第百一話 あの男
八神が店に戻ると、ソムリエールの二階堂響が駆け寄ってきた。長いグレーの髪を後ろで結っているエキゾチックな女性である。
「オーナー、お疲れ様でした」
「ああ、二階堂か。ホールは大丈夫か?」
八神は頭を掻きながら店内を見渡した。あのような騒ぎがあった後でも平常通りに回っているようだった。異人喫茶の客は度胸が据わっている。
「はい、問題ありません。ラヴノーはセラーに戻しました。あの……『ウラの方』がお見えです」
二階堂はそう言うとカウンターの方を見た。そこには背広を羽織った大柄の男が座っている。スクエア眼鏡を掛けた太った男である。年は五十を越えていそうであった。
男は八神に気が付くと手を振った。
「よう、久しぶりだなぁ! 相変わらず美味いよ、ここの肉は!」
低いが、よく響く声である。既にステーキを五枚ほど平らげているようであった。片手にはカリフォルニアの赤ワインを持っている。
「……ウラノさん。わざわざ来たんですか? 部下を寄越せば良かったのに」
ウラノと呼ばれた男は赤ワインを飲み干すと、こう答えた。
「いやぁ、君を驚かせようと思ってね。それにしてもナパの赤ワインとステーキは合うなぁ! 鉄板だね、これは! ああ、そうそう。個室で話せるかい?」
ウラノは出っ張った腹をさすりながら笑った。八神はホールと厨房の様子を見る。ピークタイムは落ち着いているようであった。
「分かりました。……手短にお願いします」
二人はバックヤードの休憩室へ移動した。この時間帯、スタッフは全員店に出ているので無人である。ウラノは席へ着くとタバコを出した。
「あれ? ここ禁煙だっけ?」
「……ワインを扱いますからね。バックヤードでタバコは吸わせませんよ。……で? 今日は何です?」
八神は室内のコーヒーメーカーでコーヒーを入れて、ウラノへ渡す。無愛想な八神の態度にウラノは微笑む。
「ふ。相変わらずだな。見てたよ、さっきの洗礼。エクスプロージョン。腕は落ちていないな」
「落ちるも何も……。私は一応現役ですから。十大異人の序列は落ちたんですかね。最近、チェックしていませんが……」
「今、君は五位だね。笑っちゃうよねぇ。レストランの店長がこの街でトップファイブに入っているんだから。まあ、君の場合、本気を出せば上位三位に食い込むだろうがね。それはそれで我々は困るんだが。目立って欲しくないんでね」
「協会のランキングは良くも悪くも牽制になっていますね。審査の基準は謎ですが、……言い得て妙ですよ」
しばしの沈黙が流れる。ウラノが口を開いた。
「最近、鍵師の姿が見えないね。君のエスでもあったんだろう? どこ行っちゃったの?」
エスとはスパイの隠語である。要は囲っている情報屋だ。【鍵師】とはチェンの異名であった。
「チェンですか。別にエスってわけじゃないですよ。……最近、店にも顔を出しませんね」
「坊やの能力がヤバイって知っているだろ? ちゃんと飼っておいてくれよ。あれが他の組織に流れたら脅威でしかないぞ」
ウラノはそこまで言い切ると、コーヒーを一口飲んだ。再び沈黙が訪れる。今度は八神が先に口を開いた。
「最近は便利屋金蚊の店長と行動を共にしていましたよ。覚えていますか? あなたの命令で電拳のシュウを監視していたんです。……ミイラ取りがミイラになりましたかねぇ」
「スパイあるあるだな……ところで電拳のシュウはどうなっている?」
「……この間、龍王の後藤、龍尾のシンユーと揉めていましたね。女を庇っていたなぁ。その後もチェンと来ました。コース料理を食べに。ああ、それが最後かな。あいつを見たのは」
八神が細く尖った顎を撫でながら回想している。ウラノはしばらく考えていたが取り敢えずの結論を出す。
「ロックスミスに関しては様子見だ。裏切るようなら排除せねばなるまい。……惜しいがね」
八神はウラノの言葉に溜息をついた。そして皮肉を言う。
「あんたらは変わらんね。お国のためなら何でもやる」
「当然だ。そのために我々、烏蛇は存在している。君もその一員だ。忘れるんじゃないぞ」
「分かっていますよ。で、そろそろ本題に入ってくれませんかね?」
八神は細く長い足を組み直して、先を促した。
「うむ。少し前の話になる。カラーズと呼ばれる組織が暴力団柊会に商品を納品したのだが……その中身がな」
「当然、まともな商品じゃぁありませんよね。ブツですか? それとも人間?」
「後者だ。犯罪者や売春婦、子供……そして、複数名のストレンジャー」
ウラノは腕を組んで顔をしかめている。八神は無言で話の続きを待っていた。
「取引中に龍王の襲撃に遭い、密入国者は拉致されたんだが、ストレンジャーだけは姿を消したらしい。龍王側は後藤が指揮を執っていたが、珍しく取り逃がしたそうだ」
「まさかファイブソウルズの増援じゃないでしょうね? 嫌ですよ、子供を相手にするのは」
「ふ。ファイブソウルズは協会の小娘と騎士団に任せとけばいい。厄介な相手だが何とかするだろう」
「はぁ……。じゃあ、どんな連中なんです? その密入国したストレンジャー達は」
八神は気怠そうに頭を掻きながら問う。
「……あの男だよ」
ウラノの答えに八神の表情が変わる。
「招き入れたのは吉田というブローカーだな。吉田はファイブソウルズを龍王に斡旋した可能性がある要注意人物だ。やばい匂いがぷんぷんするぜ。なあ?」
発言の内容とは裏腹にウラノは楽しそうに笑っている。八神はそんな様子を無感情に見詰めていた。
「……あの男だという根拠は? 奴はギルハートにいるはずでしょう。日本に来るわけがない」
「奴が国際テロ組織ママラガンを支援していることは公然の秘密だ。最近、奴と組織のメンバー数人が姿を消した。密入国の時期と重なるんだよ。気になるよねぇ」
どうやら「あの男」の来日に関しては、まだ可能性の段階らしかった。八神は少し考えて口を開く。
「……成る程。チェンに電拳のシュウを探らせていたのは、これを危惧してのことですか。随分と先見の明がおありで」
「あの男が雷火か電拳と接触を図る可能性がある。それを阻止したい。本当なら金蛇の本家を叩きたいが、場所が分からん」
八神が露骨に嫌な顔をして言った。
「……金蛇ってエレキ系の集団でしょう? 雷纏っている奴は大体好戦的だ。荒いんですよ、気性が。龍脈の恩恵でマナ量も多い。そんな奴等に戦争を仕掛けたら甚大な被害が出ますよ」
八神の懸念に、ウラノはコーヒーを飲みながら答えた。
「いずれ金蛇は一網打尽にする。奴等との戦争は避けられんよ。その時がきたら烏蛇は勿論、特能群も動かすことになるだろう。ゾクゾクするぜ! なぁ?」
ウラノはそう言ってのけると、自分の太鼓腹をパァンと叩いた。
「……特殊部隊を? ウラノさん、あなたはブレないね。あの時のままだなぁ」
八神はそう言うと席を立って、猫背を伸ばす。それに倣ってウラノも席を立った。そして紙コップをゴミ箱へ投げ入れる。
「私は変わらんさ。変わるつもりもない。国家に仇なす異分子を刈り取るだけだ」
ウラノは休憩室のドアノブに手を掛ける。そして低い声でこう付け加えた。
「……八神、ママラガンの捜査は頼んだぞ。二階堂と七種も使うといい。じゃあな」
八神は黙ってウラノの背中を見送った。
「三人も抜けたら店が回らんよ。……ったく。チェンがいればな……」
八神は気怠そうに頭を掻くと、愚痴をこぼした。
【参照】
シュウ・シンユー・後藤→第二十九話 龍王の襲来
シュウとチェンのコース料理→第四十一話 雨蛇町に行こう
ブローカーの吉田→第七十八話 カラーズ
カラーズの事件→第七十九話 龍王
金蛇の本家について→第八十五話 蛇の民と瑪那人




