へどうぞ」
そう言って窓際の来客席を指し示した。
「南と朱雀さんも残りなさい。そこに座って」
亜梨沙、南、華恋と鬼沢、田中が向かい合って座る。
「あ、副会長。私、コーヒー入れます」
一度座った華恋だが、思い立ったように席を立つと室内のコーヒーメーカーへ向かった。
「朱雀さんは気が利くわね。ありがとー」
フィオナを嫌っている亜梨沙だが、華恋は気に入っているようだ。両手で「よろしくね」のジェスチャーをすると、刑事二人に目を向けた。
「鬼沢さんと田中さんですね。私は特殊能力者協会副会長の黒川亜梨沙と申します。今日はどのようなご用件でしょうか」
亜梨沙は仕事モードに入るが、顔には笑みを浮かべている。彼女はどのような状況になっても笑顔を忘れないのだ。鬼沢は田中に視線を向ける。田中は咳払いをすると、手帳を開いて話を始めた。
「電話でも少しご説明しましたが……先日、川成市で殺人事件があったんですよ。場所は川成と西川成の境目に建つニシカワフーズの工場なのですが……」
そこまで話すと、田中は顔をしかめた。亜梨沙は笑顔で先を促す。
「田中さん? どうしたのですか?」
「それが猟奇的な現場でして。学生さんにはショックが大きいかと……」
田中はそう言うと亜梨沙の隣に座っている南を見る。そしてコーヒーを入れている華恋の方にも気遣う様子を見せた。亜梨沙は女優のような笑みを浮かべるとこう答えた。
「二人ともA級ギフターで実戦経験を積んでいます。気遣いは不要です。続きをどうぞ」
田中は肩をすくめると、続きを話し始めた。
「早番の従業員が出勤してきて、惨殺された遺体を発見したのです。……それが妙な遺体でしてね。銃や刃物ではなく、圧倒的な力で圧殺されたような……虐殺されたような……。とにかく、むごたらしい遺体でした」
田中は遺体の写真をテーブルの上に並べる。確かに凄惨な現場である。真っ二つの遺体、内臓が引きずり出された遺体、胸部に穴が空いた遺体……。おびただしい血痕も見て取れる。
「……」
亜梨沙は遺体を見ても笑顔のまま眉一つ動かさない。鬼沢はそんな亜梨沙の様子を観察している。その眼光は刑事そのものであった。田中は鬼沢の顔を横目で見ると、説明を再開した。
「黒川副会長ならご存じかと思いますが、このニシカワフーズは暴力団柊会のフロント企業です。柊会は異人の構成員が多い。県警の組対が警戒していましたが、今回は捜一も動いています」
田中がそこまで話すと、華恋が戻ってきた。「コーヒーです」皆の前にカップを置いていく。
「あ、どうも」
田中はコーヒーを飲みながら亜梨沙と南の反応を見ていた。血だらけの現場写真を見ても特に反応を示さない。目を背けることもしない。「死」に対して反応が希薄すぎる。(……この黒川姉弟。要警戒だな)田中はそう思った。
華恋は席に戻ると卓上の写真を一瞥した。
「……」
笑顔のままだが一瞬身体が強張った。動揺はしたがギフターの実戦経験により平静を取り戻したのだろう。修羅場を何度か越えているが、年頃の少女の本能が顔を出した――そのような印象だ。
(そう。その反応が普通だよ)
田中は少し安心している自分を感じた。新人の警察官なら吐くレベルの現場だからだ。亜梨沙はコーヒーを一口飲むと、田中の顔を見た。
「それで? どうしてこの方々は死んでいたのですか?」
「おそらく異人組織の抗争だと思われます。何かしらの異能が使われたかと。十体近くの死体が転がっていましたが正確な数は分かりません。死体がバラバラだからです」
「そうですか。それは大変でしたね。……ん? 『おそらく』とは?」
亜梨沙は神妙な面持ちで頷きながら更に問う。鬼沢は僅かに眉をしかめた。目の前の女性がこれっぽっちも事態を憂慮しているように見えないからだ。笑顔の鉄仮面を外さない亜梨沙に苛立ちを覚える。田中は再び咳払いをすると答えた。
「おそらくと回答したのは、抗争相手の死体が一体も無かったからです。死んでいたのは柊会の構成員のみでした。しかし、これは捏造の可能性がありますね。柊会は一枚岩ではないし、一筋縄ではいかない組織です。捜査にも非協力的ですから……」
「つまり、今回の事件の捜査を異能研に依頼したい。そういう要件でしょうか」
亜梨沙のビジネス的な質問に田中が苦笑しながら答える。
「そうなると思います。県警にもサイコメトリストは在籍していますが、協会に依頼した方が、精度は上がりますからね。午後には連絡がいくでしょう」
自分より一回りは年下の女性に終始押されているような感覚に陥る。田中は笑うしかなかった。
(彼女が【禁忌の魔女】か……。簡単に崩せそうもないな)
「……ふぁ」
その時、南が場違いの欠伸をした。華恋が慌ててフォローに入る。
「南くん、ミントの飴あげるからね。もう少し我慢しよう」
亜梨沙がその様子を見て場の収束を図る。
「そろそろよろしいでしょうか? 正式な依頼は事務局次長のフェルディナン=ルロワへお願いします。……では」
――すると、今まで黙っていた鬼沢が亜梨沙の目を見て言った。
「……ちょっと待ってくれ、お嬢ちゃん」
亜梨沙を見据える鬼沢の眼光は鋭い。
「鬼沢警部補。何か?」
鬼沢の視線に動じることなく、亜梨沙は笑顔で返した。
「身内が死んだってのに、その反応は冷たいんじゃないか?」
「……鬼沢さん?」
鬼沢の発言に田中は動揺した。その情報はまだ切らない予定だったからだ。その判断は刑事の意地か、それとも刑事の勘か……。
「この真っ二つになっちまっているイケメンの彼。よーく見てくれ。見覚えないか?」
鬼沢はその遺体の写真を亜梨沙に手渡す。
「……」
しかし、亜梨沙の表情に変化はない。
「覚えていないなら教えてやる。そいつはエアロ系のエレメンターだ」
鬼沢の発言に思わず華恋が息を呑んだ。場に緊張が走る。
「名は清原大輔。……元協会員だろう?」
【参照】
清原大輔とニシカワフーズの殺人事件→第七十九話 龍王