第二百七十三話 神威計画
シュウと夏目は焚き火を囲んで向かい合っていた。辺りは暗くなってきている。煙が夜空に溶けていった。夏目は他人事のように淡々と話した。シュウは呼吸を忘れるくらいの集中力で聞き入っていた。
「その人はどうなったんだ? ナツさん」
「哀れな男は精神を病んだ。異能を得たが過去を無くした。その施設には男のような異人が沢山いた。男も女も。若者も老人もホームレスも。三千人以上の被験者が参加したが、ストレンジャーになり得る者は五十人もいなかったんじゃないか」
夏目はパチパチと燃える炎を眺めている。
「ある日、施設で暴動が起こった。異人の反乱だ。当時のマナ結界は脆かったし、そこは医療施設であって軍事施設ではなかった。警備が甘かった。被験者は薬でマナ量を増やし特殊な訓練を受けた異人たちだ。普通人の警備を突破することは容易い。脱走した被験者たちは闇に消えていったんだ」
シュウは夏目の手首につけられたブレスレットを見た。被験者の証。夏目はシュウの視線に気が付いた。
「何度も捨てようと思った。でもできなかった。戒めさ」
「ナツさん……」
「男は惚れた女に見栄を張った。自分が異人であることで苦労をかけた彼女に報いたく思った。金を稼ぐことが彼女を幸せにすると思った。でも違った。彼女はそんなことを求めていなかった。娘が生まれてくる時に男と一緒にいたかったんだ。それだけで良かったんだ」
夏目は自虐的に笑った。
「男はもっと彼女と向き合うべきだった。哀れな男はそんな簡単なことに気付かず全てを失った」
「脱走した後、その女の人と娘さんに会いに行かなかったのか?」
「……会いに行けなかった。薬に蝕まれ、心を病み、記憶障害がある。男は考えた――もう昔の自分ではないかもしれない。彼女が当然のように語る思い出話を理解できないかもしれない。曖昧に誤魔化す私を見て悲しむかもしれない。怖かった。男は弱い人間だった。行くあてもなく放浪し……全てを投げ出してホームレスになった」
夏目は語りながら木の枝をカマドへ放り込み、しばらく黙って炎を見詰めた。
「最近、風の噂で愛した彼女が死んでいたことを知った」
「え?」
「そして男は……自分の手で抱けなかった娘が立派に育ち、母親の遺志を継いで異人の支援をしていることを知った」
夏目は缶ビール片手に微笑んだ。
「どうやら、その娘の隣には――良い少年がいるようだ。だから今夜の私は気分がいいのさ」
そう言ってシュウを見詰める。
「ナツさん! もしかして……!」
夏目は何かを言いかけたシュウを制止する。
「他言は無用だ。私は真実を墓まで持っていく。誰も巻き込みたくないんだ」
「なんでだよ! 何に巻き込むって言うんだ!」
「臨床試験の名は神威計画。被験者は神威と呼ばれた。アマテラス製薬は言うだろう。それは新薬の治験であり、人体実験ではなかった。副作用が出た者は最先端の治療を施して最善を尽くした」
「そんな……!」
「最先端治療と謳いながら、実際には薬害事件の被害者が笠原ワクチンの被験者にされたわけだ。異人病と症状が似ていたからね。しかし証拠は何もない。現在、笠原ワクチンは大きな成果を上げて国益となっている。真相は闇に葬られる」
シュウはココナの顔を思い出していた。異人の保護と笠原ワクチンの問題について訴えていた。親子揃って訴えていた。そしてその志の源は目の前の男なのだ。何て運命なのだろう。
「分かるかい? 私たち神威は存在してはいけない人間なんだ。暴動を起こしたテロリスト扱いさ。こんな父親がいたらあの子の将来はどうなる?」
「……それは」
シュウは自分の境遇をココナに重ねて言いよどんだ。
「心春は異人病の研究をしていて死んだ。ココナは笠原ワクチンの問題を発信し脅迫された。どちらも国家機密に触れる。危険だ。まだ引き返せる。もうやめてくれ、もう失いたくない――二度も失いたくないんだ」
「ココナの気持ちはどうなるんだ?」
夏目は笑顔で首を横に振った。
「誰にも言わないでくれ、シュウくん。特にココナには……」
――あの時、夏目が凄まじい剣幕で笠原ワクチンに近付くなと言った意味が分かった。シュウは何も言えずに炎を見詰めていた。自分にできることは何もなかった。そろそろココナが炊き出しを終えて戻ってくる。二人はただ焚火を眺めていた。
【参照】
シュウの境遇→第八十五話 蛇の民と瑪那人
夏目のブレスレット→第百四十二話 夏目和彦
脅迫されたココナ①→第百四十三話 異人病
脅迫されたココナ②→第二百五十話 神威の残党を狩れ
神威計画→第百五十二話 聖浄会の朝倉澪
凄い剣幕だった夏目→第二百五十三話 笠原ワクチンに近づくな




