第三百十四話 赤い蝶は夢を見る
私は中華街を目指して歩いていた。剣崎はデジマ橋まで私を見送ると去っていった。藤堂会の構成員は撤退したらしく一人もいなかった。疲れていた。ただひたすらに歩いた。最期におじ様に逢いたかった。
「おじさま……」
深夜だった。通行人の姿はない。服は真っ赤に染まり血は未だに止まっていなかった。剣崎が水球で止血しようとしたが、表情を歪めて諦めた傷だ。「生きているのが不思議だ」と言っていた。私の意識は途切れそうになっていた。もはや本能で歩き続けた。
しかし橋を渡りきったところで力尽きた。ここはもう藤堂会の縄張りではない。死ぬことが許される場所だ。横を見ると学校が見えた。ふと懐かしくなった。中国の農村にいた頃、農作業の手伝いが忙しくて学校へは行かなくなった。未練がなかったわけではなかった。貧乏じゃなければ普通に卒業して普通に暮らしていたのかもしれなかった。大好きなお父さんと一緒に――。
「おじさま……ごめ……なさい」
もう歩けない。私は校門の前に座り込んだ。血は出尽くしたのか止まっていた。なんで生きているのだろう。私は目を閉じた。
――これは夢?
瞼の裏に故郷の山々が見える。貧しいけどジャガイモの名産地だった。鳥が友達だった。獣が友達だった。虫が友達だった。固有種の赤い蝶が大好きだった。
「帰り……たいなぁ……おとう……さん」
目から涙が溢れてきた。血もマナもないのに涙は出た。不思議だった。うっすら目を開けた。するとこっちに向かって走ってくる人影があった。思わず目を見開いた。
「シャンリーン!」
おじ様だった。あんな必死な顔を初めて見た。私はもう上手く喋れなかった。
「しっかりしろ!」
おじ様は私の傷に手を当てて絶望した表情を浮かべたが、すぐに優しい笑顔になった。静かに私の頬を撫でてくれた。最期の時だ。これが本当の最期。私はおじ様に言うことがある。この抗争には龍王が関与している。籠鳥町はもはや安全な場所ではないと。
「おじ……さま」
声が掠れる。
「ああ」
おじ様は私の言葉に耳を傾けている。だけど、私の最期の言葉は――。
「おとうさん……だいすき」
――父のように慕っていました。
「私もだ。愛しているよ。シャンリン」
シンの言葉を聞いたシャンリンは微笑んで目を閉じた。そのまま目を開けることはなかった。シンはシャンリンを抱きしめると頭を撫でた。――ひゅうと風が吹く。夜空の月は儚く輝き、一筋の星が流れた。
【参照】
水球で治癒①→第九十八話 世界の平和
水球で治癒②→第百二十八話 ソフィアの試験




