第三百十五話 赤龍の咆哮
シンは深夜の籠鳥町をひたひたと歩いていた。横を流れる河からは潮の香りがする。闇の中で古びた外灯が点々と灯っていた。まるで自分の周りだけ空間が切り取られたように人がいない。インロンが死に、フェイロンとリーシャが決裂した時と状況が酷似している。運命の気まぐれに吐き気がした。
「目が覚めたかよ。おやっさん」
突然声がした。気が付くと複数の男に囲まれている。シンはゆっくりと視線を切った。目の前にガンがいる。
「そんなに情けねぇ顔すんなよ。シャンリンが来てから心まで日和っちまいやがって」
「……やはりアイチンとチュランが報告してきたことは本当だったのか」
ガンは二本の柳葉刀を構えながら答えた。
「ああ、俺は龍王の策略を知っていた。あの女は俺にとっても目障りだったからな。二代目赤龍が二人だぁ? 馬鹿言ってんじゃねぇよ。そりゃ長年尽くした俺への裏切りだろうが」
これはクーデターだ。シンは身体が冷えていくのを感じた。心の奥底で何かがゾワリと首をもたげる。
「跡目問題が浮上した頃に龍王の遠藤って男が接触してきたんだ。あいつはすげぇ。まるで親友のように俺のことを理解していた。俺は悩まなかったぜ? 二つ返事で策に乗った」
「……」
「ここであんたを討ち、俺が赤龍を継承する。そしたら龍王側につくぜ。くそったれな龍尾とはおさらばだな」
「ガンよ。お前はドラッグに関わり……シャンリンを見殺しにして、龍尾を裏切った。当然死ぬ覚悟はできているんだろうなぁ」
ザワザワとマナが騒ぎ出す。巨大な炎が遙か頭上に発現した。憤怒と絶望を体現したかのような煉獄の炎。それはまるで龍がトグロを巻くように膨張していく。五天龍の前に敵などいない。覆しようのない圧倒的なマナの差にガンの舎弟達は戦意を喪失していた。
「パイロ系の上級技<火災旋風>。おやっさんが炎使いの頂点に名を連ねる所以か」
ガンが嘲笑を浮かべた瞬間だった。上空で膨張しきった火球が酸素を求めて一気に地上へ伸びてきた。疾風迅雷、烈火の降龍――赤龍の顎門がシンの周囲を呑み込んだ。炎が激しく燃え上がる。ゴオォォ! 怒りの咆哮が全てを焼き尽くした。
――ガンはぼんやりと夜空を見ていた。うめき声を上げて顔を動かすと自分の下半身が無いことに気が付いた。「くく」思わず笑う。シンは冷酷な目でガンを見下ろしていた。
「遠藤も分かっていただろうな、俺が勝てるわけねぇって。へへ、俺は贄か……。なあ、おやっさん。俺は……戦うあんたに……惚れていたんだ。歯向かう奴には……容赦しねぇ。インロン殿が死ぬ前の……冷酷無比の炎になぁ」
ガンは咳き込み吐血する。
「あんたから……戦いをとったら……なにが残るんだよ……目ぇ……覚まし……やがれ」
ガンはそのまま息絶えた。シンは無言のまま天を仰いだ。ガンとシャンリン――赤龍は一夜のうちに両腕を失ったのだ。
「龍王の遠藤か……その名前忘れねぇよ」
シンは絞り出すように呟いた。
「カラーズの小僧。そこにいるんだろう」
建物の陰から葛巻が姿を現した。その表情は暗い。
「すいません。僕の力及ばず……こんなことに」
「気にするな。この結果は俺の責任だ。――で、お前に死体の処理を依頼したい。丁重に葬ってくれるか」
裏切り者のガン達は赤龍の門を潜らせられない。あと数時間で夜が明ける。人が来る前に処理する必要があった。汚れ仕事はカラーズの得意分野だ。
「お任せください。痕跡は残しません」
シンは葛巻の前を通り過ぎたが、少し歩いて振り向いた。
「……お前。さっき学校付近にいたよな」
「は?」
シンに感情らしいものは見えない。怒ってもいない。悲しんでもいない。およそ人の表情ではなかった。冷や汗が止まらない。足が震える。一歩も動けない。
「どこからどこまで視ていた?」
「ぼ、僕は……」
シンは何かを覚悟した表情で――触れたら切り刻まれそうな危うい雰囲気を醸し出している。葛巻は呼吸が浅くなっているのを感じた。口の中が乾いていく。
「僕は……何も視ていません」
「そうか」
シンはフッと笑うと踵を返した。そしてそのまま歩いて行った。葛巻は呆然としながら足元の死体を見ていたが、スマホを手に取り仲間と連絡を取った。
――この日、もう抗争は起こらなかった。赤龍と藤堂会、二大勢力の長は沈黙し数日が経過した。
【参照】
龍王の遠藤→第二百六十二話 中途半端な悪党




