第百六十六話 極限の選択
ロウは密航シンジケート[百頭]が手配した漁船に乗っていたが、途中で今の船に乗り換えた。それから数日が経過している。
どの船も環境は悪かった。密航者は家畜のように扱われ、過酷な環境で死んだ者は容赦なく海に投げ捨てられた。死んで「荷」が軽くなる分には問題ないのである。
正午にさしかかった時、船のエンジンが止まった。外を見ていないが中途半端な位置だと思われた。少なくともどこかの港ではないことは確かだ。
密航者同士、顔を見合わせていると、何日かぶりに天井の点検口が開き、百頭の構成員が顔を覗かせて一言言った。
「出ろ」
密航者達は戸惑う表情を見せながらもハシゴを登って機関室へ上がった。
(……ふん、やはりな)
アジアの裏社会を生きてきたロウはこれから起こる事態をある程度予測していた。部屋の隅にあった清水タンクを手にしてハシゴを登っていった。
十人の密航者は甲板に集められた。見渡す限りの水平線で陸地は見えない。どこまで行っても濃い藍色の大海原であった。空は真っ青で雲一つない。強烈な日差しが照りつけている。
百頭の構成員は六人。皆がライフル銃で武装している。不穏な空気が漂っていた。密航者達は恐怖で表情を歪ませている。そのような中でも青髪のロウは冷静に状況を見ていた。
(ドイツ軍のアサルトライフルか……密航ブローカーにしては奮発したな)
百頭のリーダーらしいスキンヘッドの男が銃を構えて叫んだ。
「お前等、ここが終着だ! 海へ飛び降りろ!」
密航者のざわめきは次第に悲鳴へと変わっていく。冬岩港へ向かうルートだったはずが、地獄への片道切符へと変わったのだ。
「それとも銃殺がいいか? 選ばせてやるぞ!」
ブローカーは既に前金を受け取っており、それが十分な金額に達していた。これ以上の航海は燃料費の問題で利益が減るうえ、海保に摘発されるリスクが高まる。ブローカーはここで密航者を海に捨てて陸に引き返した方が得だと判断したのだ。
「オーケー、弾が好みか! じじい! てめーからだ!」
男が密航者の老人を銃撃した。胸を撃たれた老人は断末魔をあげる暇もなく絶命する。真っ赤な血が甲板を汚した。船上に耳をつんざくような悲鳴が響き渡る。
「うるせぇ! さっさと飛び降りろ! それとも次は子供か?」
男は少女に銃口を向けた。
「……ひっ」
少女は恐怖でひざまずいた。スキンヘッドの男は残酷な笑みを浮かべ引き金に指をかける。
――その時、一人の男が前へ出てきた。
「まあまあ! 落ち着いてくださいよ」
その男は日本の若者、スメラギである。百頭の構成員が銃を向けて警戒した。
「後金の他に追加料金を払いますから、せめて陸地まで運んでくれませんかねぇ?」
ヘラヘラ笑いながら軽快な足取りでスキンヘッドの男に近付く。悲鳴は聞こえなくなり、呼吸を躊躇するほどの緊張感が漂った。
スキンヘッドの男はにやりと笑う。
「失せろ、ジャパニーズ」
銃声が響く。スメラギは胸を撃ち抜かれ甲板に突っ伏した。ドクドクと血が流れ、ぴくりとも動かない。
「ばかめ、クソガキが……。おらぁ! 残りはどうする! 撃たれて死ぬかぁ?」
再び悲鳴が上がり、密航者が海へ飛び込んでいく。銃殺か溺死か。どちらがマシなのか。極限の状態で皆が選んだのは溺死だった。
「ははは、頑張って泳げよ! サメに食われないようにな! ……ん?」
長髪の男が一人、甲板に残っていた。青髪のロウである。手には清水タンクを持っていた。
「何だお前は! さっさと飛び込め! 撃たれたいのか!」
「……」
ロウは鋭い目つきで百頭の構成員を睨み、清水タンクを持つ手に力を込めた。




