第二話 ソフィア誘拐事件
異人喫茶は観光客に人気だが、カタギに混ざって反社の人間も出入りしている。フィルは顔を青くして事情を話し始めた。
「娘は年頃だし、トイレには一人で行ける年です。私だってわざわざ同行はしない。トイレの扉は客席からよく見えていたから大丈夫かと……」
「お、おっさん! ここは異人街だぜ? 普通人の街と同じ感覚だとヤバイって!」
能天気なフィルの発言にシュウは思わず突っ込みを入れた。
「娘が戻ってこなかったのです。トイレに入ったまま消えてしまいました。店員にトイレの中を確認してもらいましたが、どこを探してもいないのです!」
間違いなく誘拐であろう。誘拐犯が異人だったら運が悪い。普通人では異能に対応できない。
異人街で反社会組織と言えば、龍尾、龍王、ダークマナ教、アルティメット・ディアーナ辺りだ。
規模で言えば中国系の龍尾が大きいが、観光客に手を出すほど見境無しではない。
ダークマナ教はDMDと呼ばれる麻薬を資金源としている組織だが、その実態は謎が多く目撃証言も少ない。
アルティメット・ディアーナは白人の組織なので、フィルを標的にするとは考えにくい。
消去法で龍王となる。この組織は龍尾から分裂した過激派で、悪いことは何でもやる。誘拐、人身売買、臓器売買等、様々である。
「おっさん、犯人に狙われる理由とかあんの?」
「分かりません。私に資産はあるが、今日の服装はウニクラのセール品ですし、鞄も持ち歩かなかった。『異人街を歩く時はお金を持っている風に見せるな』とガイドブックで読みましたから」
フィルの服装はアロハシャツで、しかも手ぶらである。育ちが良さそうな雰囲気だけは隠し切れていないが、犯罪のターゲットになるとは思えない。
「フィル様、お嬢様がトイレに入られた後、他に誰か入りましたか?」
今度はリンがフィルに問うた。
「女性の観光客が何人か入りましたけど……」
そう答えるとフィルは腕時計に目を落とし、慌てて席を立った。
「こんなに時間が経ってしまった! 『異人街のトラブルなら警察ではなく金蚊に行け』と言われたから来ましたけど。やっぱり警察だ!」
ずっとパソコンを見ていたリンがフィルに言った。
「ソフィア様は誘拐されました。これは計画的犯行です」
「ど、どうして娘の名前を?」
「お二人は三日前から氷川駅近くの五つ星ホテル『水』にご宿泊なさっていますね。ソフィア様は西洋人形のようにお美しい。本日はウニクラで購入されたライトブルーのワンピースを着ていますね。良くお似合いです」
「な、何故知っているのですか?」
フィルはリンの発言に動転している。リンはくるっとパソコンの画面をフィルの方へ向けた。
「全てフィル様ご自身がSNSで発言されています」
パソコンの画面にはフィルのSNSアカウントが映し出されている。タイムラインには丁寧に画像を添えて事細かにスケジュールが記載されていた。
しかもリアルタイムで発言しているので、犯人側にフィル親子の姿形、行動は筒抜けであったに違いない。SNSを見るのは善人だけではない。犯人グループが随時チェックしている。
「SNSのリンクから企業のホームページへアクセスできますね。フィル様はアメリカの大手エネルギー会社[マラソン・エナジー]の役員に名を連ねています。誘拐犯はこれらの情報から計画的にソフィア様をターゲットにされたのでしょう」
そこまで聞くとフィルは脱力したように席に着いた。その表情に生気が無い。
「そう……ですか。私が犯人に情報を与えてしまったのですね」
その時、フィルのスマートフォンが振動した。メッセージが届いたらしい。
『IF YOU WANT TO SEE YOUR DAUGHTER,PREPARE $1 MILLION.(娘に会いたければ百万ドル用意しろ)』
犯人からの要求である。「警察とトクノーに言うな」とも書いてあった。どうやら誘拐犯はソフィアの携帯からメッセージを送っているようだ。
文章と一緒に縛られているソフィアの画像が添付されていた。意識を失っているソフィアの姿が写し出されている。それを見てフィルは絶望に打ちひしがれた。
トクノーとは特殊能力者協会の略称だ。協会の活動は特殊能力者の認定や異人の保護、異人街の治安維持などである。
「妻に先立たれて私には娘しかいないのです。確かに溺愛していました。『娘を愛して』と……今際の際に妻が言いましたから」
フィルの目には涙が浮かんでいる。そこでシュウが口を開いた。
「おっさん! 何泣いてんだよ。何のためにここへ来たんだ? ソフィアちゃんを助けるためだろ?」
フィルが驚いたように目を見開いた。もう諦めかけていたのだろう。リンが言葉を繋げる。
「身代金を要求してくる犯人はお嬢様に危害は加えないでしょう」
「おっさんは警察に行かず俺の所へ来た。それは正しい判断だ。犯人は『警察とトクノーに言うな』と言っているけど、俺等は関係ない」
シュウはにやりと笑った。歯に衣着せぬシュウの発言がかえって場を和ませた。フィルは少し元気を取り戻したようだ。
「は、はい! 私もできることはします! 百万ドルなんて安いものです」
その言葉にシュウの眉がぴくりと動いた。
「その百万ドルは犯人ではなく、俺達にくれよな! エアコン新調したいんだ」
「兄さん、百万ドルは高すぎます。でも危険を伴う案件ですので……一万ドルはかかるかもしれません」
リンはちらっとフィルを見た。家計を預かるリンは金額にはシビアである。一万ドルは日本円で百万以上に相当する。
「勿論払います! 前金で一万ドル! 救出できたら更に一万ドル払います! キャッシュで!」
報酬二万ドル。その金額に二人の目がきらっと輝いた。
地獄の沙汰も金次第。フィルは眼前に座っている二人の兄妹に一縷の望みを託した。まだ幼く見えるが、この異人街で便利屋を経営するその手腕には大いに期待できるだろう。おそらく彼らも異人なのだから――フィルはそう思っていた。