第三十四話 闇へ誘う女
白石は「ふっ」と一呼吸置いて語り出す。
「私はカリスのグッズは全て買います。数ヶ月前も新作のトレーディングカードを買いました。しかし……」
白石はシャーロットを試すような口調で言葉を発していく。徐々に声のトーンが下がっていく。指紋が付いていない奇麗な眼鏡を掛け直す。
「そのカードに液体化した『ダークマナドラッグ』が吸着していたのです。通常は切手などに吸着させ切手型麻薬と呼ばれますがね。ファングッズが利用されるとは思いませんよ。カード型DMDとでも名付けますか?」
「……」
「私はグッズの製造元を調べました。難民キャンプの近くにあるマキシムラインという工場です。まあ……働いているのは日本語を理解できない難民ですからね。誤ってブツを紛れ込ませてしまったのでしょう」
シャーロットは一言も言葉を発さなくなった。いつもの笑顔ではない。氷のように冷たい表情である。
「マキシムラインのバックには龍尾がいるのですよ。反社との付き合いは二代目の社長になってからみたいです。麻薬密売は龍尾の資金源です。龍尾はDMDを仕入れ、マキシムラインに卸す。マキシムラインはそれを再加工して捌く。ではトレカをマキシムラインに卸したのは……?」
「……」
「お分かりですか? 暗闇はDMDのことです。龍尾はそれをもたらす存在。だから殺しました。繰り返しますが、私はあなたを守りに来ました。しかし、一つはっきりさせたい」
白石は席を立った。そしてシャーロットの目を見て言う。
「――カリスさん。あなたはDMDのことをご存じでしたか?」
シャーロットはシュウには決して見せない表情を白石に向けている。氷雨のように冷たい表情だ。白い肌が薄暗い部屋の中で儚く見えている。
「私はマキシムラインからDMDを買っています。黒い袋に入ったパックですよ。知っていますか? DMDを摂取するとマナが黒色に変化するらしい。私はもう真っ黒でしょうね」
白石の言葉にシャーロットは微かに笑みを浮かべた。鮮やかなグリーンの瞳が暗い色に沈んでいく。彼女の目に映っているのは漆黒の闇である。
「DMDが切れると大変ですよね。現実世界でバッドトリップ中の光景がフラッシュバックする」
白石はシャーロットを指差して核心に迫った。
「先程のあなたはうなされていました。あれはDMD切れによる禁断症状では?」
少しの沈黙の後、シャーロットは冷静に、冷血に、冷徹に――笑った。
「……ふふ!」
白石はシャーロットの冷たい笑顔に一瞬怯んだ。それ程の豹変ぶりである。しかし、白石は淡々と言葉を続ける。
「あなたが警察にも協会にも行かなかった本当の理由はDMDの追求を恐れたからでしょう」
次の瞬間、シャーロットは弾けるように笑った。
「きゃはは! うふふふ! あーあ……」
笑い、溜息をついた後、シャーロットは十年ぶりに<擬態>を解いた。
刹那、青黒いマナが生き物のように溢れ出す。彼女の内からほとばしる暗闇が、厚い霧のように拡散される。いつの間にか足を縛っていた縄が解けている。彼女はゆらりと立ち上がる。
「……そっかー。私の本当の色って透明ではなくて……黒かったんだー。なるほど、私にお似合いです」
シャーロットは白石の方へ一歩踏み出した。
「……これ程とは。まさにダークマナの歌姫」
白石はシャーロットから一歩離れた。彼女の異様な雰囲気を感じ取っている。シャーロットはゆっくりと歩みを進める。青黒いマナがシャーロットの軌跡を陽炎のように描く。
「……あの時、赤目の少年が言ったとおりでした。私にはダークマナが似合っている。闇こそ人の真理だ」
シャーロットは妖艶な笑みを浮かべる。彼女を中心に黒色や青色、紫色が混ざったような暗黒のマナが放出される。白石は更に距離を取る。その分、シャーロットは歩み寄る。
「白石さん……同類のあなたなら……私のマナを受け止めてくれますか?」
シャーロットはゆっくりと距離を詰め、白石の頬を両手で撫でる。
白石の瞳にシャーロットの顔が映っている。シャーロットの瞳は鮮やかなグリーンではなく漆黒の闇だ。そこに白石の顔は映っていない。
視認できるほど濃厚なダークマナが二人の周囲を螺旋状に立ち上る。常人なら致死量のダークマナだ。それを浴びながら白石は恍惚とした表情で答えた。
「……ええ。カリスちゃん。私も一緒に――」
シャーロットの瞳に暗黒の炎が灯った瞬間――カンカンカン! と螺旋階段を降りる音が響いた。そして――。
「シャーロット――!」
大きな声が響き渡る。シュウが自分の名前を呼んでいる。シャーロットはシュウの声に激しく反応した。びくっと肩を震わせる。おどろおどろしい青黒いマナはフッと霧散した。
「……シュウさん?」
シュウは螺旋階段の手すりを乗り越え、地下室へ飛び降りた。青白い電気のマナを纏っている。その眼光は凜々しく鋭い。シュウは白石に掴みかかった。
「てめぇ! よくもシャーロットさんを! 警察に突き出してやる!」
電気のマナを込めた右ストレートを打ち込もうとした瞬間、白石は崩れ落ちた。カチャンと黒縁眼鏡が落ちて割れた。
「あ、あれ?」
シュウは屈んで白石の様子を見る。
「何でこいつ笑ってんだ? 気持ち悪いな」
白石は弛緩した笑顔で、目を開けたまま意識を失っていた。頬を叩いても反応しない。シュウと白石から一歩引いた所でシャーロットは様子を見ていた。そして小さな声を出す。
「……シュウさん」
シュウはその声にはっとして立ち上がる。そしてシャーロットに駆け寄り抱きしめた。
「シャーロットさん! 本当にごめん! 怖い思いをさせて!」
シャーロットは少し躊躇し、ゆっくりとシュウの背中に手を回した。その腕にきゅっと力を入れる。
「……シュウさん」
「本当によかった、酷いことされなかったか? シャーロットさん」
「あ、はい。何もされていません」
「こいつストーカーだったんだよな? 警察に連れてって、そんで帰ろうよ」
「あの……シュウさん。何か視ました……か?」
シャーロットはシュウの腕の中、上目遣いで質問する。グリーンの瞳は不安に揺れている。その質問にシュウは首を傾げた。
「ああ、こいつがシャーロットさんに抱きついているのは見たよ。全く! 身の程をわきまえろって感じだな。このメガネくんは」
シュウは優しくシャーロットの身体を離そうとするが、彼女はそうしようとしない。
「えっと……離してくれないと帰れねーけど」
「シュウさん……。さっき呼び捨てでしたね。シャーロットって」
「あ、ゴメン。テンパってて!」
「ううん。嬉しかった……です」
「ええ! な、なんかすいません」
その時、螺旋階段を降りる複数の足音が聞こえてきた。階段の方を見ると、リンとチェンの姿が見える。
「兄さん! 大丈夫ですか! ……って、ああ!」
リンは抱き合っている二人を見て大声を出した。
「二人とも不謹慎です! ああ! もう。離れてください!」
「いやー。さすが兄貴! 無事解決だ!」
チェンは涙ぐんで二人を称えた。こうして長かった一日は終わりを迎え、ストーカー事件は解決したのである。
【参照】
マキシムラインについて→第十三話 難民の工場
暗闇について→第十四話 シャーロットの憂鬱
警察を嫌がるシャーロット→第十六話 異人の歌姫
DMDについて→第二十三話 スパイダー