第百七十五話 無邪気な笑顔
冬岩からは東京行きの新幹線が出ている。鮮やかなエメラルドグリーンで顔が長い新幹線だ。ロウの目的地である氷川駅までは一時間半ほどで着く。そこでカラーズの仲間と合流する予定だ。
ニコルは隣の席で駅弁を食べながら車窓を流れる山々を見ている。足をプラプラとさせて機嫌は良さそうだ。船で着ていたセーラー服ではなく、ポンから貰ったシャツとショートパンツを身に付けている。
ロウは改めてニコルを見た。国籍は不明だが、アジアとヨーロッパのハーフのような顔立ちをしていた。ウェーブのかかった黒髪が肩の下まで伸びている。年齢は不明だがまだ幼い。
手元にある二冊のパスポートを開いた。ポンが用意した偽造パスポートで、ニコルとの関係は親子になっている。ロウはニコルと同様にアジア系で、年齢が四十代半ばである。無理な設定ではない。
「……おいニコル、何度も言うが俺は裏社会の人間だ。俺についてくるってことは犯罪に手を染めるってことだ。今ならまだ引き返せるぞ」
ニコルはお子様ランチ弁当を食べながら笑顔で答える。
「あたしはサルティの私娼窟で生まれました。親知りません。望まれて生まれてきたわけではないのですよ。この名前も客に付けられた」
「あ?」
「あの国、富裕層の買春ツアーが盛ん……子供がたくさん働いています。あたしも客取っていました」
「……」
どうやらニコルは売春婦がヘマをして客との間にできた子供らしい。ハーフであることにも頷けた。サルティやパキン、ギルハート、東国にはニコルのような子供がごまんといる。
「大丈夫。あたし、きれいな存在じゃない。ロウの言うこと何でも聞く。色々知ってる、要望に応えられる。自信あるんです」
ニコルは発言の内容とは裏腹に無邪気な笑顔を覗かせた。無理をしているわけではない。スラムで生まれた少女は根本的な価値観が先進国の子供とは異なるのだ。
「俺はそこまでクズじゃねぇよ」
「え?」
きょとんとするニコルにロウは言った。
「いいからさっさと食え! お前、アイス買っていただろ、溶けるぞ、あれは……ごほっ」
「は、はい! ……そうだ、のど飴買いました。ロウ、舐めてください」
ニコルはそう言うとのど飴をロウに手渡した。ロウは仏頂面でそれを受け取ると口に放り込んだ。
「つーか、お前。何で俺に懐くんだ? あの時だって異能まで使って敵が生きていることを伝えていただろう。どうしてそこまでする」
ロウは密航船から思っていたことを聞く。子供嫌いで子供からは怖がられてきたからだ。
「……寂しそうだったから」
「ああ?」
「ロウもあたしと同じ……帰る場所がなさそうだったから……です」
「……」
ロウには親も家族もいない。ずっと闇の中を生きてきた。自分の生い立ちを思い出すだけで吐き気を催す。ロウは言い返すことをせず、静かに目を閉じた。
新幹線が福島県に入った。昼前には氷川駅に着く予定である。アイスを食べ終えたニコルは興味深そうに山々と街並みを眺めていた。
「不思議……建物が壊れていない……人が死んでいないです」
「日本は平和な国だからな、爆弾で子供が死ぬことはない。異人に対しても寛容な国だ」
「同じ地球なのにここまで違う……国境って不思議ですね……ロウ」
国境は戦争が残した傷跡だ。それは癒えることなく化膿し続けている。膿が溜まると破裂して人が巻き込まれ、そして命が消えていく。
「お前、憑依系の異人だったな。鳥の視界を盗むのか?」
異能の確認だ。今後の仕事に必要な情報である。ニコルは背筋を正すとロウの目を見てはっきりと答える。
「鳥だけではありません。人間以外の生き物の視界を得ることができます」
「虫とかも?」
「はい」
「生き物に憑依して操ることはできるのか?」
「はい、操れます。あ……でも操る時は、目を盗むだけの時とは違って、あたし本体の意識なくなりますよ。そして長時間憑依していると、あたしの意識は消えて戻れなくなってしまいます」
「憑依した生き物が死ぬとどうなる? ……お前も死ぬのか?」
「いえ、自動的にあたしの意識が戻ります」
意外と使えるかもな――とロウは思った。
【参照】
サルティについて→第四十八話 サルティ連邦共和国
パキンについて→第四十九話 誓いの炎
ギルハートについて→第七十四話 マラソン・エナジー




