第二百五十一話 セピア色の部屋と満開の桜
狭いアパートの一室で若い男女が言い争っていた。細い目をした不機嫌そうな男と、ハーフのような顔立ちの可愛らしい女だ。窓は開いており、春風と共に桜の花びらが入ってくる。
「和彦さん、やめてください。アマテラス製薬の臨床試験なんて……」
「心春、俺はマナが視える。どうやら異人もどきと呼ばれるらしい。募集の条件にも書いてあるんだよ、異人であることが望ましいってね。金はかなり良いぞ」
「でも……」
和彦は心春の肩に手を置いた。
「異能が開花すればそのまま就職できるらしい。今、日本は世界に先立って異人保護の気運が高まっている。これはチャンスなんだよ、公務員になれたらお前との将来も安泰だ。君だって安定収入があれば異人病の研究に集中できるだろう」
心春の表情は暗い。お腹に手を当てて呟いた。
「この子が生まれてくる時には……隣にいてほしいんです」
「それは約束できない。期間が約一年って書いてあるからな。でも俺が頑張れば早く終わるかもしれないよ。戻ったら籍を入れよう。心春、愛している」
和彦は心春を抱きしめて囁いた。心春は嬉しそうに微笑んで問う。
「子供の名前は決まりましたか? 女の子です」
「心春の心と和彦の和をとって、心和――ココナ。心を和ませる優しい子に育ってくれると嬉しい……ちょっとキラキラネームっぽいけどね」
「ふふ、可愛いじゃないですか。じゃあココナと二人で待っていますね、和彦さんが戻ってくるのを――」
彼女ははにかんだ笑顔を見せてキスをした。
――夏目和彦は飛び起きた。動悸と吐き気、滝のような汗を流している。暑い。辺りを見渡すといつものブルーテントだった。懐かしい夢を見ていた気がする。セピア色の部屋と満開の桜、同棲相手の顔。
「最悪の気分だな」
夏目は呟いた。時計を見ると昼時だった。枕元にはウイスキーの瓶が転がっている。昨晩、仲間の玄と飲んだのだ。テントから出ると西綾瀬公園の森が広がっていた。
仲間のホームレスが挨拶してくる。「ナツさん、おはよう」「ああ、おはよう」いつものコミュニケーション。異人狩りに命を狙われながらも平穏なご近所付き合い。きっと紛争地の住人もこんな風に生きているのだろう。
森の中に見慣れた顔を見付けた。パーカーを着た金髪の少年、電拳のシュウだ。軽快に素振りをしている。目で追うのがやっとなほど速いパンチ、キック、フットワーク。独特なリズムだ。
「やあ、少年。おはよう」声を掛けた。「ナツさん、もう昼だよ」シュウは汗を拭うと笑顔を見せた。――良い少年だと思う。外面も内面も。夏目はココナがシュウを信頼する理由も分かる気がした。
「我流かい?」
「一応師匠はいるよ。雷火のランって人。強すぎて参考にならないんだけどね」
シュウはシャドーを続けた。夏目は腕を組んで観察をする。マナの流れを見た。非常にスムーズだ。天性のものを感じる。滲み出るマナにエレキ系特有の青い稲妻が見えた。
「いい動きだな。マナ・コントロールはなかなかのものだ。エレキ系初級技<発電>に限って言えばね」
シュウの動きが止まる。
「……ナツさん、あんた何者だ? どうしてそんなに異能に詳しい?」
「私はしがない中年ホームレスさ。きみ、遠距離苦手だろう?」
「ちぇっ、なんで分かるんだよ」
シュウは口を尖らせる。
「心が固すぎる。もっと力を抜け。ガチガチのマナで攻撃力を上げると近距離では強いが、遠くから狙い撃ちされたら手も足も出ない。きみは真っ直ぐすぎる。器用な敵に振り回されてしまうだろうね」
身に覚えがありすぎた。青髪のロウ、黒川南、ジャスミンに苦戦したのは遠距離攻撃だった。しかし、感心した。夏目の言葉は感覚的に説明するランよりは分かりやすい。
「それ、師匠からも言われてさ。遠距離攻撃覚えることになったんだけど、マナを飛ばす感覚ってのが分からねーんだよ。マナ量増やすために瞑想は毎日続けているんだけどな」
夏目は軽く頷くとこう言った。
「<発電>から中級技の<火花>に繋げてみたまえ」
「分かった」
シュウはマナを練り始めた。
【参照】
青髪のロウ→第五話 電拳のシュウ
黒川南→第四十五話 絶対零度
ジャスミン→第七十一話 ジャスミンの正体
ホームレスの夏目和彦→第百四十二話 夏目和彦
雷火のラン→第百二十一話 ランの稽古
アマテラス製薬→第百四十三話 異人病
ホームレスの玄→第百四十五話 ココナの涙
滝本心春→第二百十九話 自死遺族




