第二百七十話 哀れな男の昔話をしよう
西綾瀬公園のホームレス村でシュウと夏目は組み手をしていた。最近分かったことだが、夏目はかなり強い。近距離から遠距離まで対応する万能型である。
夏目はシュウの拳撃を回避し、カウンターで掌底打ちを放った。ズシッと重い一撃。シュウは防御をしたが数メートル吹き飛ばされた。その隙に夏目は距離を取る。シュウは舌打ちをすると追撃を狙い、足を踏み出した。そこで夏目が叫ぶ。
「攻撃を止めるな! そこから撃て!」
シュウは目を見開くと右手を突き出した。バリッと青白い電流が弾ける。
「火花!」
電撃が光を帯びて鞭のように撓り夏目のマナ壁を叩いた。「まだまだぁ!」間髪入れず一足飛びで肉薄し、マナ壁を目がけて電拳を打ち込んだ。
「ふっ」
夏目は笑った。指を鳴らすとマナ壁が消失した。「うわっ!」シュウの電拳は空を切り、思わず体勢を崩す。そこで足をかけられ転倒した。一回転して仰向けになる。美しい夕焼けが目に入った。
「今日は終わりだ。少年」
夏目はそう言うと着古した黒いロングコートを脱いで、木々に張られたロープへ掛ける。シュウは肩で息をしながら空を見ていた。視線を下に移すと夏目がカマドの前に座っている。パチパチと薪が弾ける音がした。
「だいぶマシになってきたな。きみには戦闘のセンスがある。だが、攻めが真っ直ぐすぎる。駆け引きを覚えないと狡猾な敵には勝てないよ」
「ちぇっ……分かってるよ」
夏目は淡々と評価する。先生のようだ。シュウは立ち上がると、夏目の向かいに座った。二人で焚き火を囲む。哀愁を誘う煙が立ち上る。空は茜色、焚き火と同じ色だった。
「なあ、ナツさん。一つ聞きたいんだけど」
シュウは缶ビールを飲む夏目に問い掛ける。
「なにかね」
「どうして笠原ワクチンに近付いたら駄目なんだ?」
先日、ココナと笠原ワクチンについて話した時、夏目は鬼気迫る表情でそれを否定した。シュウはそのことが気になっていた。夏目はしばらく沈黙し、こう答えた。
「きみを巻き込みたくないから言えない……と言いたいところだが、そうだな……今日は気分がいい」
不思議と周囲には誰もいなかった。公園の入り口でジャイが炊き出しをやっているからかもしれない。ココナたちがカレーを配っておりホームレスたちはそちらに流れている。警護は玄が引き継いでいた。
「そうだな……」
夏目は目を細めて酒を飲んだ。
「――哀れな男の昔話をしようか」
目の前の焚き火から乾いた音がする。それは聞く者の心を落ち着かせた。
【参照】
笠原ワクチンについて①→第六話 冬の日
笠原ワクチンについて②→第百四十三話 異人病
笠原ワクチンについて③→第二百五十三話 笠原ワクチンに近づくな




