第二百二十二話 母の愛
久々に母の名前を他人から聞いた。それもホームレス村の老人から。青木さんは優しい目で私を見ている。
「滝本さんにそっくりだよ、その顔。美人の娘は美人だよね」
「……どうして?」
私は上手く喋れなかった。
「俺達は滝本さんの支援で生きてきたようなものさ。あの人、異人の支援に熱心だったから。ここらの異人ホームレスのお母さんみたいなものだよ。本当に感謝しかないんだ」
「お母さんが?」
「きみのことも聞いていたよ。ココナちゃんだろう。異人を支援する会社の面接を受けたって。頑張っていたから絶対受かるって。内定決まったら、きみが大好きなハンバーグ作るんだって」
「うそ……」
「こうも言っていたよ。片親で寂しい思いをさせたって。貧乏で苦労掛けたって。大学に行かせたかったって。でも、働くって言ってくれた時は本当に嬉しかったって。ここで俺達に話してくれた。そう、心春さんは心からココナちゃんを愛していた」
目から大粒の涙が溢れてきた。老人の口から紡がれる知らない母の顔。私は母の何を見ていたのだろう。
「心春さんは異人病の研究をしていたんだよなぁ。本当に異人のことを想っていてくれたんだ。……それがあんな結果になって」
青木さんは表情を陰らせた。
「しばらくして、夜の街で……きみを見掛けるようになった。俺達ホームレスはずっと心配していたんだ。でも見ていることしかできなかった。どうしているんだろうって思っていたよ」
この人たちは自分の生活で精一杯なのに、私の心配をしてくれていた。私は独りじゃなかったんだ。泣いていた私の口から漏れたのは謝罪の言葉だった。
「ごめんなさい……私、会社の内定を蹴って……今は……私……もう汚れちゃってるんだ。もうダメダメなの。人生ゲームオーバーだよ」
青木さんはポンポンと私の頭を撫でた。
「人生はなんとでもなるよ、やる気があればね。十回失敗しても十一回目に成功すれば良い。俺達を見なよ、ホームレスなのになんとかなっているだろう」
私は涙目で焚き火を見詰めた。ホームレス達の温かい眼差しを受けながら。母の想いを継いだ人たちだ。想いは時を越えるんだ。
「偉そうに言っているけど俺達はホームレス。褒められたもんじゃない。きみは俺達みたいになってはいけないよ」
「青木さん」
「きみにはやるべきことがあるんじゃないのかな。心春さんの遺志を継いだ……きみだからできることがあるはずだよ」
「……」
「きみの人生は終わったんじゃない、まだ始まっていないだけだ。自分の人生を始められるのは自分だけだよ、ココナちゃん」
青木は無精ヒゲを撫でながら微笑んだ。
翌日、私は青木さんに連れられて若者の貧困問題に取り組む団体へ行った。そこで支援を受けて昼の仕事に戻った。その後、いくつか異人の支援団体を経験し、異人支援協会JAIに入職、今に至る。
――私はあの日の焚き火の暖かさを忘れない。そこで出逢った異人ホームレス達の優しさを忘れないだろう。
【参照】
ジャイについて→第百四十二話 夏目和彦
異人に友好的な母親→第百四十三話 異人病




