第百九十六話 フィオナの手料理
「ん……他の二人は? えっと……副団長と怖そうなオレンジ髪の人」
騎士団のアリス=レスタンクールとブリュンヒルト=フォルスターのことを言っていた。南は人の名前を覚えることが苦手だ。一回や二回会っただけでは、まず覚えない。フィオナも名前を覚えてもらうまで、それなりの時間を要した。
「今日は四人で来週の夜回りのミーティングじゃなかったっけ」
「二人は遅れるかもしれないわ。先に始めましょう」
ミーティングを口実に誘い出したが、今日の目的は室内デートである。二人は来ない。色々手順をすっ飛ばして、いきなり自室へ招いたのだ。超絶ブラコンの姉、黒川亜梨沙が出張中だからこそ遂行した計画である。
「コーヒー入れるわ」
フィオナはアイランドキッチンでお湯を沸かす。南に別段と変化はない。女性と二人きりだが、特に何も感じていないようであった。のんびりと窓の外を眺めていた。フィオナはコーヒーを持ってくると、自然に南の隣へ腰を下ろした。
「角砂糖は四つだったわね」
フィオナと南の距離は拳三つ分である。ふわっと香水の甘い香りが漂う。距離が近かったからか、南は少し横へずれた。
「フィオナはあの時、ダーカーを視ていないんだっけ」
「そうね、私は負傷していたから」
雨蛇公園で【雷火】のランと戦い敗れた後、南は犬型のダーカーを目撃している。重症を負ったフィオナは南の腕の中で意識が朦朧としており、詳細な記憶がないのだ。
「アリスとブリュンヒルトの二人と連携を取るために彼女達の異能を説明しておくわ」
フィオナは拳一つ分距離を詰めると説明を始めた。
「【光剣の乙女】のアリスは信仰系のギフターよ。エレメンターと似ているけど、属性は光。彼女特有のスキルね。ツーハンドソードに光のマナを乗せて敵を討つ。大人しそうな顔をしているけれど、剣を持つと性格が変わるわよ。副団長の肩書きは飾りではないわ」
「ふーん」
「【火盾の乙女】のブリュンヒルトはパイロ系のエレメンターよ。炎で敵軍を牽制し、接近してきた雑兵を小回りの利く短剣ファルシオンで迎撃する。どちらかと言うと近距離が得意ね。大雑把な女だけど戦い慣れているわ」
「華恋とは違うの?」
朱雀華恋は南のクラスの委員長である。【火鳥】の異名を持つパイロ系の能力者だ。
「朱雀さんの炎は鉄も溶かす千度を超える高温が特徴よね。ブリュンヒルトは温度より、攻撃範囲に重点を置いているわ。属性は同じだけれど、炎の使い方が違うわね」
南は眠そうな顔で頷いている。
「私は【銀槍の乙女】。私のマナは少し特殊で……銀色の光を帯びている。つまり、私たち三乙女のマナは闇夜を照らすのよ。だから夜戦に強いと言われているの。アリスの<聖光>は効果大ね」
フィオナはまた一つ距離を詰める。細い指が南の膝に擦った。
「説明はこんなところかしら……何か質問は?」
フィオナの顔がすぐ近くにある。南は少し仰け反るとこう言った。
「……ない。じゃあ、僕はそろそろ帰る」
「朝ご飯食べていないんでしょう?」
フィオナはソファーから立つとキッチンの方へ行った。IHコンロの上に鍋が置いてある。オープンキッチンなので南の位置から料理をするフィオナが見えていた。
鍋の蓋を開けると食欲をそそる香りが立ちこめる。南は少し興味が出たのか、玄関へ向かわずキッチンへ歩いてきた。
「なに作ってるの?」
「ボルシチよ」
鮮やかな赤色をした煮込み料理が南の視線を奪う。大きな瞳が興味深そうに鍋の中を見ている。
「あなた、ボルシチについて調べていたでしょう」
「……」
確かに南は先日ソフィアの友人アンナにボルシチの話を聞いてから、それとなくリサーチしていた。それをフィオナに見られていたらしい。
「デザートにシフォンケーキも焼いたのよ」
南はちらりと玄関を見て数秒停止した。このままここにいると何か面倒なことに巻き込まれそうだと思いながらも、料理とデザートに意識が向いてしまう。
「焦って帰らなくても、あなたの部屋はこの下なんだし……ゆっくりしていけば?」
フィオナにそう言われて、南は大人しく席に座った。
【参照】
雷火とダーカー→第四十六話 雷火のラン
火鳥の華恋→第六十二話 南の守護神
アリスとブリュンヒルト→第百五十九話 アルテミシアの三乙女
南とボルシチ→第百六十話 ソフィアとヴィオラ
夜回りのこと→第百六十一話 ソフィアのモヤモヤ




