第三百一話 大男と東欧の少女
大柄の男がスラム街を歩いていた。龍王傘下龍鱗の直系組織、闇龍に所属する飯田伸介である。反社に似合わず情に厚い性格をしている。口元のヒゲは少しでも強面にするための努力であった。
側には灰色の髪をした少女がいる。名前はアイラ。東欧系の難民で龍鱗直系の逆鱗に所属している。背中に小さい楽器ケースを背負っていた。
龍鱗には他にも諜報部隊の蛟、武闘派の荒川アウトサイダーズというチームがある。これら四つのチームが龍王の主力として動いていた。
アイラが飯田の腕を引っ張る。くりっとしたヘーゼルアイには涙が浮かんでおりフルフルと震えていた。
「え! お腹痛いっすか? 暑いからってアイス食べすぎっすよ!」
アイラは過去のトラウマで声が出ないが、何故か意思疎通が成立していた。飯田は辺りを見回してトイレを探す。ここは出島の難民居住区である。様々な国の文化が入り乱れており、飲食店やホテルは多い。屋台も多く出ている。人口密度は相当なものだ。
「……ッ!」
アイラが腹を押さえてうずくまってしまった。飯田の顔が蒼白になる。
「だ、駄目っすよ! ここでしたら!」
飯田はアイラを抱き上げるとコンビニに駆け込んだ。店員の視線が痛いが構っていられない。共用の個室トイレにアイラを放り込むと扉を閉めた。レジの店員が怪訝な表情をしている。
「ど、どうも」
愛想笑いをして手を振った。店員は褐色肌の難民だった。こちらの笑顔に応えるわけがない。眉間にしわを寄せて飯田の顔を見ていたが、それにも飽きたのかスマホをいじり始めた。
(なんで俺が子守りを……青龍の事件からずっとだよぉ)
ずるずるとトイレ前に座り込んで頭を抱える。視線の先には立ち読みをする無数の難民達がいた。この店の中ではある程度のことは見過ごされるのだろう。
「……」
気が付くと隣にアイラがいた。すっきりとした表情をしている。
「手、洗ったっすか?」
無言で頷く。座り込んだ飯田をじっと見ていた。少女の年齢は分からないが十歳くらいだろうか。東欧のアデルキリア出身だと聞いているが謎が多い。飯田は腰を上げた。
「さて、何か買っていかないと悪いっすよね」
「……♪」
アイラはトトトと走ると冷凍庫の前へ行った。飯田の顔が引きつる。
「うわ! まさかまたアイスを? 駄目っすよぉ!」
飯田は店内を走り回るアイラを捕獲すると菓子パンやおにぎりを持ってレジへ向かった。眉間にしわを寄せた店員は飯田とアイラを一瞥すると舌打ちをする。
(なんかもう……どうでもいいっす)
飯田はアイラの手を引いてコンビニを出た。
◆
「やっほー。飯田さーん、アイラちゃーん」
店を出るとヤオに声を掛けられる。飯田は疲れた顔で振り返った。ニコニコと笑うヤオの隣にはブラッドもいる。
「飯田さんに買ってもらったの?」
ヤオは菓子パンを頬張るアイラの頭を撫でた。
「あ、あのヤオさん。いつまで俺が面倒見るんすかね。この子」
ヤオは飯田の出っ張った腹を摘まみながら笑った。
「だって飯田さんに懐いてるじゃーん。アタシ、子守りとか無理だし」
ブラッドが口を挟んだ。
「おい、ヤオ。お前が前乗りして滞在している拠点へ連れて行け。ちょっとはマシな宿なんだろうな?」
「スラムの安宿だよ。一泊千円」
「ちっ、まともなホテルを手配しとけよ。如月の野郎」
「あはは、ブラッドはそういうとこ細かいよねー」
ヤオは舌を出して笑うと歩き出した。ブラッドはヤオの背中へ話し掛ける。
「……籠鳥町は赤龍のお膝元だ。異人勢力を嫌う藤堂会もいるし、協会の九州支部がある。さすがの龍王フェイロンも進出を避けてきたと聞いている。つまり、俺等龍鱗は敵地のど真ん中に放り込まれているわけだが、参謀の遠藤さんは正気なのか?」
「あは! あの後藤さんも驚いていたみたい。遠藤さんって顔に似合わず大胆だよねえ」
ヤオはそう言うとスラムの奥へ進んでいった。まだ昼だが雑居ビルが空を塞いで薄暗い。ブラッドと飯田は顔を見合わせるとヤオの後に続いた。
「なあ、ヤオ。俺達は青龍に負けたよな」
ブラッドが問う。
「そだね」
「赤龍のシンは龍尾設立メンバーで古参だろ。勝てるわけねぇよ。奴の炎で焼かれたら骨も残らないって噂だ。遠藤さんはどうやってシンを倒すつもりなんだ?」
「五天龍に勝てないのは前回で分かってるじゃん。今回のターゲットはシンじゃないってさ。遠藤さんが考えているのはもっと……怖いことだよ」
ヤオは振り返るとにっこりと笑った。
【参照】
後藤→第三十話 鬼火の後藤
遠藤→第六十七話 特殊詐欺で稼ごう
龍王フェイロン→第七十九話 龍王
荒川アウトサイダーズ①→第八十一話 荒川アウトサイダーズ
荒川アウトサイダーズ②→第百十七話 荒川アウトサイダーズの井戸端会議
青龍→第百三十七話 嵐の前
飯田とアイラ→第百四十一話 行雲流水
如月①→第百五十八話 悪党の流儀
蛟→第二百六十二話 中途半端な悪党
如月②→第二百八十二話 龍王の暗躍




