第二百二十三話 ココナの宝物
真っ青な空と濃い緑の森林、明るい雰囲気の寺。滝本家之墓と刻まれた墓石の前に、ココナはいた。膝をついて手を合わせている。シュウは後ろで日傘を差して日陰をつくっていた。風に乗って緑の香りが運ばれてくる。気の早いセミがシャカシャカ鳴いていた。
「私ね、ずっとお母さんを恨んでいたんだ。だって、私を一人残して自殺して……無責任だよ。お母さんに恩返しするために頑張ってきたのに。ぐれて生活は荒れたよ、私の黒歴史だね」
ココナは独り言のように言葉を紡ぐ。シュウは無言で聞いていた。
「でもね、今は違うの。異人ホームレスのおじいさんの話を聞いて、私はお母さんに愛されていたって知ったから。自殺した理由は分からないけど、多分お母さんにも理由があったんだよ。親だって人間だもんね、神様じゃないもの」
線香の匂いが漂っている。何故かそれは心を落ち着かせた。シュウは今ココナの心に触れている。シュウは空を仰いだ。雲一つない。鮮やかすぎる青空に向かって思いを馳せる。
(親父にも理由があったのだろうか。テロリストになった理由が)
自分の親に対して真剣に考えたことはない。最初からいなかった人たちに対して思うことはない。目の前のココナのことを凄いと思った。
「私ね、一つだけ後悔しているの。お母さんの最後に立ち会わなかったこと」
身元確認は叔父と叔母が立ち会った。ココナは生前の面影を残した母を見ていない、最後に見た母は火葬されて骨になっていた。
「あの時の私は子供で……自棄になってた。自殺した人なんてどうでもいいと思ってた。でもね、お母さんの顔……ちゃんと見ておけばよかった。最後だったんだ、本当に本当の最期の機会だったんだよ。娘の私が見てあげるべきだった……」
「……」
「昔送ったメールが、何年も経って……今届いたような時間差の感情。毎晩、悲しみと絶望、後悔の念が押し寄せてくるんだ。お母さん……ごめんねぇ」
ココナは背を向けて泣いていた。シュウは黙ってその背中を見ていた。以前、雨夜に言われたことを思い出していた。
――シュウさん。涙している女の子の前で慌てるなんて、男性としてどうでしょうか。しっかりと受け止めてあげてください――
(ココナは依頼主だ、一線を越えてはいけない。……でも)
シュウは日傘を畳み、ココナの横に膝をついた。そして墓石に手を合わせる。
「うまく言えないけど……その後悔は消えなくていいと思うんだ」
「え?」
ココナは涙を拭いながらシュウの横顔を見る。
「悲しみも、絶望も、後悔も……お母さんが大好きだから生まれた感情だ。それは忘れちゃいけない、無理に消さなくていいんだ。一生胸の中にしまっておくものだと思う」
「……それでいいのかな? 苦しいままなのに?」
「いいんだ。うまく言えないけど、それでいいんだ。きっとそれは宝物だよ、ココナさん」
シュウは鼻の頭を掻いた。
(俺なんて、負の感情すら持っていないんだ。泣くほどの感情を持ち合わせていないんだ。だって、最初からいなかったから。だから……ココナが眩しく見える)
口には出さなかった。目を瞑って手を合わせた。隣で泣いている女性が幸せになるように。シュウは祈った。ココナは隣で真剣に手を合わせるシュウの姿を見ていた。そして空を見上げる。夏の到来を予感させる太陽が二人を照らしていた。
「シュウくんさー、女の子にモテるでしょう?」
突然の問い掛けにシュウは不意を突かれた。
「え? モテないよ、全然」
ココナはにんまりと笑う。
「嘘だよ、絶対モテるよ。今朝の電話の雨夜ちゃんだって多分シュウくんのこと大好きだよ。ピピーン! 私のアンテナが反応しました」
何てことだろう。今朝のアレは確信犯だったのだ。雨夜との電話は最初から聞かれていたらしい。
「ちょっと生意気だけど顔は可愛いし、大人になって身長伸びたら、モテ期到来だよ。保証する。私ね、男を見る目はあるんだよ」
ココナの顔がすぐ近くにある。有無を言わせない説得感があった。
「あのさ、この前思ったんだけどね、妹のリンちゃん、お兄ちゃん好きすぎない? 依頼主と一線越えるのはいいけど、妹はまずいよ? 色々と」
ココナの追求が続く。会話の内容に遠慮がなくなってきた。かなり距離が近い。色々と。
「予定が終わったなら帰ろうよ、ココナさん」
「とーにーかーく、今は私のナイトだからね。お金払っているんだから、フラフラしないでくれるかなー? 他の女の子の方に行っちゃダメだよ。ほらほら、日傘差してー。私日焼けすると赤くなっちゃうの」
さっきまで泣いていたが、ココナはすっかりと元気になったようだった。
【参照】
雨夜の言葉→第八十四話 赤目の少女
シュウの父親→第八十五話 蛇の民と瑪那人
兄を好きすぎる妹→第百五十三話 シャーロットが死んだあの日から




