第百三十六話 早乙女美咲
早乙女美咲は異人の父親と普通人の母親に育てられた。親は周囲に反対されながらの恋愛結婚である。
美咲が生まれたのは異人差別が社会問題になっていた頃で、その煽りをもろに受けた。父親はまともな職に就けず、美咲は貧しい幼少期を過ごす。
次第に家庭が荒れ、美咲は親から虐待を受けるようになった。たっぷりあったはずの愛情も社会情勢と貧困で消えていったのだ。美咲は親を恨み、そして日本を憎んだ。
未成年だった美咲は家を出た。そして身体を売って生きていくこととなる――。
現在、美咲は闇龍の三上拓哉と同棲している。三上とは一回りほど、年齢が離れているが、今時珍しい話でもなかった。
美咲は闇金の男の愛人として薄暗い人生を歩んでいたところ、三上に救われた過去を持つ。それから五年の付き合いになる。
美咲にとって、三上は憎き男を殺し、そして生きる意味を与えてくれた神に等しい存在であった。当時、行く当てのない美咲が三上に心の拠り所を求めたのは至極当然のことである。
三上がそれに応じた理由は謎である。単に殺し屋の気まぐれかもしれなかった。気まぐれでも構わない、美咲は身の回りの世話をすることを条件に同行を許可された。
しかし、三上が家事以上の見返りを要求することはなく、美咲は思いのほか大切に扱われた。必要以上に干渉しない。三上にとって美咲は座敷猫のような存在だったのかもしれない。
三上が闇の仕事をしていることは知っていた。しかし、殺しの標的は反社の人間だけである。殺されて当然の悪党が殺されているだけ。美咲はそのように捉えていた。
彼が父親と同じ異人であり、殺し屋でもある。そんなことは美咲に関係なかった。まだ彼女は二十代前半。夢見がちな乙女心の暴走は止まることを知らない。
最初に誘ったのは美咲の方であった。今思うと三上に一目惚れをしていたのだろう。
いつ死ぬかも分からない仕事に就いている三上との「絆」が欲しかったのだ。若くして裏社会に入った美咲はしたたかで、三上の子を身籠もることとなる。父親になれば反社から足を洗い、真っ当な仕事に就いてくれるかもしれない。そう考えた。
程なくして三上に変化があった。表社会の職を探し始めたのである。しかし、前科があり、異人でもある三上の就職活動は難航し、収入が減った。三上は今の生活を守るため、表と裏の仕事を掛け持ちすることになる。
三上は現在、朝は倉庫の荷下ろし、その他の時間は闇の仕事をやっている。生活は貧しいが、美咲は充実した時間を送っていた。
――冬岩旧市街に近い古いアパートの一室で、美咲は洗濯物を畳んでいた。災害対策の防波堤の建設が滞っており、窓から海が見える。
「たっくん、そろそろ帰ってくるなぁ。お昼ご飯準備しないと」
美咲はそう言って立ち上がると、昨日作ったカレーを温め始める。三上は朝の荷下ろしが終わると、一度昼を食べに帰り、また出て行く。夜の帰が遅いことは多々ある。美咲にとって、昼は三上に甘える貴重な時間であった。
玄関が開く音が聞こえ、三上がリビングに入ってきた。
「おっかえりー。お仕事お疲れ様!」
美咲はカレーの火を止めて、三上に飛びつく。
セミロングの茶髪は強風で癖が付いており、潮の香りが漂う。頬が痩けて、何やら疲れているように見えた。顔色が悪い。
「……ああ」
相変わらず三上は素っ気ない。この男に自分への愛情があるかは不明だが、美咲は若さで押し切るつもりだ。胸に飛び込めば、この男は受け止めてくれる。それくらいは許容する相手だ。
カレーを食べながら、三上は言う。
「……まだ堕ろせるんだろ? 気は変わらないのか?」
中絶のことだ。妊娠してから、何度も言われている。この男は無責任でモノを言っているわけではない。美咲は知っていた。
「産むよ!」
「俺は異人だ。お前の父親も異人だった。隔世遺伝で強力な異能を持って産まれてくる可能性が高い。異人の子供が苦労する現実をお前は知っているはずだ。今ならまだ間に合う」
「ミサはたっくんと家庭を築きたいの。……たっくんが帰ってくる場所を作るんだ。そうしないと……あなたはどこかへ消えてしまうから」
しばし沈黙が流れる。美咲の目には涙が浮かんでいた。三上は溜息をついた。
「良い学校に入れなきゃなんねぇ。異人に学歴がねぇと人生詰むからな。協会の異能訓練校に入れて、就職まで世話してやりたいが、金が足りねぇ」
「ミサも働くよ! まだ風俗で稼げる年齢だし、何とかなるよ。短期で学費稼いじゃうから!」
美咲は今の生活を維持するために手段は選ばない。三上を繋ぎ止めるために何でもやる。
「お前には言っておくが、次の仕事は殺しだ。成功しても失敗しても、まとまった金が入る。学費くらいにはなるさ」
三上の発言に美咲は動揺する。
「……失敗って?」
「ムショに入っても懲役一年ごとに金が入る。出産には立ち会えないが、小学校に入る前には間に合うだろ」
「そんな……」
「俺が返り討ちに遭って死んだら……成功報酬の一割は入る。学費を引いても当面の生活費をまかなえるはずだ。安心しろ、龍王は約束を守る組織だと聞いている」
三上の言葉に美咲は絶句した。目の前の男は死ぬつもりかもしれない。生まれてくる子供のために――。
「い、嫌だ……。その仕事は……受けないでよ。堕ろす……堕ろすから」
美咲は目から大粒の涙をこぼしながら、口元は笑っている。闇金の男を殺した時と同じ表情をしていた。
「お前なぁ。成功すれば大金が入るんだ。当分働かなくてもいい金額だぞ。お前とガキを養っていける。そりゃ乗るだろ、父親として。安心しろ。これが最期の案件になると思う」
三上は美咲の頭を撫でた。疲れた表情の中に優しさが垣間見えた。
美咲は何も答えることができなかった。父親として――。三上のこの言葉で金縛りのように動けなくなったのである。
【参照】
異能訓練校について→第五十六話 異能訓練校




