第三百八十九話 魔龍街と煙管の女
二人の男女が中国の空港に降り立った。男は中肉中背で記憶に残らない平凡な容姿だ。女は頬に傷があり緩んだ笑みを浮かべている。どちらも東洋人である。
「ヤオさんは久しぶりの帰郷で感慨深いですか?」
「あは! 違うって遠藤さん。アタシは中国生まれだけど異人島のスラム育ちだから。この国にはなーんも思い入れはないよん」
遠藤とヤオは埼玉に拠点を持つ異人組織[龍王]に所属している。遠藤は作戦参謀、ヤオは戦闘員だ。今日は中国拠点の視察と別組織の商談を控えていた。
「郷愁とかそういう意味ではなくてですね。えーっと……本当に大丈夫ですか? 今回の相手は……」
「だいじょぶ、だいじょぶ! あ、お腹空いたかも!」
ヤオは露出が多いへそ出しルックだ。くびれたウエストをペチペチ叩く。遠藤はその無防備な振る舞いを見て顔を赤らめた。
「わ、私の機内食も食べたでしょう。我慢してくださいよ」
空港は人で溢れかえっている。様々なテナントが軒を連ねており、ヤオが子供のようにキョロキョロしていた。遠藤は今にもレストランに飛び込みそうな彼女をなだめながらロビーへ向かう。大量の団体客をかき分けて開けた場所へ出ると「遠藤さん・ヤオさん歓迎!」と書かれたボードを持つ男を見付けた。
「遠藤さぁーん、ヤオさぁーん! いらしていますかぁー!」
真っ赤なスーツを着た派手な男だ。金髪で肌が浅黒い。近付くとデオールの香水がプンプンと香る。遠藤は笑顔で挨拶をした。
「はじめまして。私は遠藤といいます。こちらは護衛のヤオさん」
「どもっす! ボクは繁田です。龍王の中国支部でブローカーやっています。ささ! 行きやしょう、旦那!」
繁田はニカッと笑うと遠藤の肩を叩いた。そのままヤオの方を見て硬直する。爬虫類のような目でジッとこちらを視ていたからだ。目は無感情、口元は笑っているから余計に不気味であった。
「はっはは……。い、行きますかぁ? 外に車あるんで」
繁田は先導しながらそそくさとロビーを出ていった。
◆
空港から車で三十分程度。荒れ地に高層ビルが密集して建っており、まるで一つの巨大な建築物のような様相を呈していた。ビルとビルの間は異常に狭く、大人が手を伸ばしたら届きそうである。迷路のような路地は昼でも夜のように暗い。ビルが日を遮るからだ。
地下、下層、中層、上層の壁の素材が異なるのは違法に継ぎ足し増築したためだ。いや、厳密には違法ではない。ここ「魔龍街」は大戦後、各国の利権が入り乱れ、法的な空白地帯と化しているからだ。いわゆる飛び地、事実上の無政府状態なのである。五ヘクタールの敷地内に八百棟のビルが密集し、戦争や差別で国を追われた難民や異人が大量に流入した。人口は八万人を超える。
殺人や誘拐、麻薬密売、売春は日常茶飯事。通路には死体や薬物中毒者が転がっている。住民はその脇を平然と通り過ぎ買い物や通勤、通学をしている。見て見ぬ振りが魔龍街で生き抜くコツだと知っているからだ。
法の及ばない地で警察が来ないため、様々な反社組織が事務所を構えており抗争が頻繁に起こる。一概には言えないが上層階ほど強い組織が入っている。下層階はゴキブリとネズミが頻繁に発生するため家賃が安い。普通人も多く生活していた。
中層階の窓から一人の女が魔龍街の街並みを見下ろしていた。奇麗に切り揃えられた黒髪が風に吹かれて揺れている。赤いチャイナ服の裾からはスラリとした白い足が見えていた。細い指で煙管を持ち優雅に紫煙を吐く姿は美しさと儚さを感じさせる。
「まったく……ここからの景色は気が滅入るな」
こう呟く妖艶な女の名をユエという。
窓から見えるのはスラムの建物群。聞こえてくるのはガダガタと煩いビル風、そして数多の室外機の稼働音。彼女でなくても鬱々とするだろう。
「お嬢。そろそろ龍王の奴等が来るぜ。なんだっけ。ほら、遠藤って日本人」
背後から声を掛ける大柄の男は側近のベンだ。ユエは背を向けたまま「そう」と答えた。
「信用できるのか? 確かに龍王は龍尾と抗争中って話だが、そりゃ日本でのことだろ。ここは中国……しかも魔龍街だ。昨日の敵は今日の友。スパイかもしれんぞ」
「ここは陰謀と裏切りが渦巻く世界の掃き溜め。疑心暗鬼が平常運転。入ったら生きて帰れないとまで言われる魔窟。そんな所にたった三人で来るんだよ。ある程度は信じられるんじゃないか?」
「ある程度かよ。大丈夫か、マジで」
「ふふ。私をガッカリさせるような取るに足らない男だったら――殺してしまえばいいよ」
ユエは振り返ると妖しく微笑む。その手には拳銃が握られていた。
【参照】
遠藤①→第七十話 特殊詐欺で人生を変えてやる
ヤオ①→第百三十五話 逆鱗のヤオ
異人島→第百七十九話 絶海の孤島
ヤオ②→第二百九十一話 闇の少女は光を纏う
遠藤②→第三百十六話 狂女の哄笑




