第百三十四話 初代青龍
夏は近いがひんやりとした風が吹いている。異常気象で日本の平均気温は上がっているが、冬岩は比較的涼しい。山背が吹くと農作物が冷害に見舞われるという。
ある朝、メイファは東龍倉庫の社長である父親に呼ばれていた。
社長の名をジェンカンといい、初代青龍である。彼は異人組織龍尾創設メンバーの一人だ。
ジェンカンは白髪で痩せ型の男である。還暦が近い齢で、最前線から退いている。その分、ビジネスに精を出し、東北の物流を担うまでにのし上がった。成功した後も龍尾への恩を忘れず、密輸や密航などの仕事を請け負っていた。
ジェンカンはキューバの高級葉巻を吹かして娘を見ている。一線を退いているとは言え、明らかにカタギではない雰囲気を醸し出している。龍尾の初代頭領と何度も修羅場をくぐった猛者であり、百戦錬磨のストレンジャー。その威厳は当然であった。
「ちょっとお父さん! またアルティメット・ディアーナからブツが届いたわよ! どうせ黒龍のお節介でしょう。どうすんのよ、アレを」
メイファは腕を前に組んで父親に抗議している。
「前もって言っておいたはずだがね……。まあ、お前はすぐに忘れるか。最近、龍王傘下の龍鱗が活発に動いているから戦力を増やす。そのための資金だな」
ジェンカンは葉巻を吹かしながら答えた。その表情には呆れと諦めが浮かんでいる。メイファは直情的に行動し、理屈が通らないことがままある。娘でありながら父親とは真逆の性格をしていた。
「ハオランの奴……どうせ幹部会の前に本部の威厳を示したいって感じでしょ? それとアルティメット・ディアーナの優男に高い酒でも奢られて見栄を張ったのよ! あたし、あいつ大っ嫌い」
メイファは頬を膨らませて、ぷいと横を向いてしまう。ジェンカンは額に手を当てて溜息をついた。
「メイファ。お前は二代目青龍としての立ち振る舞いを覚えろ。ハオラン殿も私と同様、初代頭領から仕えている五天龍の一人。いわばお前の大先輩なのだよ」
「あたしのほうがアイツより強いもん!」
「ハオラン殿は二つの属性を持つ異人だよ。敵に回したら嫌な相手だ。何より人の命を奪うことに何の躊躇もない男だ。それはそのまま異能の強さに現れるのだ」
メイファは納得のいかない顔をしている。元々童顔だが、ツインお団子が幼さに拍車をかけていた。
娘を甘やかしてきたつもりはない。むしろ異能や体術などを厳しく仕込んできた。その反動なのか、最近では父親の言うことを聞きやしない。
「五天龍って変な奴しかいないじゃない! 赤龍は遊び人だし、白龍は何か怖い! 黒龍は野蛮で下品! 黄龍は好きよ。イケメンで清潔感あるから。歳も近いし」
黄龍は五天龍のリーダーである。青龍同様、二代目が後を継いでおり、初代は龍尾の創設メンバーの一人だ。ジェンカンは顔を曇らせて言う。
「二代目黄龍のシオンか……あいつは初代とは大分違う。あの正義感は時に狂気となり得る。今はまだ初代黄龍が御せているが……。いずれ頭領のリーシャでも持て余すかもしれんな」
「ふーん。まあ、リーシャは甘いからねぇ」
「私からすればフェイロンもリーシャも自分の子供のようなものだ。何故、龍王と龍尾に分かれて争うのか。初代頭領は嘆いているはずだ。あのようなことがなければ……今も仲の良い兄妹だったろうに」
「そんなこと言ったって、龍王フェイロンは殺すんでしょ? だから今度、川成で幹部会があるんだし。そこでリーシャが抗争開始を宣言するって噂じゃないの」
「私は抗争反対派だよ、メイファ。火龍のリーシャは心に猛火を宿しているが、争いを好まない娘だ。意外と和平を結ぶ道を選ぶかもしれんな」
「そんなこと言ったら龍尾で内紛が起こる! 黒龍や黄龍が黙っちゃいないでしょ! 絶対に納得しないから! 龍王とファイブソウルズは潰す! これは決定事項よ」
メイファが大声を出した時、扉がノックされた。入ってきたのは部下のウェイである。
「社長。お呼びでしょうか」
ウェイは隙のない身のこなしでメイファの横に立つ。彼は腕の立つ異人で青龍の私兵の一人だ。今度の幹部会にも同行する予定である。
ジェンカンはメイファとウェイの顔を見比べると溜息をついた。メイファはまだ何かを言いたげだが、黙って話を待っている。ジェンカンは頷くと静かに場を仕切り直した。
「……ああ。二人を呼んだのはビジネスの話があるからだ。次の週末の夜に金塊を密輸する。海保の警戒網をかいくぐるために、沖合でイカ漁船に積み替えてくる計画だ。瀬取りを行う」
瀬取りとは洋上で物品の受け渡しをすることである。ジェンカンは葉巻を吹かしながら、話を続ける。
「サルティとパキンの戦争で金相場が上昇して高水準だ。価格をつり上げ、更に消費税を上乗せして捌く」
「ふーん。空輸じゃないんだね」
メイファが感想を述べる。金の密輸は航空機を使うことが多い。当然の疑問である。ウェイが口を挟んだ。
「空輸では大して運べませんからね。より多くの利ざやを得るためでしょう。お嬢」
「ああ、その通りだ。……夜とはいえ、取引で目立ちたくない。少数精鋭で海岸へ向かえ。龍鱗のDDが色々と嗅ぎ回っている噂もある。気を引き締めろ」
そのように指示を飛ばすジェンカンは、先程までの父親の表情ではない。裏社会の人間の顔になっていた。
「了解よ」
メイファは軽く敬礼をすると、ウェイを伴い社長室を後にした。
「やれやれ」
ジェンカンはメイファの背中を見送る。龍尾の元幹部だが、その前に一人の父親である。娘には真っ当に幸せになってもらいたいという親心が胸中に見え隠れしていた。
◆
東龍倉庫の社用車が三陸道を軽快に飛ばしていく。ウェイが車を運転し、メイファは助手席に座っていた。車窓を流れる山々を眺めている。
三陸道は二十一世紀初頭の津波被害の復興を目的に整備された復興道路であり、この辺りの物流を担う道路でもある。
宮城県から青森県まで伸びる高速道路であり、全長は約三百六十キロメートルだ。
高い防波堤があり、三陸道と称するほどの景観は望めないが、それが皮肉にも温暖化による海面上昇から街を守ると言われている。
無料であるしドライブには丁度良いのだが、メイファとウェイは遊んでいるわけではない。県外で運営している店舗の視察へ向かっているのだ。
メイファが遠くに見える防波堤を眺めながら口を開いた。
「なあ、ウェイ。父は弱っただろうか」
「何ですか、お嬢。突然」
「いや、保守的なことを言われたんだよ。抗争に乗り気ではなさそうだった」
ウェイはちらりと助手席のメイファを見た。その横顔には不満が滲み出ている。ウェイは視線を前に戻すと答えた。
「誰だって戦争なんてやりたくないでしょう。五天龍だって一枚岩ではありません。他に仕事を持っている者も多い。社長のようにね」
メイファはウェイを睨んで言う。
「何を弱気なことを……。そんなことだから黒龍に舐められるんだ」
「お嬢も結婚して子供ができたら分かりますよ。親の心子知らず……ですかねぇ」
ウェイの言葉にメイファは真っ赤になった。
「け、けけ、結婚とか子供なんて……まだ先の話だよ! 考えたこともないわ。ばかウェイ!」
「この業界はいつ死ぬか分かりません。そういうのは早い方がいいと思いますよ。社長はその辺りのことを心配しているんじゃないですかね」
メイファは顔を赤くして視線を車窓に戻す。そして呟いた。
「……あたしより強い男じゃないとダメね。弱っちぃ野郎はぶん殴ってやるんだから」
メイファの初心な言葉に、ウェイは思わず笑った。
「ははは」
「……なによ!」
ウェイがハンドルを切ると、車は軽快にインターンチェンジを降りていく。そこからは奇麗な海が見えていた。
【参照】
リーシャについて→第五十八話 龍の器
サルティ連邦共和国→第四十八話 サルティ連邦共和国
フェイロンについて→第七十九話 龍王
ハオランについて→第百二十話 龍尾とアルティメット・ディアーナ




