第十二話 せっかく異人の友社に入社できたのに私の知能が低すぎる件【落合茉里咲】
おろしたてのスーツを着た少女が東銀の商店街を歩いていた。暖かい風に吹かれてポニーテールがフワフワと跳ねている。手に分厚い教本を持ち熱心に読んでいた。小顔が本で覆われている。前から来る通行人は苦笑しながら少女を避けていった。少女は小声で音読している。
――異人は半世紀以上前からその存在が知られている。
――約二十五年前に東欧のアデルキリアで独裁国家と西洋連合の武力衝突があった。伝説の異人傭兵部隊アドルガッサーベールが西洋連合側へ加担し世界大戦を阻止。世界中に異人の存在が知れ渡った。その結果、戦争のイメージが定着し異人差別が加速した。
少女は立ち止まると溜息をついた。
「ふー! 覚えられませーん! せっかく異人の友社に入社できたのに私の知能が低すぎる件!」
異人の友社は異人に友好的な情報を発信する出版社だ。「異人の幸福と地位の向上」を企業理念に掲げている。ラノベのタイトルのような愚痴を吐いた少女は新入社員の落合茉里咲という。
「上川先輩に特能教本を読めって言われたけど……ちょっとコレ重すぎます。小顔効果はあるけど!」
落合はガードレールに寄りかかると再び教本に目を落とした。これから異人の歌姫カリスについて取材がある。普通人である落合は焦って異人の勉強をしているのだ。
「えーと、協会と特能法についても押さえておけって言われましたっけ」
――約十年前、SNSにアップされた異人の双子の虐待動画が、日本が世界に先立って異人を保護したきっかけになった。母親が双子に激しい暴力を振るっていた最中に異能が暴発。母親は重症。異能の暴発よりも虐待の方に同情が集まり、福祉団体や大物芸能人、マイチューバー、政治家がこぞって異人保護を訴えた。それに伴い特殊能力者保護法を制定し、特殊能力者協会を発足。
「当時の政党が『マナと国民を守る党』で現在の与党……。よし、覚えたぁ!」
――その時である。バンザイをした落合の肩からバッグが消えた。
「ふえ?」
ブオォォンとエンジン音が響く。振り返ると二人乗りのバイクが走り去っていく姿が見えた。後部座席の男の手には落合のバッグがある。ひったくりである。
「えー! わ、私のバッグー! ムンボのサンドイッチが入ってるのにー!」
二人乗りのバイクは交差点前の渋滞にはまっている。しかし走って追いつける距離ではない。車の脇を抜かれれば逃げられてしまう。すると落胆する落合の横に一人の少年が立った。
「姉ちゃん、助けてやろっか」
「え?」
金髪の少年である。瞳も金色だ。まだあどけなさが残る顔だが表情は自信に満ちあふれていた。少年は道ばたに落ちていた空き缶を拾うとピッチャーのように構える。
<発電>
刹那、青い火花が弾ける。バリバリと電気が流れて少年の毛が逆立った。落合は目を見開いた。(この子、異人だ!)熱を感じるほどの電流が空気を震撼させる。空き缶まで電気が行き渡ると大きく振りかぶった。
「おらよ!」
思い切り空き缶を投げた。ビュッと風を切って一直線に道路を突き進む――カァンと甲高い音が響きバイクの男に直撃した。「いってぇ!」後部座席の男が道路でのたうち回る。
「へへっ」
電気を纏った少年はガードレールを跳び越えると一気に距離を詰めて男達を捕まえた。男は暴れたが少年に殴られて大人しくなった。単純に強い方が偉い。異人街のスラムの鉄則だった。
「ほら」
少年がバッグを手渡す。落合は慌てて受け取ると頭を下げた。
「あ、ありがとう! 君の名は?」
「電拳のシュウって呼ばれてる。近くで便利屋やってるんだ。本当なら金貰うけど、今日はいいや」
「は、払います。いくらですか?」
「いいって。じゃあなー」
シュウは笑顔で去っていった。落合は呆気にとられながらその背中を見送った。爽やかな笑顔を思い出して胸が高鳴る。
(このドキドキ! まさかこれって……恋ですかー!)
しばらくその場で立ち尽くしているとスマートフォンが振動した。画面には上川多賀子と表示されている。落合は青くなった。
「うげ、先輩―! あ、取材の時間だったぁ!」
落合はバッグを肩に掛け直すと待ち合わせ場所へ向かって走っていった。金髪の彼とはまた会えるかも――そう思いながら。