第二百六十話 雨と老人
シトシトと雨が降っていた。傘を差すか迷う程度の雨だ。風が吹くとフワッと舞い、身体に纏わり付いてくる。時間は夕刻。オフィスワーカーが仕事から解放され、東銀が活気づいてくる時間帯だ。ちらほらと客引きの姿が見えてくる。
商店街を二人の少年が歩いていた。氷川南中学校の制服を着ている。水門重工が運営する児童養護施設、異人自由学園で暮らす橋本健太とセドリックである。二人は親友だった。
「なあ、セドリック。お前、最近おかしいぞ」
健太がセドリックの肩を掴む。
「何が?」
「学校終わってから、どこに行っているんだよ? 帰りも遅いしさ。施設長も心配していたぞ」
「遊んでいるだけだよ、心配するなって」
セドリックは笑顔で答える。しかし健太はセドリックのマナに違和感を覚えていた。自分と同じ念動力系だが急にマナ量が増えたのだ。
「お前、明らかにマナが増えているぞ。俺に黙ってどこかで修行でもしてんのか? 授業以外で異能使うなってシュウ兄も言っていただろう!」
「そんなに興奮するなよ、俺は大丈夫だから。ほら、帰ろうぜ」
セドリックはそう言うと施設に向かって歩き出す。健太はそれ以上追求できなかった。空を見上げると雨が強くなってきていた。しかし異人街は賑やかだ。飲み屋の明かりが眩しい。
「おい、健太。変な奴がいるよ」
セドリックが前方を指差した。そこは商業施設の敷地内だった。植木やベンチがあり、ちょっとした広場になっている。変な奴がそこにいた。
「助けてよぉ……助けてよぉ……みんな殺されちまうよぉ」
ホームレスのような男だった。頭は禿げており、前歯が無い。ベンチの前に立ち尽くして道行く人に手を伸ばしている。通行人は道ばたの汚物を見るような目で男を睨んでいた。
「うわ、あれはキツいな! 健太、目を合わせるなよ」
言われるまでもない。健太は目を逸らした。男は明らかに異常だ。目に狂気をはらんでいる。臭いも強烈だ。「なか……にち……くる……なか……にち……くるよぉ」意味不明なことを繰り返している。
健太はそっと視線を向ける。男は泣いていた。表情は真剣そのものだ。しかし、関わるべきではない。(なかにちくる? なんだそりゃ)健太が通り過ぎようとしたその時、男が呟いた。
「で……んけんの……シュウに……つたえ……ないと」
(え?)
健太は立ち止まった。知った名前が出た。電拳のシュウ。確かにそう言った。前を行くセドリックに声を掛ける。
「い、今! シュウ兄のこと……言ってた!」
「はぁ? あり得ないでしょ。俺は聞こえなかったよ。早く行こうぜ、雨が強くなってきた」
セドリックは立ち止まらずに歩いて行く。
(気のせいか……まあ、そうだよね)
健太は後ろを振り向いた。男が雨の中立ち尽くしている。泣きながら何かを訴えていた。
「こいつ、くせぇ!」「ぎゃはは!」「みんな殺されんの? お前が死ねよ!」
不良のグループが男を袋だたきにしている。氷川北高校の男子生徒だ。「や……やめて」男はうずくまって耐えていた。
異人の健太なら不良を撃退するのは容易い。しかし普通人を怪我させた異人は容赦なく捕まる。施設長に迷惑が掛かる。異人差別は残酷だ。
(俺には関係ないか)
健太は溜息をつくと男に背を向けて歩き出した。暴力に飽きた不良は高笑いしながら夜の街へと消えていった。雨は容赦なく降り注ぐ。男はうずくまりながら何かを呟いていた。
【参照】
健太とセドリック①→第五十三話 便利屋の少年と大企業の令嬢
健太→第六十話 異人の中学生
健太とセドリック②→第七十話 難民の少女
健太とセドリック③→第百五十一話 異人狩り




