第百十六話 雨夜リスタート
シュウはコーヒーを飲みながら店内を見渡した。少し離れた所で源と平姉弟が座っている。世間はまだランチの時間なので、客足はまばらである。
シュウはパフェを食べる雨夜の顔を見た。一生懸命スイーツに向き合うその顔は年相応に見えなくもない。これで笑顔なら源も安心するのだろうが、雨夜は滅多に笑わない。
「お前さ。たまには笑えば? 子供らしく」
雨夜はパフェを食べ終えて、シュウの方を見る。
「笑っていませんか? 私、今日は楽しんでいますよ」
雨夜は口元をウェットティッシュで拭きながら答える。
「マナリンクのリッカちゃんはよく笑っていたじゃねーか。あんな感じで笑えよ。みなもっちゃんが心配するぞ」
雨夜は目を伏せると、こう言った。
「……今日は普通の子供らしく過ごしてみました。龍尾のシンユーさんに言われたことを考えていたのです」
雨の市街戦の時に龍尾と接触した雨夜はシンユーに言われたのだ。
――普通に飯食って、普通に学校へ行け。お前には……それができるんだからな――
「私は……いま、ちょっと分からないのです。何が正義で何が悪なのか……。悪いことをしたら悪い人? じゃあ、その悪いことを『悪い』と決めるのは誰?」
雨夜はすがるようにシュウを見て話している。
「龍尾は悪い組織です。DMDを密売している。でもシンユーさんは仲間のために本気で怒り、そして涙を流した――。彼には彼の正義があったのです。他人を思いやる心も……」
シュウはゆっくりとコーヒーを飲む。今は雨夜の胸の内を聞くことが重要だと判断した。全て吐き出させた方がいい。そう思った。
「ファイブソウルズの土使いに、私がテロリストだと言われた時――私は言い返すことができなかった。……だって、水門重工が開発したミサイルで彼の家族は死んだのですから」
「……」
「私は分かっていたつもりです。民間人が死なない戦争などあり得ない。爆弾が落ちれば善人も悪人も死ぬ。でも、暫定政府が勝利しなければ国が滅びる。少ない命より、より多くの命を救え――と」
「……」
「三年前にパキンがサルティへ侵攻し政権が崩壊しました。世連と東国連合はサルティ暫定政府を支援。アメリカに続いて日本もそれに加わりました。しかし戦争は泥沼化し……これまでに民間人が四万人以上死んでいます」
雨夜は真っ青な顔で俯いている。小さい肩が震えていた。
「土使いの言葉で分かりました。ファイブソウルズはサルティ侵攻から生まれた亡霊だと。彼等はテロ組織の前に、奪われた側だった――。彼等にとってはパキンも暫定政府も連合も……『テロリスト』だったのです」
雨夜は自分の肩をぎゅっと抱くと目を閉じる。
「私は……恐ろしい。世連が正しいと信じ込んで……四万人もの命を……大義の前に失われた少ない命と錯覚していたのです! 私は――」
雨夜が何かを言う前に、シュウは席を立った。そして雨夜の隣に移動する。
「……シュウさん?」
雨夜は怯えたようにシュウを見上げる。
「となり」
「はい?」
「となり、座っていいか?」
シュウは雨夜の隣にドカッと腰を下ろした。そして、雨夜の両肩をガシッと掴み、身体を自分の方に向けさせて、真っ直ぐに目を見る。
「あ、あの……?」
突然のスキンシップに雨夜の視線は泳いでいる。完全に思考が停止していた。
「お前さ。大事なことを忘れてねーか?」
「だ、大事なこと……?」
「お前は、健太やセドリック……異人自由学園の子供達がファイブソウルズに殺されてもいいのかよ。あいつらはやるぞ。自分達の正義のために――沢山の人を殺す」
「……」
「なあ、雨夜。お前は……この異人街で子供達が死ぬことを……自爆することを……許せるのか?」
「……シュウさん」
シュウは雨夜の肩から手を離すと、今度は頭を撫でた。子供扱いされることを嫌がる雨夜だが、大人しくしていた。遠慮がちにシュウの顔を見上げている。
「お前にはお前の正義があったはずだ。それを忘れたのか?」
――あの日、異人自由学園のカフェで雨夜はシュウに言った。
――シュウさん。こうしている間にも子供が犯罪に巻き込まれています。その力を貸してください――
そのことを思い出した雨夜は目を見開いた。
「世界平和よりも先に足元を見ろよ――まずは目の前の命を救うんだ」
「……はい!」
雨夜の瞳に光が戻った。シュウは言葉を続ける。
「俺はファイブソウルズを許せねぇ。だが、殺したいんじゃない。止めたいんだ。憎しみと悲しみの連鎖を断ち切るためにな」
「断ち……切る……」
「弱音を吐いたっていいさ。でも、お前は俺に何か言うことがあって来たんじゃねーのか?」
シュウは雨夜の目を見据えて言った。雨夜は目を逸らさない。そして力強く言い放った。
「私は――ファイブソウルズを止めたい!」
雨夜はいつもの顔に戻っていた。そしてシュウの膝に手を添えて、こう続けた。
「シュウさん。私と一緒にファイブソウルズを追ってください。リスタートです!」
「そうこなくっちゃ!」
――少し離れた所で、源と平姉弟が二人の様子を伺っていた。感情を表に出さない巴が少し驚いた顔でシュウを見ている。そしてこう呟いた。
「雨夜様が……笑っている。あの金髪の少年……凄い人だ」
源が笑顔で、巴の呟きに答える。
「あれが電拳のシュウ様です。雷火の弟子にして金蛇の末裔。今はまだ少年ですが、いずれは十大異人に名を連ねる方ですよ」
「電拳の……シュウ」
尊がぼそりと呟いた。
◆
シュウは自分の席に戻ると、残ったコーヒーを飲み干した。雨夜は恥ずかしそうに窓の外を眺めている。
「そう言えばお前さ。学園でプリン食べていた時、俺にチェンのことを聞いたよな」
「え? ああ、はい。そうですね」
「あいつはお前と同じさ。年齢も大差ねーし、頭がいい。得体の知れねー異能も秘めてやがる」
雨夜とチェンは直接面識があるわけではない。異人街を調査していたら偶然耳に入ってきた程度の認識である。遠目でシュウと一緒に行動している姿を見掛けたこともあった。
「チェンとは俺が異人街へ来た頃に会った。まだ十四の頃、師匠の所へ通っていた頃だったな。一緒にくだらないこともやったっけ。まあ、せいぜい二年くらいの付き合いだ。チェンは用心深くて身の内を話さない奴だったけど、一回だけ故郷のことを話したことがあった。俺は最近までそのことを忘れていたよ」
シュウの言葉を聞いて、雨夜に緊張感が生まれた。
「シュウさん……それって」
「チェンの故郷――サルティ連邦共和国だ」
雨夜は思わず息を呑む。そして小さな声で呟いた。
「もしかして……三年前のサガの大虐殺の……生き残り?」
シュウは首を横に振る。
「分からねぇ。あいつがいつ日本に来たのか、何故日本にいるのか、俺は何も知らないんだ。最近会ってねーしな」
「少し前に協会の黒川南さんと朱雀華恋さんが、荒川難民キャンプでチェンさんを目撃したらしいですよ。どうしてそんな所にいたのでしょうか」
水門重工と特殊能力者協会は情報を共有している。それは当然雨夜にも知らされていた。
「難民キャンプ……か」
雨夜の話を聞いたシュウは、何故だか嫌な予感がした。シュウは勘がいい。特に嫌な予感は大抵当たる。
「チェンと会う必要があるな。今回のファイブソウルズの事件……あいつが鍵だ。そんな気がする」
雨夜はシュウの険しい顔を黙って見ていた。
【参照】
サルティ侵攻→第四十九話 誓いの炎
健太とセドリック→第五十三話 異人自由学園
異人自由学園のカフェ→ 第五十五話 高原雨夜
荒川難民キャンプ→第六十一話 朱雀華恋
マナリンクのリッカ→第八十五話 蛇の民と瑪那人
雨夜とシンユー→第九十八話 世界の平和
土使いと雨夜→第九十九話 テロリスト




