第三百七十六話 この妹が最後に笑ったのはいつだったか
シュウは喧嘩相手の保護者に通報されて職員室へ呼ばれていた。担任の桶川は異人に差別意識がない女性で、何かと問題を起こすシュウを心配している。
「俺は悪い奴をぶっ飛ばしているだけだぜ。うちのミッチーがカツアゲされたから仕返ししたんだ」
「どんな理由があろうと暴力を振るったらいけないわ。あなたも森川くんみたいに高校受験の準備をしないとね」
「俺は就職するよ」
「またそんなこと言って。学歴は大事なの。せめて高校は卒業しておかないと苦労するわよ」
「施設出の異人なんてどんなに頑張っても負け組だろ。工事現場とかで働くなら学歴関係ねーじゃん」
「リンちゃんはどうするの。たった一人の妹じゃない。彼女のことを思うなら、ちゃんと進路を考えないといけないわ」
「……あんたにはカンケーないだろ」
桶川は悲しそうな表情でシュウを見ている。
「俺みてーな不良はどこ行っても変な目で見られる。この金髪だって地毛って言ってんのに誰も信じやしない。むかつくから黒く染めるつもりもねーな」
悪態をついていると、ガラガラッと大きい音を立てて扉が開いた。
「失礼します! シュウの保護者のランでーす」
ランが肩で息をして入ってきた。走ってきたのかキラキラとした金髪が無造作に跳ねている。慣れないスーツ姿だが、秘めた色香は隠しきれない。
彼女が持ち込んだ空気で職員室が色めき立つ――が、本人に自覚はない。額に汗してニッコリ笑うと、男の教員達が赤くなって目を逸らす。蠱惑的な金色の瞳で見詰められると異性はイチコロであった。
「あ、桶川先生ー! いつもシュウがお世話になっていまーす」
愛想笑いを浮かべながら桶川の席までやってくると、パァン! シュウの頭を叩いた。
「いってー! 何しやがる! くそばばぁ!」
「ひとさまのお子さんに迷惑かけんな!」
「だぁかぁらぁー! カツアゲの仕返しだっつーの! ミッチーが五千円とられたんだよぉ」
「うっさい! それと進学しろって何回も言ってんだろ! あんたとリンを大学に行かせるくらいのお金はあるから遠慮しないでいいの」
「本当の親じゃないくせにお節介焼くなよ! うぜーから!」
「生みの親より育ての親の方が手間と愛情がかかってんのよ!」
既に校内では見慣れた光景になりつつあるが、桶川が仲裁に入る。
「まあまあ、お二人で話し合ってみてください。大事なことですから」
「本っ当ぉに申し訳ありません! ほら、あんたも謝るの!」
そう言ってシュウの頭を強引に下げさせた。「ぐぎぎぎ……!」シュウは抗ったが雷火の圧倒的な腕力の前には無駄であった。
◆
ランは仕事の途中で抜け出してきたらしく先に帰っていった。シュウは八つ当たりをするように校内の木を蹴飛ばす。枝が揺れてカラスが飛び去っていった。
彼女の愛情が分からないほど子供ではない。しかし実の子でないことの負い目があった。
(俺とリンがいなければ結婚して本当の子供だってできるかもしれねーのに……)
憂鬱な気持ちを振り払うように素振りをしていると、血相を変えた森川達が走ってくる姿が見えた。
「おい、シュウ! 北中がサイレントキラーにやられたぞ!」
「ふーん」
シュウの脳裏にシンユーの顔がちらついた。シンユーは児童養護施設、月の家で暮らしている。星の家とは同じグループで、言うなれば幼馴染みのような存在だった。
「シンユーがやられたのか?」
「いや、三年の小林のグループだ。現場は廃墟街。清掃業者が倒れている小林達を発見したらしい。やられた連中は自分の首を引っ掻いたり胸を掻きむしったり……もがき苦しんだ形跡があったらしいぜ? これじゃ協会か警察が動き出すかもしれない。勘弁してくれ……受験に影響したらどうすんだよ……」
森川達は青い顔をしながらも習慣的に塾へ向かった。シュウはその背中を見送ると意味もなく空を見上げる。夕焼けだった。緊迫した状況に似合わない郷愁を誘う美麗な色合いだ。この空の下のどこかに化け物がいるのだろうか――。
「ん?」
校門前に人影が伸びていた。嫌というほど見慣れた顔――リンだった。憂いを帯びた目でシュウを見ている。卵形の輪郭と大きな瞳、こぢんまりとした鼻と口。小動物のように愛くるしい容姿だが、表情が、雰囲気が、纏っている全てが暗い。見ていて鬱陶しい。
この妹が最後に笑ったのはいつだったか――思い出せないし、どうでもよかった。
「お兄ちゃん……一緒に帰っていい?」
「……」
どんなに拒絶してもめげない妹の愛が重すぎる。シュウはリンを無視して校門を出た。
【参照】
ラン→第二十話 シュウの師匠




