第六十五話 野生の龍
後藤は東銀を北上していく。このまま進むと一宮に入ることになる。一宮は東銀より治安が悪く、テリトリー争いが頻発する区域だ。
しばらく進むと、後藤は横道に逸れた。その先は二つのコインパーキングが並んでおり、ビルとビルの狭間で、ぽっかりと空間が空いていた。アスファルトはひび割れ、そこから雑草が生えている。
まだ昼時だが、人気のない寂しい場所である。
パーキングの向かいは中途半端に解体された巨大な立体駐車場である。基礎建築が剥き出しのまま長年放置されており、不気味な様相を呈している。いずれここも更地になるのだろう。
後藤はパーキングの自販機の横でタバコを吸っている。誰かを待っている可能性があった。
稲葉とフィオナは立体駐車場の十階に上がり、後藤を見下ろしていた。解体途中なので、転落防止柵や壁は無い。ふきさらしの駐車場で柱に身を隠しながら、眼下に注意を向ける。
「後藤は武闘派と言われているが、奴の真価は戦闘力ではなくマネジメントだ。戦略を立て、場を仕切る能力に長けている。喧嘩っ早く見えて、実は頭脳が明晰なんだ」
稲葉が後藤を見張りながら解説する。呆れるほどの仕事人間である。
「……一服しているだけに見えるけれど」
フィオナが率直な感想を言った。
「まあ、見てろ。後藤がDMDの取引でも始めたら、取り抑えられるぞ。それだけで龍王の戦力は削がれる。抗争を未然に防げる可能性がある」
後藤が三本目のタバコを咥えた時、一人の少年が現れた。年齢は十代半ばである。まだ若い。
黒髪が無造作に伸びており、日本人にはない野性味があった。左目を跨いで切り傷がある。隻眼ではないが、目を引く風貌をしていた。ブラウンの長袖ポンチョを着ている。
後藤は傷の少年の接近に気が付くと、タバコを足下に捨てて踏みつけた。
少年は後藤の横を通り抜けて自販機の側面に背中を預ける。狙撃を意識した位置取りにも見える。その所作は紛争地の前線にいる戦士のようであった。
――遠目でも分かった。
――あれはヤバイ。
稲葉は柱に身を隠し、フィオナに小声で話し掛けた。ここから五十メートルは下にいる後藤達に聞こえるわけがないが、本能的に声量を下げている。
「おい、ラクルテル。龍王にいたか? あんな奴」
フィオナも少年が纏う禍々しいマナから何かを感じ取ったらしい。気配を消して稲葉の問いに答える。
「……さあ? 写真撮って本部に送ってみるわ。……副会長なら何か知っているかもしれない」
フィオナは協会から支給されたスマートフォンを取り出した。超ズーム機能がついたハイエンドスマホである。
稲葉が頷きながら親指を立てている。ゴーサインらしい。
「はぁ」
フィオナは溜息をつくと、柱から身を乗り出し、スマホを下へ向けた。
しかし、液晶画面の中に少年の姿が無い。
(……いない!)
「おい! ラクルテル! 上だ!」
――稲葉が叫んだ瞬間だった。
遙か下にいたはずの少年がフィオナの頭上を跳び越し、そのまま場内に侵入してきたのである。
「……ッ!」
フィオナの初動は早かった。素早くレイピアを抜くと、着地前の少年に鋭い突きを放った。
しかし、少年は空中で素早く回転し、ポンチョの裾で刃をいなす。そして着地した瞬間にバク転し、二人から距離をとった。その間、僅か十秒にも満たない。
稲葉とフィオナは互いの間合いを侵さない程度に離れた。その間も少年から目を離さない。いや、離せなかった。よそ見をした瞬間に何をされるか分からないからだ。
一瞬で十階の高さまで駆け上がってくる機動力、フィオナの突きを空中で回避する瞬発力、そして冷や汗が出るほどの殺気――。
錆びて朽ちた駐車場で三人が向き合っている。
剥き出しの数多の鉄柱が視界を遮る。天井までの高さは五メートル程だが、所々崩れて上の階が見えていた。かなり立体的な構造である。先程の勢いで跳び回られたら厳しい戦闘になることが明白であった。
「……」
少年はポンチョの中から、二本の湾曲した短剣を抜いた。その短剣をクロスさせ、腰を落とす。眼光は鋭い。漲る殺気を隠そうともしないその姿に、稲葉はこう思った。
――まるで野生の龍だな。
幻獣に例えた自分に呆れながらも、率直にそう思った。
横でフィオナがレイピアを構える。
(これまでも、ラクルテルとは何度か修羅場をくぐってきたが……。今回は過去一だな)
目を逸らした瞬間に斬りかかってきそうである。どうやら逃げられそうもない。稲葉は腹をくくった。
「AA級のポイント稼ぎといくか」
稲葉は右手を前に構えた。
【参照】
副会長について→第二十四話 ブラコンの副会長
後藤について→第二十九話 龍王の襲来
稲葉について→第五十六話 異能訓練校