第百六十九話 足りない情報
「――ロウ……ロウ!」
仮眠中のロウは自分を呼ぶ声で目を覚ました。反射的に飛び起きる。辺りを見渡すと船の仮眠室であった。
横を見るとニコルが俯きながら立っている。
「……なんだ?」
「あの……ごめんなさい」
ニコルはもじもじして顔を赤くしている。下腹部をさすっている仕草でロウは事情を察した。
「ばかやろう、トイレくらい一人で行け!」
「えっと……間に合わなかった……です」
ストレスが原因なのかニコルは夜尿症になっており、何故かその度にロウが起こされた。
「……お前、何回目だ? 犬コロじゃねぇんだからシャーシャー漏らすな!」
「ごめんなさい……ロウ、怒らないで……ください」
「……ったく、さっさと洗ってこい! 水は貴重なんだぞ、ちくしょう……ごほっ」
ロウはニコルを追い払うと目を閉じた。
この密航船には青髪のロウと日本人のスメラギ、少女ニコル、他三名の難民が乗船している。
密航ブローカー百頭を返り討ちにした後、数日間は冬岩へ向けて航海していたが、エンジンが故障し漂流していた。食料の備蓄はあり、水は造水機で何とかなっていたが、この状態が続くと何が起こるか分からない。
夜間はニコルを外した五人でローテーションを組んで見張りをしていた。海保や海賊を警戒してのことだ。百頭が所持していたアサルトライフルやロケットランチャー等の武器はあるが、こちらの戦力は異人のロウとスメラギくらいで、他は素人の難民である。無駄な戦闘は避けたかった。
(ピョートルと連絡が取れれば何とかなるんだが……ネットが使えないんじゃどうにもならねぇな。衛生電話もねぇし)
ピョートルはカラーズのリーダーで、古くからの友人である。カラーズは北海道と九州、埼玉に拠点を持つ多国籍異人組織だ。麻薬密売や密航ビジネスを展開している。
今回の密航でカラーズのルートを使わなかったのは、最近、特殊能力者協会にマークされているからだ。捕まるのが自分だけならまだいいが、組織が一網打尽にされたら目も当てられない。それで料金が安かった百頭を選んだのだが、案の定失敗し、漂流している。
(くそ……電拳のシュウに借りを返すまでは死んでたまるかよ)
そこまで考えるとロウは眠りについた。しかし、数時間後に再び身体を揺すられた。
「ロウ……ロウ!」
「……なんだよ、ガキ」
「遠くに……船が……見えます」
「なに?」
ニコルは怯えた表情を見せ、小さな肩を震わせていた。
「この時間は……ブリッジにスメラギがいるな」
急いで甲板に上がり、ブリッジを目指す。外は明け方、星の光より空の光が明るくなってきている。
慌ただしい雰囲気に他の難民も目を覚ました。皆がロウの後を追う。
「おい! 船が見えるか!」
ブリッジの中のスメラギは落ち着いた様子で答えた。
「おう、ロウさん。速いねー、オレも今気が付いたってのに」
「ああ、ガキからの情報だ」
この船のブリッジは高所に設置されており、遠方まで見渡せるようになっている。
「まだ十マイル以上は先だぜ。ニコルっち、よく見えたなぁ」
水平線の向こうにうっすらと船影が見える。夜なら見逃していただろう。
「どれくらいで接近する?」
「うーん……早くて三十分、遅くて一時間かなー」
「無線は?」
「まだない。まあ海保に傍聴されたら終わりだから使いたくないよね、こちとら密航船なわけだし。それともメーデーするかい? 一か八か」
船内に緊迫感が走る。ニコルがロウにしがみついてきた。
「……ロウ!」
ニコルや他の難民の強制送還は多くの場合、死を意味する。彼等は内戦や紛争、迫害から逃れようと国を捨ててきている。戻っても劣悪な環境の収容施設に入れられ、死を待つだけだ。敵はテロリストだけではない。国家に殺されることも珍しくない。
密航は危険な賭けだ。途中で難破して死ぬことが多い。それでも彼等は大金を払って海を渡るのだ。この地にいるよりはマシ――そう考えて。
「どうする、ロウさん。助けを求めるか、それとも乗っ取って制圧するか……相手が普通人なら余裕だけど……虎穴に入らずんば虎子を得ず作戦でいくかい?」
「……このまま漂流していても死ぬだけだ」
ニコルの手が震えている。この少女も祖国で地獄を見てきたはずであった。楽園を目指してこの船に乗っている。彼女達にとってここが運命の分かれ道なのだ。生きるか死ぬか――。
「ふん……情報が足りねぇな」
ロウはニコルの顔を見下ろすと、小さな肩に手を置いてこう問うた。
「おいガキ……お前、なんであの船が見えたんだ? ブリッジにいたスメラギより先に気付くっておかしいよな」
「え……」
「あの時もそうだったな。お前は何故海面から……俺の背後の敵が見えたんだ?」
「……」
「お前……異能を使っているな?」
ニコルは上目遣いでロウを見ると、ゆっくりと首を縦に振った。
【参照】
ロウとシュウの因縁→第五話 電拳のシュウ
協会にマークされているロウ→第七十六話 異能研
ピョートルについて→第七十八話 カラーズ




