FINALE
パンの言っていた栗の木は、すぐに見つけることができました。だって本当に大きいんですもの。幹の太さなんて、ゆうにドラム缶三本分くらいはあるでしょうか。古くって、威厳があって、そして大地にどっしりと根を下ろした立派な木です。その太い幹からは、まるで巨大な日傘のように枝葉がひろがって空を覆いかくしていました。夏なのに、木陰に入るとなんだかひんやりとします。ツタの絡まった根元にはリスが二匹いて、がじがじと木の実を食べていましたが、私が近づいてゆくと驚いたように立ち上がり、ちょいちょいちょいと幹の高いところまで駆け上ってゆきました。
「ゆうきぃー、ゆうきぃー、どこにいるのー?」
私は、その栗の木から半径百メートルくらいまでを、くまなく探しまわりました。でも、どこにも優希の姿は見当たりません。どうしたのでしょう。もうこの辺りにはいないのでしょうか。どこか別の場所を当てもなくさまよっているのでしょうか。ママ、ママ、と私のことを呼びながら泣いているのでしょうか。もう太陽は、西の空とその下にひろがる稜線の境目くらいまで下りてしまっています。あと一時間もしたら日没がはじまるでしょう。いったい私は、どうすれば……。
途方にくれながらふらふら歩いていると、例の栗の木に大きなウロが空いているのを発見しました。人ひとりがすっぽり入れるくらいの大きさです。まさかと思い中を覗いてみると……いました! 優希です。びっしりと敷き詰められた枯葉の上でころんと丸くなって、すやすや寝息を立てているのです。なにか楽しい夢でも見ているのでしょうか、ときどきにこっと笑顔になったりします。ああ、なんて可愛らしい寝顔でしょう。ほんとうに天使のよう……。
「こんなところにいたのね。優希ってば、起きてよう」
私がその小さな肩をつかんでゆり起こすと、彼は眠い目をこすりながら頭をもたげました。
「……うーん、おねえさん、だあれ?」
まだ半分夢の中にいるのでしょう、頭がふらんふらん揺れ動いています。
「あなたを迎えにきたのよ、さあ私と一緒に帰りましょう」
「……ここは木のにおいがしてとっても気持ちいいの。もうちょっと寝かせて」
今にもくっつきそうな瞼を一生懸命持ち上げて、そんなことを言うのです。まったくしょうがない子。私は苦笑しながら言いました。
「今夜の晩ご飯は、優希の大好きなハンバーグよ」
「はんばーぐ……」
眠気と食欲を秤にかけて、どうやら食欲のほうを選んだようです。彼はごぞごぞとウロの中から這い出てきました。その小さな体をつかまえて、私はぎゅっときつく抱きしめました。
「もう、心配ばっかりかけて、本当に悪い子なんだからあ……」
今まで必死にこらえていた心細さや、ようやく優希を見つけたことへの安堵からか、涙がぽろぽろと溢れ出すのを止められません。無事でよかった。もう二度と会えないかもなんて思ってしまった。胸いっぱいに我が子のにおいを吸い込んで、その存在をひしひしと確かめます。良いにおい……、ママだけにしか分からない、この子のにおい。そっと目を閉じて、いまこの瞬間がもたらしてくれる幸福をじっくり噛みしめます。そんな様子を彼は不思議そうに見ていましたが、やがて私の胸に顔をうずめると、再びすやすやと寝息を立てはじめました……。
そのときです。こつん――、ふいに何か硬いものが私の頭にぶつかりました。なんだろうと思い草の上に転がったそれを拾い上げると、あめ玉でした。なぜこんなところに? 不審に思い、そっと頭上を見上げてみると……。
「――え、なによこれ?」
ビスケット、キャンディ、シュークリーム、ゼリービーンズ、マシュマロ……、頭上に大きく張り出した栗の木の枝という枝に、まるでクリスマスツリーの飾りつけみたいにたくさんのお菓子がぶら下がっているではありませんか。みんな優希の大好きなものばかり。なんてことでしょう。うふふ――、私は涙をぬぐいながら、こみ上げてくる可笑しさに目を細めました。そうです。ここは悪い妖精のつくり出した森である以前に、優希という想像力豊かな少年が見ている夢の中なのです。無邪気で、食いしん坊で、ときどき変な勘違いをやらかしては私のことを笑わせてくれる、そんな可愛い息子が見ている夢……。なんて純粋で、なんて儚くて、そしてなんて愛らしいんでしょう。彼がやがて大人になったとき……ちゃんと自分の歩むべき道を見つけて私の元から巣立ってゆくときに、もう一度今日ここであったことを話して聞かせることにしましょう。そしてあなたには、こんなに素敵な魔法を使う力があったのよって教えてあげることにしましょう。そう心に決めて、私はもう一度、彼のことを思いっ切り抱きしめました。
まさにその瞬間です。
「いまだ! えいっ――」
「ひっ」
とつぜん、私のお尻に強烈な痛みが走りました。あまりの痛さに体中からぶわっと汗がふき出します。涙もこみ上げてきます。びっくりして後ろを振り返ると、マークが、きしししと笑っていました。イルルもちょっと困った顔で笑っています。シャニスが手を打って二回宙返りをしました。
まさか――。私は、おそるおそる自分のお尻へ目を向けました。ああ、やっぱり! スズメバチの針です。マークが私に見せびらかしていたあの恐ろしいスズメバチの針が、深々と私のお尻に突き立っているのです。
「痛ぁーいっ、あんたたちってば何てことすんのよう」
そうです。彼らはじっと物陰にかくれながら私たち親子の様子をうかがい、この瞬間がやって来るのを今か、今かと待ち構えていたのです。
「これで元の世界に帰れるよー」
「バイバーイ、また遊ぼうねー」
「今度こそ優希君のこと離さないでー」
なごやかに手を振る妖精たちの姿が涙でかすんで、やがて見えなくなるまで私は泣きながらお尻をさすっていました。ちょっと堪え難いような痛みです。はっきり言って死にそうです。去年、虫歯の治療をしたときより十倍くらい痛いです。きっと彼らは、私のお尻に針を刺すことをはじめから計画し、ずっと楽しみにしていたのでしょう。やはり妖精という生き物は、みんないたずらが大好きだったようです。
「もう、最悪うーっ!」
がばっと身をおこすと、そこは病室の中でした。パイプ椅子が、ぎしぎし音を立てています。どうやら夜は明けたようで、閉じられたカーテンのすき間からやわらかな日差しがすーっと斜めに射し込んでいました。
まず私の目に飛び込んできたのは、優希の顔でした。心配そうな表情で、じっとこちらを見つめているのです。
「……優希?」
「あ、ママ、やっと起きた」
私は慌てて腰を浮かせると、急いで彼のベッドへ歩み寄りました。
「あなた、もう熱はないの? 苦しくない?」
「うん、だいじょうぶだよ」
そっと額に手を当ててみます。どうやら熱はすっかり引いたようでした。
「ああ、よかった……。一時はどうなることかと」
私は、パジャマの上から彼の小さな肩を抱きしめました。救急車に乗ってここへ来たときには、もうどうして良いのやら分からず、ただ涙ぐみながら神様にお祈りしていましたが、もう大丈夫のようです。きっと神様が私の願いを聞きとどけて下さったのでしょう。
さあ、先生に診ていただいたら一緒にお家へ帰りましょう。ちゃんと治ったら、優希の好きなもの何でも食べさせてあげるからね。私は、息子の頭を優しくなでながら、汗ばんだおでこにそっと口づけしました。
と、そのとき、私は彼のやわらかな髪に黄色いパンくずのようなものが付いているのを発見しました。
「なにかしら?」
そっと指でつまんで見ると、どうやら落ち葉のかけらのようです。ベッドで寝ていたはずの優希の髪に、なぜ落ち葉なんか付いているのでしょう?
不思議に思って首をかしげていると、彼が遠慮がちに私を見上げて言いました。
「あのね、ママ……」
「――え、なあに?」
私は考えるのを止め、ベッドにそっと腰を下ろすと覗き込むようにして優希と目線を合わせました。
「うん?」
すると彼はにっこり笑って、いきなりグーで握った右手を突き出すのです。
「はい、これ」
「え?」
驚いている私の鼻先で、彼はゆっくりとその小さな手を開いて見せました。そこには、なんと銀紙に包まれた一粒のチョコレートが乗っていたのです。
「だって、きょうは、られんたいんでしょ?」
彼は微笑みながら言いました。
「あのね、ぼくね、ママのこと、とっても好きなの。だからね、ママにどうしてもチョコをあげたいなって思ったの」
「……」
私は今、いったいどんな表情をしているでしょう。驚きと、喜びと、照れくささと、愛しさがごちゃまぜになった、とっても変な顔をしているに違いありません。
「えーん、なんて可愛いやつなんだ、お前は!」
私はもう一度、優希のことを思いっきり抱きしめました。そして頬っぺたにぶちゅーっとキスをします。彼は驚いて「やー」と言いながら身をよじっていましたが、しかしすぐに私を見てこんなことを言いました。
「あのね、ぼくがチョコレートほしいなって思ってたら、へんな妖精さんが現れて、お菓子の木のあるところまで連れてってくれたんだよ」
――あ!
その話を聞いた瞬間、いつも目覚めると同時に忘れてしまう妖精たちとの記憶が、まるで閃光のように頭の中でフラッシュバックしました。
やんちゃ坊主のマーク。
顔にそばかすのあるイルル。
お洒落で気の強いシャニス……。
そうです、今こうして優希をこの腕に抱きしめることができるのは、すべて彼らのおかげなのです。無力な私のために夢の世界を案内してくれて、悪い妖精とも一緒になって戦ってくれた、素敵な仲間たち……。なのに私は、彼らにお礼を言うことすら忘れていました。なんてことでしょう。こんど会ったら必ず今日のお礼を言わなくちゃ。「みんな君たちのおかげだよ、ありがとう」と言って、またヨーグルト味のキャンディをご馳走してあげなくちゃ。ぜったいに、ぜったいに……。
感動でじわーっと涙ぐんでいると、ふいに優希が口を開きました。
「そうだ、ママ、きいて。あのね、ぼくが森のなかで寝てたらね」
「……え? うん」
「知らないおねえさんがきて、ぼくのこと起こしてくれたんだよ」
「……」
私は思わず苦笑してしまいました。そのおねえさんっていうのは、じつはママだったんだよ、なんて口が裂けても言えません。だって恥ずかしいじゃないですか。自分の少女時代の姿を、息子に見られただなんて。
でも、ふと考えてしまうのです。もし私が、子どものころに優希と出会っていたなら、ふつうの男の子と女の子として知り合っていたなら、彼は私のことをどう思ったでしょう? もしかして、恋心を抱いたりなんかしたのでしょうか?
ちょっと探りを入れてみました。
「ねえ、優希……。そのおねえさんって、可愛いかった?」
すると彼は、人差し指を口にあて「んーとね、んーとね……」と考え込んでいましたが、やがてにこっと笑いながら言いました。
「日に焼けて、まっ黒だった」
……まだ、お世辞を言える年頃ではありません。
その年の夏、私は実家で法事をすませるため、久しぶりに父母の暮らす田舎町の一軒家を訪れました。そこには懐かしい場所があります。そうです、幼いころ妖精たちと戯れていたあの庭です。園芸好きの父がよく手入れをしているせいで、花壇に咲きこぼれる季節の草花は、今もあの頃のままの瑞々しい姿をたもっていました。でも庭からの眺めはすっかり変わってしまったようです。トウモロコシ畑は自動車学校の教習コースになっていたし、アシの生い茂る原っぱやオタマジャクシの小川も、今ではホームセンターやスーパーマーケットの建ちならぶショッピングモールへと姿を変えていました。
妖精たちは、あれから私の夢には現れてきませんでした。ぜひとも、ひとことお礼が言いたかったのですが、どうやらその願いは叶わぬようです。優希は、今でも彼らと遊んでいるのでしょうか。訊ねてみても、うふふっと笑い、「それは、ぼくたちだけの秘密なの」と言って教えてくれないのです。
夏の日差しが、庭に咲きこぼれるヒマワリの花びらを鮮やかなオレンジ色に輝かせていました。
私は、ふと思いついて、コンビニで買ってきたヨーグルト味のキャンディを小皿に盛り、それを庭のかたすみにそっと置いてみました。我ながらバカなことをするものです。妖精たちは、もうここにはいないのに……。
でも翌朝見ると、小皿の中身は、きれいさっぱりなくなっていました。
終わり。
お読みくださり、ありがとうございました。
今回はMポムさん母子の可憐なイメージを表現するために、ちょっと児童文学っぽくしてみました。もし本物のMポムさんにお会いしてみたいという方いらっしゃいましたら、ぜひ下記リンクより彼女のブログページ『あいまいみっくす』の方へお立ち寄りくださいませ。キュートでコケティッシュな、Mポムさんオリジナルのイラスト(※ パンチラ有り!)もたくさんアップされてますよ〜 (^_^)
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