第二百六十三話 俺は元カノの名前を言った
早朝、空気が澄んでいる。見慣れた三葉町の風景。目立った商業施設はなく、集合住宅や工場、荒れ地が連なる寂れた地域だ。一面に広がる畑から土の香りが立っていた。
シュウはすっかり慣れたマンションまでの道をクロスバイクで走っていく。
「ん?」
前から妙な男が歩いてきた。貧相な身なりでホームレスのように見える。何かをブツブツと呟いているが聞き取れない。すれ違う瞬間に目が合った気がした。しかし気に留めなかった。
目的の部屋に着いた。リビングへ行くとココナがシャツとパンツ姿でソファーベッドに寝ている。テーブルの上にはスナック菓子の袋やビールの空き缶が散らかっていた。相変わらずだらしない。
「おはよう。朝だよ、ココナ!」
もう他人行儀ではなかった。シュウとココナの距離は近付いていた。夏目の助言どおり、しっかりと向き合うことにした。不思議なことにそのようにしてからの方が調子は良い。
シュウはキッチンへ入ると朝食の準備をした。いつものメニュー。トースト、目玉焼き、ヨーグルト、切り分けたフルーツ。パンを焼いている間に洗濯機を回す。
リビングへ戻る。勿論起きていない。最近のココナは朝のスキンシップをしないと起きない。思春期真っ只中のシュウには刺激が強かった。香水や柔軟剤のアロマを漂わせながら帰宅するとリンが不機嫌になるが仕方ない。兄さん、うちではこの香りの柔軟剤は使っていません――と嫌味を言われるが、それにも慣れてきた。
「起きねーと遅刻するってば!」
シュウがソファーの前に座るとココナは目を開けた。
「シュウくん、おはよー」
ソファーからズルズル下りるとシュウの膝の上に頭を乗せる。
「さっさと食べてくれないと片付かねーよ」
シュウの小言が心地良いのか、ココナは目を細めて身体をよじる。やはりシャーロットに似ている。ハーフのような顔立ち。外見だけでなく天真爛漫な性格もそっくりだった。
(いや、シャーロットさんはもういないんだ。目の前のココナと向き合わないと多分後悔する。ナツさんの言うとおりだな)
膝の上のココナと目が合った。
「この朝の時間も土曜で終わりかー。村山さん、延長してくれないかな」
村山はジャイの副代表理事でココナの上司だ。異人狩りから脅迫状を送られたココナの身を案じてシュウに身辺警備の依頼をした。期間は一週間だったが念のためにもう一週間延長した。それもあと数日で終わる。
「異人狩りの動きは全くねーし、それは無理だろ。やっぱりただの脅しだったんじゃねーの?」
「やっぱりそーかなぁ。もう事件は解決しましたって感じ? なんか拍子抜けー」
ココナは溜息をついた後に意味深な笑みを浮かべた。
「シュウくんってさー、好きな人とかいるの?」
直球だった。シュウの脳裏にシャーロットの顔がよぎる。
「いた……かもしれない。でもよく分からねーんだ。その人はもういないから確かめようがねーし。だからもう過去の人かな。吹っ切れたんだと思う、ようやくね」
「……その人。亡くなったの?」
「まあね」
ココナは身体を起こすとシュウの頭を撫でた。その眼差しは儚げだ。
「もしかして、その人って……私に似てた?」
「日本人じゃないんだけど不思議とココナに似ていたよ。でも、どうして?」
「シュウくんが私を見る時、懐かしそうな顔することあったから……寂しそうに見ていたよね」
無意識に見ていたかもしれない。シュウには思い当たる節があった。
「あーあ、振られちゃったかな、私! 元カノと比べられて……ぴえーん」
ココナはわざとらしく泣き真似をする。
「ただの思い出だよ。シャーロットさんのことは」
「え?」
ココナの表情が変わる。目を見開いてシュウの顔を見詰めた。
(あ……名前)
シュウはココナの前で初めてシャーロットの名前を言ったことに気が付いた。
【参照】
副代表理事の村山→第百四十三話 異人病
朝のルーティン①→第百六十三話 シュウとココナの朝
朝のルーティン②→第二百十四話 お日さまの匂い
夏目の助言→第二百五十二話 マナを展開しリンクさせて撃つ




