第七十話 難民の少女
その日は異人自由学園と月の家合同でカレーパーティーが開かれていた。児童養護施設のイベントで、一般人も参加が自由であった。
シュウは水門重工の高原雨夜と施設運営の喫茶店で話をしていたが、それも終わった。話の流れでファイブソウルズの調査を手伝うことになってしまった。
(リンが何て言うかな……。先月、絶対零度に殺されかけてからというもの、一層俺に依存するようになったし)
シュウと雨夜は園庭に戻ってきた。星の家施設長の久保田の姿は見えない。もう帰ったのだろう。カレーの大鍋の前で、源とリンが接客をしている。
「兄さん! お帰りなさい。雨夜さんと何を話していたのですか?」
先月の一件以降、リンは過剰に心配するようになっている。「一緒に寝る」と言い出しそうな気配すらあった。
(何か幼児化してるんだよなぁ……。妹の将来が心配だ)
シュウは最近のリンの変化を心配していた。まるで迷子の子ダヌキのようにソワソワしている。
「ああ、仕事の依頼だな。報酬も高そうだ」
シュウの返答にリンは眉をひそめる。そしてシュウの袖を握りしめた。
「……まさか危険な仕事ではないですよね? 大怪我したり死んだりしませんよね?」
リンの顔が青ざめている。周囲に人がいるが、シュウしか目に入っていないようだ。シュウと雨夜は顔を見合わせた。源も事情を知っているので何も言えない。
「テロリストと喧嘩する。まあ、死なないだろ」
嘘をついても後でバレる。シュウはあっけらかんと言い放った。兄を思う妹の気持ちなどは考えていない。リンは大きい瞳を更に大きくしている。唇は小刻みに震えていた。
たまらず源がフォローを入れる。
「シュウ様……。もっとオブラートに包んでいただきたいのですが」
源の隣にいる雨夜が言葉を続けた。
「リンさん。申し訳ありません。シュウさんのお力が必要なのです」
雨夜はそう言うと深々と頭を下げた。リンはそれを横目で見るが何も答えられない。シュウはリンの頭を撫でながら言う。
「仕方ないだろ。子供が事件に巻き込まれているらしいんだ。お前、それを放っておけるのか? 俺にはできねぇ。大丈夫、俺は死なねぇよ。この前だって生き残っただろ」
雨夜がリンの手を取って言った。
「リンさん。お兄さんは私が守りますから安心してください」
シュウは雨夜の頭を軽く叩いた。
「痛い! 何をするんですか!」
「ばかやろう! 俺がお前を守るんだよ!」
「え?」
突然のシュウの宣言に雨夜は動揺している。大きい目をぱちくりさせて、ふいっと横を向いてしまった。耳が真っ赤になっている。リンが明らかに不機嫌な表情を浮かべ、口を挟んだ。
「兄さん。それってプロポーズですか? 雨夜さんは小学生ですよ」
「はぁ?」
源が助け船を出す。
「シュウ様は……雨夜様より自分の方が強いから無理をするな、と仰りたかったのでは?」
「そうそう。みなもっちゃん! その通りだぜ」
その時、園庭の方から声を掛けられた。
「シュウ兄! 雨夜ちゃん! どこに行ってたの? あ、カレーお代わり!」
セドリックと健太が容器を片手に駆けてくる。健太の後ろに見知らぬ少女達の姿を見付けた。
「おや? 知らない女子がいるな。 誰だい?」
「ジャスミンちゃんって言うんだ。一緒にいる子は妹のルトナちゃん」
ジャスミンと呼ばれた少女は、さらさらの長い黒髪を後ろで束ねた素朴な雰囲気だ。隣には十歳にも満たない妹がいる。二人とも服は痛んでおり、顔には疲労感が滲み出ている。
(難民の姉妹かな……。ま、それを詮索するのは野暮ってもんだろ)
シュウは満面の笑みを浮かべた。
「ジャスミンちゃん! ルトナちゃん! よく来たな! 俺はシュウ! よろしく」
ジャスミンは笑顔で挨拶をする。
「ジャスミンです。よろしくお願いします。シュウさん」
ルトナは照れてジャスミンの後ろに隠れてしまった。シュウは屈むとルトナの頭に手を乗せた。
「どした? カレー美味かったか?」
ルトナは遠慮がちに答えた。
「……うん。あ、ありがとう」
「いつでも遊びに来いよ!」
シュウが笑顔を見せるとルトナも微かに笑った。
「う、うん。あの……どうして?」
「何が?」
「……ど、どうして優しくしてくれるの? ……お兄ちゃん」
ルトナの目から涙が出てきた。シュウは思わずジャスミンの方を見上げた。ジャスミンは苦笑しながら事情を話す。
「あたし達の国では戦争をしていて辛い思いをたくさんしたの。周りは怖い大人ばかり。人、たくさん死んだ。ルトナはシュウさんが優しくて驚いただけ。悲しくて泣いているわけじゃないよ」
ルトナの涙は止まらない。
――辛い記憶は幸せで上書きすればいい。シュウはそう思った。シュウはルトナを抱きしめて頭を撫でた。ルトナは一瞬驚いたが、すぐにシュウの胸に顔を埋める。
「……お兄ちゃん」
シュウはルトナの背中をさする。
「この国で楽しい思い出を沢山作ればいい」
「うん。ありがとう」
雨夜と源は笑顔でその様子を眺めている。しかし、雨夜の胸中は複雑であった。
(シュウさんは悪ぶっているけど優しい方……。私はそんなシュウさんを凄惨な事件に巻き込もうとしている……。彼の正義感を利用して)
雨夜は小さな手を胸の前で組み、目を閉じた。
(私は……地獄に落ちるでしょうね)
「雨夜様? どうかされましたか?」
源が雨夜に声を掛けた。信念と感情の狭間で揺れる彼女を気遣っているのである。まだ幼い彼女が背負っている水門の使命は重すぎるのだ。
「何でもありません。大丈夫です。源さん」
源はリンの方を見た。リンは何やら複雑な表情でシュウとルトナを見詰めている。いつもなら嫉妬して間に入ろうとするのだが、さすがに空気を読んでいるようだ。
シュウはルトナの身体を離すと笑顔で言った。
「そうだ、カレーをタッパーに詰めてやるよ! 持って帰って食べるといい」
「あ……。う、うん……。ありがとう、お兄ちゃん」
ルトナは俯きながら遠慮がちに答える。そして顔を上げると天使の笑顔を見せてくれた。シュウは振り返るとリンに言った。
「リン、頼む。ジャスミンちゃんの分と二人分詰めてくれ」
「はい、兄さん」
カレー弁当を持たせると、ジャスミンとルトナは健太達に連れられ、遊具の方へ走っていった。その姿を見送り、シュウは雨夜に言った。
「雨夜。子供を犯罪に巻き込むなんて許せないぜ。絶対止めてやろう。ファイブソウルズを」
雨夜は一瞬視線を逸らしたが、すぐに力強く頷いた。
――夕日が園庭を照らしている。昼間に溢れかえっていた人影は大分減っていた。シュウとリン、源は片付けを手伝っていた。雨夜は園庭で児童と触れ合っている。
「ふー。今日は疲れた。リン、大丈夫か?」
シュウはエプロンを外すと、隣にいるリンへ話し掛けた。
「はい。今夜は貰ったカレーにしましょう。兄さん」
その時、ふわっと風が吹き、シュウの頬を撫でた。シュウは雨夜の方を見た。理由なんてない。ただ、何となく……である。そうとしか言いようがなかった。
――言うなれば、それはシュウの第六感だった。
雨夜は一人で佇んでいた。先刻までは子供に囲まれていたが、今は一人だ。夕日を見上げている。
「……雨夜」
シュウはぼそりと呟いた。その呟きを聞き取ったリンがシュウの方を見る。シュウは雨夜の方へ歩き出した。つられて源も雨夜の方を見た。
――とっとっと、とルトナが雨夜に駆け寄ってくる姿が視界に入った。手にはカレー弁当が入ったエコバッグを大事そうに持っている。
雨夜がルトナの接近に気が付き、笑顔で迎えようとしていた。
(……あれ? なんだろう、これ)
シュウは喫茶店での雨夜とのやり取りを思い出していた。
――標的は本当に日本か?――
――どういうことですか?――
――お前等、水門重工が標的って可能性はないのか?――
シュウは駆け出した。そして本能のままに叫んでいた。
「雨夜! そこから離れろぉ!」
その声に雨夜は振り返った。
「シュウさん?」
駆け寄ってきたルトナは笑顔で雨夜に抱きつき、ひとこと言った。
「死んで」
――次の瞬間、ルトナの身体は青白く発光し、大爆発を起こした。爆音が鳴り響き、黒煙が立ち上る。園全体が揺れるほどの衝撃だ。
シュウは激しい爆風と高温に身をさらされながら叫んだ。
「雨夜ぉぉ!」
シュウの目の前で一人の少女が自爆した。
【参照】
絶対零度に殺されかけた→第四十五話 絶対零度
カレーパーティー→第五十三話 異人自由学園
雨夜とお茶→第五十五話 高原雨夜