第百四十一話 行雲流水
美咲はアパートの窓から朝日を見ていた。この数日、嵐だったが今朝は落ち着いていた。台風一過で快晴だ。穏やかな海が日の光を反射している。
「……たっくん。帰ってこないなぁ」
三上が家に帰らないまま三日が経っていた。登録している派遣会社に連絡しても行方は分からないという。これまでも数日帰らないことはあったので、心配しながらも悲観はしていなかった。
ニュースでは旧市街の海岸のことを報道している。突発的な強風が吹き、被害が拡大しているらしい。竜巻が発生した可能性もあるとのことだ。海まで様子を見に行った一般人が四名死亡している。
砂浜と海上で身元不明の変死体が発見されたそうだが、捜査は難航しているようだ。警察と協会のギフターが合同で捜査本部を立ち上げるらしい。
美咲が洗濯物を干そうと腰を上げた時、玄関のチャイムが鳴った。
「はーい」
玄関を開けると、スーツを着た女性が立っていた。清潔感のある黒髪をポニーテールにしている。保険の勧誘のような雰囲気で、にこにこと笑っていた。手にはボストンバッグを二つ持っている。
「お忙しいところ恐れ入ります。私、龍鱗の如月と申します」
「え? あ……、龍鱗? はい。あ、どうぞ。お入りください」
美咲は如月と名乗る女性を部屋に上げた。龍鱗という名は三上から聞いていたからだ。軽作業の派遣会社ではなく、反社のグループであることも知っている。美咲と如月はリビングのテーブルで向き合った。
「三上の会社の人ですよね? あの……裏の方の。三上が帰らないのですが、何か知っていますか?」
「早乙女美咲さまでいらっしゃいますね。この度はご愁傷様でした」
「え?」
「三上拓哉様はお亡くなりになりました。弊社といたしましても誠に残念です。はい」
如月の言葉に美咲の表情が凍り付く。如月はボストンバッグから人間の腕を取り出し、テーブルに置いた。
「こちら、三上様の遺体の一部でございます。胴体の方は海に流されてしまったようで……。見付かりませんでした。弊社社員の証言もあり、三上様は死亡したと判断いたしました」
「……っ」
美咲は息をのんだ。見覚えのある手だ。何度も頭を撫でてくれた三上の手である。如月は事務的に話を続けた。
「こちらは補償金です。美咲様は内縁でいらっしゃいますが五年経過しておりますので給付の対象となります」
如月はそう言うと、もう片方のボストンバッグをテーブルに置いた。相当な金額が入っているようだ。
「飯田伸介様の補償金も加算されております。美咲様に渡すようにと仰せつかっております」
如月は一枚の紙をテーブルへ出した。
「受け取りのサインをお願いいたします」
如月はにっこりと笑い、美咲にボールペンを渡した。
「……いらない」
そう答える美咲の目からは大粒の涙が溢れている。三上の腕を抱えながら叫んだ。
「こんなお金いらない! たっくんを返して! 返してよぉ!」
「いえ、受け取っていただきます。それが三上拓哉様のご遺志ですから」
如月は泣き崩れる美咲に契約書を突きつける。しかし、美咲は顔を上げない。肩をふるわせて泣きわめく。
「心中お察しいたしますが……困りましたね。仕方ありません。このようなケースは多いので、早乙女様の印鑑をお持ちしております」
如月は胸ポケットから印鑑を取り出した。量産品の安物である。
「これをこうやってポンッと……。はい! これで完了です。お疲れ様でしたー」
如月は契約書に押印すると席を立った。そして泣きわめく美咲を一瞥すると声を掛ける。
「お腹に赤ちゃんがいるのでしょう。お金はあった方がいいですよ」
美咲の返事はない。如月は一礼すると部屋を出た。玄関を閉めると、中から悲鳴に近い泣き声が聞こえた。如月は一瞬部屋の方を振り返ったが、微笑を浮かべてアパートを後にした。
◆
東龍倉庫の朝礼で運行管理者が慌てていた。ドライバーの飯田が無断欠勤しているからだ。
「もう! ドライバー不足だというのに……! 誰か飯田さんを知らないか?」
その問いに答える従業員はいない。皆、眠そうに欠伸をしていた。ドライバーが急に辞める。よくある話だからだ。
「三上さんはいないか? 仲良かっただろう、飯田さんと!」
「三上さんなら四日前に辞めていますよ。まあ、派遣ですから、そんなもんじゃないっすか。なんか訳ありっぽかったし」
従業員の一人が答えた。運行管理者は頭を抱える。
「仕方ない! 飯田さんの穴は私が埋めます。やれやれ、早く代わりを雇わないと」
従業員が散っていく。それぞれが荷揚げを開始した。見慣れた朝のルーティンである。
――その様子を車の中から見ている者がいた。
メイファとウェイである。センターの前の大通りに車を停車して様子を見ている。部下が運転席に座り、負傷しているメイファとウェイは後部座席に座っていた。ウェイがメイファに気を遣う。
「お嬢、もう起きていいんですか?」
「問題ない。……で?」
「三上の自宅に行きましたが、空き部屋でした。ダミーですね。本宅は別にあるでしょう」
「そうか」
「奴が龍鱗とは気が付きませんでした。申し訳ありません」
「構わん。それで?」
「無断欠勤している飯田との関係は不明です。あの晩、遊漁船で港に入った私兵から飯田の姿を目撃したと報告があがりましたが……それだけで龍鱗と関係していたかは分かりませんね」
メイファは腕を組んで運転席のヘッドレストを見ている。ウェイは話を続けた。
「……それと、三上が女と暮らしていたという情報があります。ダミーの住所を登録していたのは、その女を守るためかと。どうしますか?」
メイファはウェイに視線をやると、こう言った。
「何がだ?」
「本宅を突き止めて女を拷問しますか? 龍王との関係を吐かせるのです。冬岩は広いですが、おそらく旧市街のどこかにいるでしょうから、捜索は容易かと」
「くだらん。その必要ない。……おい、出せ」
東龍倉庫の社用車は静かに発進し、大通りを滑るように走って行く。
「お嬢。今回の襲撃事件は狼煙になるでしょう。社長も表立って抗争反対とは言わないはずです」
メイファは窓の外を眺めている。その横顔はどこか儚げであった。
「結果的に金塊の密輸を成功させ、龍鱗の構成員を五名殺害しました。東銀の借りは返したと言えるでしょうね。リーシャ様の評価を得られるでしょう」
ウェイは雨の市街戦のことを言っている。シンユーとソジュンが負傷し、DMDを強奪された事件だ。襲撃犯は龍王傘下の荒川アウトサイダーズとファイブソウルズだという噂である。
「馬鹿なことを。犠牲を出した将に賞賛の言葉など不要だ」
メイファは車窓を流れる海を見ていた。龍尾幹部会の日が刻々と迫っていた。五天龍が一堂に会するその日が――。
◆
そこは三陸鉄道の駅近く、ひなびた町であった。冬岩港よりは大分北部に位置し、観光地と呼ぶには寂しい。古びた民宿や文豪の石碑、小さい神社が見える。
そびえ立つ防波堤は漁港までは及んでいない。港には漁船が浮かんでいるが二十艘もない。細々と漁業を営んでいる。
港から伸びた防波堤の先端で、二メートルはありそうな大柄の男が釣りをしていた。バケツにはアジが入っている。小柄な少女がそのバケツを覗き込み、嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
男の名を飯田伸介という。龍鱗直系組織闇龍のメンバーで三上の相棒だ。強面だが心根が優しい巨漢の男である。
隣にいる少女は逆鱗のメンバーで、灰色の髪を持つ東欧系の難民だ。過去のトラウマで声を失っている。少女は背中に楽器ケースを背負っていた。
「飯田さーん、アイラちゃーん。釣れてるのー?」
遠くから能天気な口調で呼ばれる。振り返ると、そこにはヤオとブラッドがいた。二人とも包帯が痛々しい。
「まあまあっす。すぐそこで焼いて食えるっすよ」
「わーい。アタシ料理無理だから、ブラッドお願いね」
ヤオは笑顔でブラッドの肩を叩いた。ブラッドはドレッドヘアを掻きながら溜息をつく。
「わーったよ。お前がやったらどんな素材もゴミと化すからな。仕方ねぇ、アイラも手伝えよ」
ブラッドはアイラの頭を撫でる。飯田はその様子に微笑みながら、視線を水平線に戻した。
「俺の補償金は美咲さんに渡してもらえたんすかね」
「如月ちゃんが渡してくれたって! でもよかったの? 暗殺失敗の補償でも百万ちょっとあったじゃん」
「いいんすよ。俺は今回、港の見張りで蚊帳の外でしたから」
「拗ねないでよ。三上さんは……きみとアイラを危険から遠ざけたんだ」
「俺は……三上さんと一緒に戦いたかったっす」
「そうしていたら、きみは死んでいたよ。今回は作戦失敗、五天龍レベルを殺すならミサイル必要かもね。……でも良いこともあったよ。青龍の弱点が分かったし。龍王に良い報告ができそーだよん」
ヤオは飯田の頭をポンポン叩く。そして明るい声で言った。
「さーってと、諸君! 魚食べたら行くよー」
飯田が振り返って問う。
「え、俺もっすか? どこに行くんすか」
「日本最大の異人街、氷川東銀座! 五郎系ラーメンってのが美味しいみたい」
ヤオは底抜けに明るい。飯田は笑顔を引きつらせながら頷いた。
「はは。風に流される雲のように――っすね」
飯田の頬を冷たい海風が優しく撫でた。
【参照】
ファイブソウルズについて→第五十二話 ファイブソウルズ
リーシャについて→第五十八話 龍の器
荒川アウトサイダーズについて→第八十一話 荒川アウトサイダーズ
雨の市街戦→第九十六話 鷹眼のソジュン
五郎系ラーメン→第百十四話 雨夜とラーメン
龍尾の幹部会→第百十九話 龍尾の五天龍




