第百三十二話 闇龍
冬岩を東の方へ行くと海が見えてくる。それに伴い、人影がまばらになり、廃墟と化した旧市街へさしかかる。更に進むと畑や海岸防災林の黒松が視界に入り、テトラポットや防波堤、荒れ果てた砂浜、そして海に行き着くのである。
港付近は栄えており、多くの人で溢れかえっているが、少し外れた海沿いはそうではない。見渡す限り荒れ地や畑、砂浜だ。そして防災林である。これは二十世紀初頭の津波の名残であり、思うように復興が進まなかったことを意味する。
この地域特有の事情と海沿いの立地は、訳ありの異人や難民が姿を隠すのに好都合であり、反社組織による密航や密輸等の犯罪を助長させ、不法滞在の外国人や無登録難民が多く定着していた。
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三上拓哉と飯田伸介は海岸を歩いていた。世間ではそろそろ昼食の時間だ。三上は早番のバイトであり、運行管理者に飯田の付き添いを頼まれたのである。
結局、飯田は二度目のアルコールチェックにも引っかかり、家に帰されたのであった。管理者の恩情で解雇は免れている。
三上は少し後ろを歩く飯田に言った。
「お前さ。わざとらしかったぜ。あんな風にキレて殴りかかるとか、ないだろ、ふつー」
三上は立ち止まると飯田の方を振り返った。三上の身長は百八十ほどあるが、それでも飯田の方が大きい。少し見上げる姿勢になる。
「そうすか? すんません。他に思いつかなかったんで……。俺、頭悪いから」
飯田は大きい身体を小さくして俯いている。二メートルの身長で恰幅がいい巨躯の男だが、温厚な性格をしていた。口元のヒゲは少しでも強面にするための努力であった。
「……まあいいよ。で? どうだった。龍尾幹部『五天龍』の一人。青龍のメイファは」
三上はタバコに火を点けながら問うた。飯田は二重顎を親指で撫でながら回想する。
「うーん。あっちもだけど、俺も本気じゃぁなかったですし……。いい蹴りしていたけど、マナ使えれば、あんなん普通ですからね。ちょっと分からないっす」
三上は煙を吐き出すと、膝で飯田の尻を蹴り上げた。
「いてっ! 何するんすか?」
「念動力系か精神感応系かくらい分からねぇのか? レアだけど混合系って可能性もあるぞ」
異能には系統がある。まずは念動力系。マナで物体に作用をもたらす。サイコキネシス、テレキネシス、エレメンターなどがこれにあたる。次に精神感応系。五感を使わずに情報を得る。サイコメトリーや透視などがそうだ。そして混合系。念動力系と精神感応系、両方の素質を備える。
「すんません。三上さん。俺、難しい話はよく分かんないっす。……ただ、精神感応系っぽくないっすよね、あの女。ゴリゴリの念動系っすよ。多分」
「まあ、精神感応系は根暗で生真面目な奴が多いからな」
三上はそう言うと二本目のタバコに火を点けた。吐き出す煙が強風で流されて消えていく。
海は山背が吹いて白波が立っている。山背とはオホーツク海高気圧から流れ込む冷たい気流である。この時期の東北の風物詩と言えた。
三上と飯田は龍王傘下の龍鱗直系組織[闇龍]の構成員である。
通称DDと呼ばれるこの組織は、暗殺や強盗、死体処理など、汚れ仕事を請け負っている。他の組織でいうところの武闘派チームと言って差し支えない。
三上は飯田に言う。
「今回の案件はでかいぞ、飯田。ターゲットは二代目青龍のメイファだ」
二人は青龍暗殺のために龍尾傘下の東龍倉庫に潜入しているのだ。
「……三上さん。本当に受けるんすか? こんなヤバイ案件。五天龍はまずいっしょ」
「安心しろ、飯田。殺せたら一億五千万。失敗しても百五十万。……警察に捕まっても補償がある。懲役を一年くらうごとに百万だ。龍鱗は悪だが約束を守る」
飯田は三上の肩に手を置くと、真面目な表情で言った。
「報酬の話じゃないですよ。三上さん……子供生まれるんすよね。いいんですか? ムショ入ったら子供の成長見られないじゃないっすか。美咲ちゃんに寂しい思いさせますよ」
三上は飯田から目を逸らして海の白波を見る。
「あいつには苦労をかけた。これからもかけるだろう。俺は異人だ。生まれてくるガキも……多分異人になる。異人差別は残酷だ。ちゃんとした学校に通わせて良い会社に入って欲しい。金が必要なんだ」
「三上さん……」
「俺には前がある。前科持ちは社員になれねぇ。辿り着いた先が闇龍さ。まあいいんじゃねぇの? くそったれの俺が反社の幹部を殺すんだからな。少しは世の役に立つんだろうよ」
そう言う三上は疲れた顔をしていた。目の下には隈ができ、頬は痩けている。飯田はそんな三上の顔を黙って見ていた。
◆
冬岩の旧市街に近いアパートの一室が三上の自宅だ。築四十年だが狭くはない。窓からは海と林が見える。ひなびた港町の雰囲気が漂っていた。
部屋に入ると、茶髪の同棲相手が出迎える。三上より一回りは年下の日本人女性だ。名を美咲といい、内縁の妻である。
「おっかえりー! お仕事お疲れ様。昼ご飯できてるよ」
「ああ。悪いな」
子犬のように纏わり付いてくる美咲の頭を撫でながら靴を脱ぐ。年が離れているからか、父親のような感情が湧いてくるのだ。
食卓には野菜ラーメンが置かれている。安価な乾麺で効率的に野菜が摂れる。貧困世帯にはありがたいメニューだ。
「えへへ。今日は卵を入れてみました。たっくんは二個!」
美咲は笑顔でピースをしている。三上は溜息をついた。
「俺はいいからお前が栄養摂れよ。子供……産むんだろ」
「ミサは朝食べてるから大丈夫。たっくんは肉体労働なんだからしっかり食べないと」
二人は食卓につくとテレビを点けた。人気モデルのハルカが変死体で発見され、特番が組まれている。
美咲がテレビを観ながら言った。
「あー、この事件かー。ハルカちゃん、麻薬中毒だったんでしょ? なんか、残念」
この事件には龍王傘下の龍華グループが関与していると風の噂で聞いている。龍華と龍鱗は遠い親戚みたいなものだ。他人事とは思えない。
美咲は三上が龍王に属していることを知っている。前科があることも承知だ。それでも一緒にいるのは、美咲自身が訳ありだからである。
三上はテレビから目を逸らし、窓の外を見た。冷たく吹き込む山背が濃い霧を運んできた。海の上空に靄がかかっている。その向こうに海上都市の人工島がそびえ立っているのが見える。
「今年の夏は……涼しくなりそうだな」
三上はそう呟いた。その視線は海を捉えていない。どのようにして暗殺を成功させるか――。そう考えていた。
そして目の前の美咲を見やり、彼女との出会いを思い出していた――。
【参照】
高原雨夜について→第五十話 水門重工
ハルカについて→第百四話 吸血鬼
闇龍について→第百二十話 龍尾とアルティメット・ディアーナ




