第百六話 騎士と魔女の取引
鷹のように目つきが鋭い赤髪の男がスポーツカーを飛ばしていた。ねずみ取りがいれば速度違反で引っ張られているだろう。しかし男は豪快にアクセルを踏み込んだ。
(アリスと連絡が取れないのはおかしい。何かの事件に巻き込まれたか)
男の名をクートー=インフェリアという。アルテミシア騎士団長だ。シンポジウムに参加していた団員からの連絡が途絶えたため、特殊能力者協会の本部へ向かって車を走らせている。
(副会長……黒川亜梨沙。禁忌の魔女の力が必要だ)
クートーは車を協会の駐車場へ止めると、エレベーターに乗り込み副会長室を目指す。途中で後輩のギフター達が挨拶をしてくるが、軽く礼をするだけで通り過ぎる。
これは焦っているからではなかった。クートーは普段から寡黙で笑わない。そして必要以上のことは話さない。周囲もそのことを知っていた。
「亜梨沙、いるか」
クートーは勢いよく副会長室の扉を開けた。亜梨沙はパソコンのモニターを見ながらキーボードを叩いている。視線を上げずに一言返した。
「何?」
「シンポジウムへ参加していたアリスと連絡が取れない。バス会社に確認したが、バスごと消えたそうだ。位置が掴めないらしい」
「そう。他の団員や共催団体からも連絡はないの?」
「ああ」
亜梨沙は溜息をついた。そしてクートーを見て口を開く。
「おそらくバスごと拉致されたわね。これを見て」
クートーは亜梨沙の背後に回り込んでパソコンのモニターを見る。
「……これは」
そこには動画が映し出されていた。目出し帽を被った男がライフル銃を持ちながら淡々と喋っている動画である。
「さっき送られてきたのよ。騎士団の方にも届いているんじゃないかしら? 協会にも送ってくるなんていい度胸しているわね~。ふふん」
そう言う亜梨沙は笑みを浮かべている。彼女はどのような時でも微笑む癖があった。
「要求は何だ?」
「んー? 日本とフランスはサルティ連邦共和国への支援を止めろ。ギルハートに収監されている異人革命戦線のメンバーを釈放しろ。人質を解放してほしければ身代金を払え。……こんな感じね」
動画の画面が切り替わり、拘束されたシンポジウム関係者が映し出されている。人質は十名。男五名、女五名である。その中にアリスの姿もあった。背景から場所は分からない。薄暗い建物の中としか言えなかった。
「皆、ズボンとかスカートを膝まで下ろされているわね。……暴行を受けていないといいけど」
人質を逃がさないように、ズボンを脱がすことはよくあることだ。しかし、アリスの着衣に乱れはない。おそらく他の騎士団員が庇ったのだろう。
「どこのテロ組織だ?」
「ファイブソウルズ――。そう名乗っているわ」
その時、亜梨沙のパソコンに通信が入った。
「フランスからね、騎士団本部よ」
亜梨沙がクリックすると画面が切り替わる。画面には明るい栗色の髪をした青年が映っている。アルテミシア騎士団本部のカミーユ=バルテルミーであった。
『アリサ=クロカワ。動画を観ましたか? あ、クートーもいるのですね。丁度よかったです』
「あら、ムッシュ・カミーユ。そちらは『おはよう』ですね。朝からお疲れ様です」
カミーユは三十代半ばの男である。クートーと旧知の仲だ。普段は穏やかな性格だが、身内が人質に取られて狼狽えていた。
『ええ。朝から大騒ぎですよ。……今回のシンポジウム参加者の拉致事件。どう思われますか?』
「要求が無茶苦茶ですね。話は日本とフランスだけでは収まりません」
亜梨沙は神妙な表情で話を続ける。
「世連加盟国である日本がサルティへの支援を止められるわけがありません。そして囚人の釈放ですが、例え日本政府が交渉してもギルハートが動くことはないでしょう。何より、日本、フランス、ギルハートはテロに屈しないと宣言しています」
それを聞いていたクートーが口を挟んだ。
「それは建前で、実際はテロと交渉しているだろう。これまでだって欧米は身代金を何千万ドルも払ってきている」
「だーかーらー! その建前でスルーされるって言ってんのよ! ギルハートは東国連合の議長国で、日本は連合の協力国に過ぎないのよ?」
亜梨沙はデスクをバンバン叩くとこう続けた。
「しかもギルハートはテロで治安が悪化している。先日も輸出加工区でアメリカのエンジニアが銃撃に遭ったわ。そんな状況でテロリストを釈放するわけがないでしょ! それにフランスは協力関係ですらない。助ける義理なんてないわよ。向こうにとってはね」
そこまで言い切ると、亜梨沙は大きく溜息をついた。画面の向こうのカミーユが額に手を当てて顔をしかめている。
『その通りですね……。クートーはどう思われますか?』
「俺は身代金の要求に違和感を覚える。これまでファイブソウルズがカネを要求したことはあったか?」
『なくはないかと。テロ組織にとって身代金は重要な資金源です』
亜梨沙はもう一度動画を見た。目出し帽の男は腰に爆弾を巻いている。ファイブソウルズは爆弾テロ、自爆テロを行う組織だ。戦災孤児に自爆させるその手段は世界を震撼させた。亜梨沙が口を開いた。
「カミーユ。我々協会は水門重工と協力をして異人街に潜伏するファイブソウルズについて捜査中です。……先日、フィオナと稲葉がファイブソウルズの少年と戦闘になりました。その少年の名前はヤミ――ナンバーズです」
立体駐車場でフィオナと稲葉がヤミと戦闘になった件は亜梨沙に報告されている。また、協会は水門重工と情報を共有しており、ジャスミンの件も把握済みだ。
「ヤミと水門を襲撃したジャスミンは凄まじい戦闘力とマナを有していましたが……この動画の男からはその片鱗を全く感じませんね」
カミーユは亜梨沙の意見に頷く。そこでクートーが亜梨沙の発言を引き継いだ。
「こいつらは偽物の可能性があるか……。政治的信念があるように見せかけて、実はカネ目的のテロは多い。ふむ……時間が惜しいな。おい、亜梨沙」
「……何よ?」
「お前の<千里眼>を貸せ」
「はぁ? 私の眼は安くないわよ! 親しき仲にも礼儀ありって言葉知ってる?」
クートーにとって想像通りの反応だったらしい。淡々と言葉を続ける。
「今から警察に助力を求めると時間のロスが大きい。お前ならあらゆる面倒な法的手続きを省略し、尚且つ奴等の位置情報を把握できるはずだ。そこで取引だ、亜梨沙」
「何?」
「俺がファイブソウルズの一人を始末する。それでどうだ?」
亜梨沙の顔から珍しく笑みが消えた。画面の中のカミーユも驚いた顔をする。
「ふうん?」
亜梨沙は細い顎に指を添えて考える仕草を見せた。
【参照】
ヤミとの戦闘→第六十六話 ここに化け物がいる
ジャスミンの襲撃→第七十一話 ジャスミンの正体
輸出加工区の銃撃→第七十四話 マラソン・エナジー




