第三百四話 火蝶を使え
南龍飯店の裏には道場がある。道場の内側には火属性の結界、外側には水属性の結界が張られている。これは火の耐性に特化した二重のマナ結界だった。
道場の中央でガンとシャンリンが向き合っている。弟子達がその周りで固唾を呑んで見守っていた。ガンは柳葉刀を模した木刀を手に取ると一本をシャンリンへ投げた。柳葉刀とは中国武術で使用する婉曲した片手刀である。
「本気で来い。シャンリン」
ガンは木刀をシャンリンへ向けた。するとお団子ヘアの少女が間に入る。シャンリンの一番弟子であるアイチンだ。周囲がざわつく。
「割り込んでごめんなさい! あ、あの……ガン様。シャンリン姉さまは昼の勤務で疲れております。日を改めるわけにはいかないでしょうか」
ガンは目を細めた。アイチンは怯えながらも引かない。
「アイチン、私は大丈夫。後ろで見ていなさい」
「で、でも!」
ガンが口を開いた。
「お前等は分かっているのか? 赤龍一派に名を連ねることの意味を、その看板の重さを、炎使いにとってどれだけ名誉であるかを」
場内が静まり返った。ガンは話を続ける。
「日本には手練れの炎使いがいる。ギフターの朱雀華恋。アルテミシア騎士団のブリュンヒルト=フォルスター。龍王の後藤あたりがそうだ。だが俺から言わせてもらえば、全員ただの火遊びさ」
ガンの声は道場でよく響いた。
「協会の序列に十大異人ってのがある。それと同じようなもんが属性ごとにあるんだよ。パイロ系の頂点に名を連ねるのは間違いなく赤龍のおやっさんだ。いいか? 赤龍の看板はそれだけ重いんだ。炎使いの頂点に立つ――それくらいの覚悟を持て。じゃねぇとおやっさんの顔に泥を塗ることになるぜ。俺達は双頭の龍となって……二代目赤龍の名を継ぐんだろうが」
ガンの言葉は重かった。シャンリンに異論はない。十年前、シンに拾われてまだ恩を返せていないと思っている。木刀を持つ手に力が入った。
「……姉さま?」
「下がっていなさい。アイチン」
シャンリンはアイチンの肩に手を置いて下がらせた。
「俺達はこれから炎刀術を使うが、木刀は燃やすなよ。少しでも焦げたら負けだ。一流の炎使いは火の消し方が上手いんだ。お前のマナ・コントロールを示してみろ」
「はい、兄様」
ガンとシャンリンは両の拳を胸の前で合わせて礼をする。本気で戦う意味を持つ抱拳礼だ。
シャンリンの持つ木刀に炎が揺らめく。それに呼応するようにガンの木刀も炎に包まれた。赤龍一派は中国武術と刀術を合わせた戦い方をする。
「いきます!」
シャンリンは一足飛びで踏み込むと、刀を後ろに構えたまま拳撃を繰り出した。ガンはその腕を絡み取ると、その勢いのまま脇腹に向かって刀を薙ぐ。炎を纏った一閃だ。――カァンッと音が響き渡る。シャンリンが背面の刀で斬撃を受けたのだ。すかさずその刀をガンの頭部に向かって振り下ろす。ガンは刀の柄で一刀を受け流すとシャンリンの腹部へ膝を打ち込んだ。
「げほっ!」
それがカウンターとなり両者は距離を取る。歓声が上がった。神速の打ち合い。外からは炎が円を描いているようにしか見えていなかった。木刀は炎を纏っているが焦げた様子はない。神経をすり減らす接近戦の最中でもマナ・コントロールに乱れはなかった。
「どうした、シャンリン。<火蝶>を使え」
ガンは鋭い視線でシャンリンを射貫く。小細工は通用しない。ガンはシンと共に修羅場を潜り、今もなお異人街の裏社会に君臨する炎使いだ。始めから分かっていた、自分とは器が違うと。しかしシャンリンに降参の二文字はない。シンに報いたい。その気持ちが背中を押すのだ。
(私はシン様の――左腕だよ)
シャンリンは呼吸を整えて炎のマナを練り始めた。
【参照】
後藤→第三十話 鬼火の後藤
朱雀華恋→第六十二話 南の守護神
十大異人→第百話 異人喫茶の日常
ブリュンヒルト→第二百二十八話 オオカミを狩る乙女たち
マナ結界→第二百四十二話 教会の結界術士




