第百四十八話 シュウのトラウマ
カリスは素顔を明かさないアーティストだが、シュウは彼女を知っている。シャーロット=シンクレア。それがカリスの本名だ。
カールがかかったライトブラウンのロングヘア。瞳は明るいグリーンで、若干の垂れ目が男心をくすぐるかもしれない。とにかく可憐な少女であった。シャーロットは男に「守ってあげたい」と思わせる外見をしていた。
――拉致事件後、雨蛇公園でシュウと向き合い、これまでの人生を悔いて、やり直す決意をした矢先、無慈悲に殺されたのである。
素顔を見たことがないファンは知る由もないが、カリスがファン交流で使っていたアバターは本人によく似ている。そのアバターのポストカードが事務所の奥のカゴ車に積まれていた。よく見ると様々なカリスグッズが置いてある。
「……どうして、こんなところに」
シュウは鼓動が速くなっているのを感じた。
カリスは世界的な人気を誇り、漫画やアニメ、小説、映画など、様々な分野においてメディア化されている。つまり、日常的に目にすることが多いのだが、このような西の果てで出会うとは思わなかったのだ。
内山は真剣なシュウの表情に戸惑いながら口を開いた。
「あ、ああ。うちではカリスグッズのセット組みを請け負っているからね。最近までうちの主力商品だったんだよ」
「……最近まで?」
シュウはポストカードから視線を外さず聞き返した。内山は言いにくそうに答える。
「半年は経っていないと思うけど……ちょっと前にトラブルがあってね。大口の案件だったけど、数を減らされたのさ。いやぁ、本当に人生何があるか分からんよ」
「……トラブル……すか」
内山が述べた時期は、シャーロットが狙撃された時期と一致する。シュウは嫌な汗をかいている自分に気が付いた。内山が悪い人間には見えないが、煮え切らない態度に違和感を覚える。
「おっさん、何があったんだ? トラブルって」
シュウの問いに内山は首を横に振った。
「ごめん、さすがに部外者には話せないよ。クライアントとの関係もあるからね」
内山の言うことはもっともである。当然、社外秘であろう。シュウは大人しく引き下がった。しかし、シャーロットの事件がトラウマになっているシュウにとって、この出会いは不意打ち以外の何ものでもなかった。
嫌な予感は消えない。マキシムラインとシャーロットの事件は何か関係があるのか。リンか雨夜がいればサイコメトリーで明らかになったかもしれない。シュウはゆっくりと息を吐いた。
(確か……フィオナが言っていたな)
あの雨の日、ファイブソウルズのジャスミンに襲撃された異人自由学園で、フィオナ=ラクルテルはこう言った。
――あの事件はまだ……終わっていない。捜査は続いている――
そう、シャーロットの事件はまだ終わっていないと――。
「……」
――チェンを追っていなければ、ここでシャーロットの痕跡を見ることはなかった。シュウは何か運命的なものを感じていた。そして同時にどす黒い嫌なものを視た気がしたのであった。
◆
シュウはマキシムラインを出ると荒川第二難民キャンプへ向けてクロスバイクを走らせていた。キャンプは川を一時間ほど下った場所にある。シュウは田舎道を走りながら気持ちの整理をしていた。
マキシムラインでは難民が笑顔で働いている。社会で差別に苦しんだ従業員の生活を守っている重圧感はどれほどのものか。シュウには内山が悪い人間には見えなかった。
「……」
ふと、シュウは白石武彦のことを思い出した。白石はシャーロットのストーカーであり、彼女とは深く関わっている。異人喫茶で龍尾と龍王に襲撃され、その隙に白石はシャーロットを拉致した。
「そう言えば、白石の野郎は……」
シュウが拉致現場に踏み込んだ時、白石は重度の薬物中毒で意識を失っていた。しかし、シャーロットは被害届を出さず、シュウ達は救急車を呼んでその場を離れたのだ。シュウは白石がその後どうなったのかを知らない。
「薬物中毒……禁断症状……か」
そこでシュウは何故か悪夢でうなされるシャーロットの姿を思い出していた。汗をかき、真っ青な顔をして何かに怯えていた。それは天真爛漫な彼女のイメージとは真逆の姿であった。感じたのは圧倒的な闇――。
(くそ……なんでこんなことを考えているんだろう)
シャーロットが死んだ日。夜の雨蛇公園。月明かりの中でシャーロットは語っていた。
――私はずっと闇の中を歩いていました。私はダークマナを背負う女……闇こそこの世の理だと思っていました――
(……)
――私がカリスの活動で行き詰まっていた頃、赤目の少年に言われたのです。「あなたにはダークマナが似合う」と。――
(……うるさい)
――……シュウさん。私が過去を清算するまで……待っていてくれますか? ――
(……だまれ!)
シュウはクロスバイクを止めた。まるで走馬灯のように頭の中をグルグルと記憶が舞い、吐き気を催す。シャーロットの顔が浮かんでは消えていく。
「シャーロットさんは死んだんだ! もういないんだよ! 俺の馬鹿野郎!」
シュウはクロスバイクを蹴飛ばすと、その場に膝をついた。周囲は畑と荒れ地、河川だけで人影は無い。シュウの叫び声は空に溶けていった。
しばらくしてシュウは立ち上がり、クロスバイクに跨がった。
「チェンを探さないと……」
気分は最悪だった。自分の中でシャーロットの事件は解決していないと、改めて実感したのである。そして再び彼女の言葉を反芻する。
「赤目の少年……か」
その少年が彼女に暗闇を背負わせたのだろうか。ダークマナという名の呪いを――。
「赤い目と言えばマナリンクのリッカちゃんを思い出すな」
マナリンクはシュウやリンが育った児童養護施設「星の家」を運営する団体である。リッカはその団体に属する少女だ。雪のように白い肌と唐紅の瞳が神秘的であり妖艶でもあった。
「アホか。リッカちゃんはどう見ても女の子だろ」
シュウはそう吐き捨てると、視線を前に向けた。すると遠方に大きな公園が見える。
「そう言えば、キャンプ付近の公園で難民やホームレスが野宿しているってリンが言っていたな」
シュウは気を取り直すと、公園へ向けてクロスバイクを走らせた。
◆
公園の看板には西綾瀬公園と書いてあった。面積はかなり広く、深く茂った木々や池、商業施設の廃墟が見える。それだけならまだいいが、目を見張るのは数多のブルーテントや段ボールハウス、ボロい小屋だ。
公園全体がホームレス村と化しており、本来の用途を果たしていない。一般人が入るには勇気の要ることだろう。行政のメスが何故入らないのか、シュウには理解できなかった。
西綾瀬公園にはキャンプに入れない無登録難民も多く住んでいる。ここを整理することにより多くの難民が追い出され治安が悪化することを政府は懸念している。そして難民政策には政府与党が絡んでいるため、下手に動かせないのである。
「こりゃあ、テロリストが潜んでいても気が付かないな。何で放置されているんだろう」
しかし、シュウはそんな複雑な背景を知らない。呆れながらクロスバイクをガードレールに括り付けると、公園に足を踏み入れた。
テントは多いが、園内はひっそりとしていた。ホームレスの姿は見当たらない。不自然である。突然入ってきたシュウを警戒しているのかもしれなかった。
「さてと、どこから聞き込みするかな」
シュウは臆することなく進んで行く。しばらく歩くと森にさしかかった。木々の間にロープが張られてテントが並んでいる。干された洗濯物や収集された空き缶も見えた。
その中の一つのテントに近寄ると後ろから声を掛けられた。
「おい、金髪のガキ。こんな所に何の用だ」
シュウが振り返ると、複数のホームレスがナイフや鉄パイプを持って、こちらを睨んでいる。明らかに敵意を向けられていた。
「……別に。人探しだけど? お前等は何だよ」
今日のシュウは苛ついていた。売られた喧嘩を無視できるほど大人でもない。
「玄さん。こいつ、ここいらで何やら嗅ぎ回ってるってよ!」
「怪しいなぁ。やっちまうか、このガキ」
玄さんと呼ばれた白髪の老人の合図で、複数のホームレスがシュウを取り囲む。
(ふーん、こいつら……異人か)
シュウは冷静に状況を見極めていた。そして静かにマナを練り上げていく。臨戦態勢である。
「お前だろ! 滝本さんに付きまとっている奴は! あの人に手を出したら俺達が許さねぇぞぉ!」
「は? 知るかよ、ばーか」
「このガキ……! やっちまえ!」
シュウの返事が引き金となり、ホームレスが一斉に飛びかかってくる。シュウは自分の中に激しい破壊衝動が湧いてくるのを感じていた。
【参照】
白石武彦→第十一話 白石武彦
マキシムラインについて→第十三話 マキシムライン
シュウとシャーロット→第十六話 異人の歌姫
うなされるシャーロット→第二十六話 月夜の告白
異人喫茶襲撃→第二十九話 龍の襲来
白石の拉致→第三十四話 闇へ誘う女
赤目の少年→第三十八話 無色透明
カリス狙撃事件→第四十四話 世界の終わり
政府の事情→第六十三話 無登録難民
異人自由学園襲撃→第七十一話 ジャスミンの正体
フィオナの言葉→第七十三話 ターニングポイント
西綾瀬公園について→第八十一話 荒川アウトサイダーズ
マナリンクのリッカ→第八十四話 赤目の少女




