第七十三話 フィオナのお礼
雨の中、シュウとフィオナが向き合っていた。シュウの背後には妹のリンがいる。彼女にとって、フィオナは兄を殺そうとした憎き相手だ。
当然、シュウとしても相手はシャーロット=シンクレアを狙撃した仇同然である。自身に湧き起こってくる敵意を必死に抑えていた。
一対一なら殴りかかっていたが、この園庭には十人以上のギフターがいる。一歩間違えば拘束されてしまうだろう。三人は激しい雨に打たれながら睨み合う。
「……あの氷野郎はどうした? 南とか言ったっけ。あいつには借りを返さなきゃいけないんだが」
シュウは低い声で問いを投げかける。フィオナは表情を変えずに答えた。
「……南はいない」
たった一言。端的な回答だ。南も無表情だったが、ギフターは感情が欠落しているように思えた。それがシュウを苛立たせる。
フィオナがシュウの方へ歩みを進める。当然、シュウは警戒した。何をされるか分からないからだ。
「おい! それ以上は近寄るな」
フィオナは歩みを止めない。手を伸ばせば触れられる距離になる。
「何だよ! また殺し合いか?」
シュウはありったけの憎しみを込めて言った。今すぐにでも電拳を叩き込みたい衝動に駆られる。しかし、フィオナが発する言葉はシュウの心を激しく揺さぶるものだった。
「……ありがとう」
無表情だったフィオナは微かに笑みを浮かべ、礼を口にした。想定外の返答にシュウの思考が一瞬停止する。
「は?」
フィオナはもう一度言う。
「……ありがとう。電拳のシュウ」
シュウは混乱した。今の今までギフターは無機質な殺人マシーンだと思っていた。その最たる例が、目の前で礼を言っている。
「意味が分かんねぇ! 何だ、お前! 礼を言われる覚えはねぇよ」
シュウは激しく取り乱した。怒りをぶつけるべき対象が揺らいでいく。
「南を助けてくれて……ありがとう」
フィオナはそう言うと、シュウの手を取った。
「南から聞いたの。……あなたがフルゴラを説得してくれたって」
シュウはフィオナの手を振り払う。
「あれは……! 俺が借りを返すって意味だ! 勘違いするな!」
フィオナは更に距離を詰めた。香水の香りが分かるほど近い。完全に向こうのペースである。
「他のギフターに聞かれたくないの。……ちょっと静かにしていてくれるかしら」
「……」
「……あなたが知りたかったことを……言うわね」
「え?」
「あの時は任務中だったから……答えられなかった」
フィオナはシュウの目を真っ直ぐ見据えて言った。
「シャーロット=シンクレアを狙撃したのは……私達ではないわ」
「なにっ!」
フィオナはシュウの口に人差し指をあてる。大声を出すな、と言う意味らしい。
「あの事件はまだ……終わっていない。捜査は続いている」
シュウの頭の中は真っ白になった。何も言えない。言うことができない。
「……兄さん」
背後にいるリンがシュウの背中に手を添える。あの事件はリンにとってもトラウマになっている。蒸し返して欲しくないのだ。
「南はあの性格だから。私が代わりに言おうと思ったの。だから……もし次に会った時は喧嘩しないで……ほしい」
フィオナはそう言うとシュウから離れた。そして他のギフターの方へ足を向ける。
「待ってください」
リンはフィオナを呼び止めた。
「……何?」
フィオナは振り返る。リンが一歩前へ出た。その表情は硬い。
「兄の誤解があったとしても、……それは兄を殺そうとした動機としては弱すぎる」
リンの周囲に赤黒いマナが陽炎のように揺らめいている。
「リン、やめろ!」
フィオナが目を見開いた。
「……あなた、その目は」
リンの目が赤色に変色している。凄まじい濃度のマナがリンの瞳に集中していた。
「リン! よせ!」
シュウがリンとフィオナの間に入った。そして正面から抱きしめ、頭を撫でる。
「……兄さん?」
腕の中でリンは頬を赤らめる。禍々しいマナは静かに霧散した。フィオナはシュウとリンの様子を伺っていた。
「今のは……見なかったことにする。でも……そうね。妹さんの言うことはもっともだわ」
フィオナは数秒考えて周囲を見渡した。他のギフターがこちらを気にしている様子はない。そして口を開いた。
「……南があなたを殺そうとした理由」
シュウはリンを離すと、フィオナと向き合った。これも知りたかったことの一つだ。
「電拳のシュウ。……あなたに直接的な原因があるわけではないの」
「はぁ? じゃあ何で!」
「原因は……あなたの……ルーツにある」
「ルーツ?」
フィオナは冷静に言葉を続ける。
「あなたは……。自分のことを……どれだけ知っているのかしら」
「……俺のこと?」
シュウは呆然としている。物心ついた時にはリンと二人だった。親や家族のことは全く知らない。ルーツなど分かるはずもない。
フィオナは少し迷っているようだった。周囲を気にしている態度からもおいそれと公言していいことではないのかもしれない。逡巡している様子が見て取れる。
シュウに背を向けてフィオナは言った。
「でも……安心して欲しい。もう協会はあなたと……戦わないから」
フィオナはもう振り返らなかった。遠くから茶髪のギフターがフィオナに向かって叫んでいる。
「おい! ラクルテル! そっちは事情聴取終わったかぁ!」
「……稲葉うるさい。少しは空気を……読んで欲しい」
フィオナはギフターのチームに合流した。そして施設の中へ入っていく。すると雨夜と源がやって来た。
「シュウさん。リンさん。今日は巻き込んでしまって申し訳ありません」
雨夜は深々と礼をした。源もそれに倣う。
「いいって、別に。俺だって守るって言っておきながら、自爆の時は冷や汗かいたぜ」
今思い出すだけでも背筋が凍る。一瞬の隙を狙われた。一歩間違えばあの時、雨夜は死んでいたのだ。雨夜はじっとシュウの目を見て言った。
「いいえ。あの時、あなたが叫んでくれたから水壁を張れたのです。ありがとうございました」
「ああ。でも何で水門重工が狙われるんだ? 協会は何て言ってたんだ?」
雨夜は目を伏せた。その表情は暗い。
「……分かりません。これからは協会とも連携して捜査にあたることになりました」
「そうか……。まあ、何て言うか、びしょ濡れだな。風邪引くなよ、お二人さん」
雨夜は微笑むとシュウに問うた。
「この雨は身から出た錆ですから。……先程は何を話されていたのですか? フィオナさんと」
「いや、大したことじゃない」
シュウは嘘が下手だ。すぐにバレる。雨夜は何かを言いかけたが、その言葉を飲み込んだ。
「まあいいです。私達も今日は帰ります。では、シュウさん。また改めて連絡しますね。今度は旧市街の方でお話があります」
「ああ! 待ってるぜ」
雨夜はもう一度礼をした。そしてリンの方を見る。
「では……リンさんもお疲れ様でした」
「あ、はい」
リンも何かを言いかけた。雨夜には彼女の言いたいことが分かっている。しかし、それを承諾するわけにはいかなかった。気が付かない振りをする。
(私は……罪深いですね)
雨夜は溜息をつくと、送迎車の方へ歩いて行った。源も礼をすると、雨夜の後を追った。シュウとリンは二人を見送る。
「兄さん。私達も帰りましょう」
リンはそう言うと背後から抱き付いてきた。最近、いつもこうだ。リンは甘えるようになったのである。
「おい、リン! あんまりくっつくなよ。お前、本当に幼児化してないか?」
「……だって」
シュウは入院中、病室でランに言われたことを思い出していた。
――凄かったんだから、取り乱し方が。『兄さんが死んだら私も死ぬー!』って。トラウマになっても知らないよ――
シュウはリンを引き離すと、出口へ向かって歩いて行く。リンは少し後ろを歩いてついてくる。
(ん? ということは……。リンの変化は……もしかして俺のせいか?)
ちらりとリンを横目で見る。リンは濡れた瞳でシュウを見詰めていた。雨に濡れて哀愁が漂っている。
「リンお前さ。親とはぐれた子ダヌキっぽいよな」
「え? タ、タヌキですか? わ、私……そんなに丸っこいですか」
リンは頬やお腹辺りをさすっている。外見からは分からないが、少し太ったのだろうか。
「あー、とてもじゃないけど、家でカレー食うテンションにはならん! 高広屋でラーメン食って帰ろうぜ」
「あ、はい。たまには外食もいいですね。でも入れますかね、こんなに濡れていて」
今日は色々ありすぎて、とにかく今は何も考えたくない。シュウはそう思っていた。
【参照】
シャーロットの狙撃→第四十四話 世界の終わり
南について→第四十五話 絶対零度
フィオナのありがとう→第四十六話 雷火のラン




