第二百四十四話 赤目の教祖さま
氷雨の生活は地味だった。どこにも出かけず部屋にいた。エアコンの温度を十八度に設定し、畳の上で正座をしている。人形のように動かない。
氷雨にドラグラムで一通のメッセージが届いた。ドラグラムとは秘匿性の高いアプリで反社組織に好んで使われるため社会問題になっている。
メッセージには売れたDMPの量と金額、日時と取引場所が書かれている。氷雨はじっとそれを見詰めると、ゆっくり立ち上がる。押し入れを開けると黒いマントを羽織って粉詰めを始めた。
今回は一グラム未満、俗に言うワンパケだった。それでも末端価格で数万円はする。ワンパケで何人分のDMDを製造するか分からないが、氷雨には関係なかった。仮に普通人がワンパケ分のDMPを摂取すると間違いなく死ぬだろう。
特殊な効果を付与された封筒にDMPを入れ部屋を出た。空には巨大な入道雲が浮かんでいる。一雨来るかもしれない。氷雨は黒い傘を手にし、フードを被るとマントを翻して階段を降りていった。
特殊なケースを除いて売人と顧客が顔を合わせることはない。基本的に前払いだ。指定された位置に顧客が現金を置き、売人が受け取る。そして売人がブツを置き立ち去る。受け取り場所は自販機の下や植え込みの中、公衆トイレの便器の裏、コインロッカーの場合もある。
今回は河川敷沿いのトイレだった。既に取引を終え、氷雨は早足で田舎道を歩く。そこは広大なカントリークラブの敷地と田んぼが広がっている。この時期の田んぼは中干しで水が抜かれているが、間もなく降るゲリラ豪雨で水没するだろう。
「あら……降ってきましたね」
氷雨は傘を差した。ポツリポツリと雨粒が落ちてきたかと思うと滝のような勢いで降り出した。空は黒く、道は白い水沫で覆われる。遠方で雷が鳴っている。天気予報で雨と発表していたのだろう。周囲には人っ子一人いない。氷雨は足にマナを込めて駆けた。
「ちょっと、きみ! 待ってよ」
突然声を掛けられ、氷雨は足を止める。前に二人、後ろに三人の男が現れた。
「……何かご用でしょうか」
氷雨は感情の籠もっていない口調で男達に問う。「ぎゃはは」皆がニヤニヤと笑い舐め回すように氷雨を見ている。
「きみ、ダークマナ教の売人だろ? さっきDMP買ったの俺等だぜ」
男はナイフを持っていた。目を凝らすと刃にマナが行き渡っているのが視える。柄の悪い男達は異人だった。
「そうでしたか……気が付きませんでした」
「おいおい、声可愛くね? これ、期待大っしょ! ねえ、フード脱いで見せてよ、顔面」
前方の金髪の男が異常なテンションを見せる。氷雨は言われるままにフードを脱いだ。艶のある黒髪がハラリと見える。白い肌が露わになり、官能的な雰囲気が漂う。男達から歓声が上がった。
「ラッキー、超可愛いじゃん! ちょっとガキだけど」「ターゲットが女だと得だよなぁ、殺す前にひんむいて回そうぜ!」「動画撮れよ、変態に売れるだろ」男達が下品な野次を飛ばす。しかし氷雨の表情は乏しいままだ。
「あなた方は何者でしょうか」
「俺達は異人狩りだ。ダークマナ教、お前を狩らせてもらうぜ」
金髪の男は異人狩りと書かれた紙切れを投げた。
「そうですか、敵なのですね。ダークマナ教の……」
氷雨は抑揚のないトーンで答えた。次の瞬間、雰囲気が一変し、どす黒いマナを放つ。黒いマントが風ではためき、周囲の気温が一気に下がったように感じた。
「赤目の教祖さまに牙を剥く愚かな野良犬に死を――」
氷雨は差していた傘を畳むと、剣のように男へ向けた。ゴロゴロゴロ……空が轟く。遠くで鳴っていた雷がすぐ近くまで迫ってきていた。
【参照】
DМP→第三十六話 DMDの売人
売人と顧客の特殊ケース→第八十話 オスカルとニーナ
異人狩り→第百五十一話 異人狩り




