そんなくだらないもののために
梅雨の晴れ間。空の青を映す窓から差し込む、初夏の気配を遠く纏う日の光の中。
昼休みの一年C組の教室では、二つの人だかりが出来ていた。
「ねぇねぇ東雲さん、病気で休学って大変だったね! 何か困った事があれば力になるから、ウチらに相談してね!」
「……ありがとう。困らないように努力する」
「ねぇマキ、これって嫌われてるのか気を使われてるのかどっちだと思うっ!?」
「知らんがな。馴れ馴れしくてごめんね。この子、距離感が動物園のカピバラ並なんよ」
「よ、よお! 五辻さんだっけ? 転校って、今までどこのガッコ通ってたん? つか、新しい学校で色々不安っしょ! 俺と連絡先交換しようぜ!?」
「おや……電話番号程度であれば、ええ。構いませんよ。番号は……××××××です」
「よっしゃサンキュー! 速攻登録したわ……え? あの、これ画面メッチャ文字化けしてんだけど……しかもなんか急に大音量でお経流れ始めたんだけど!? ねぇ何これウイルス!?」
東雲四乃と五辻レイ。
突如として転校してきた二人の少女は、朝礼が終わって以降。授業間の休憩時間の度に、クラスメイトの男女に囲まれていた。
多感で平凡でモラトリアムに満ちた、高校生達である。
転校生や新しいクラスメイトとの邂逅というのは、一大イベントであり、ましてやそれが見目麗しい少女達であったとすれば、猶更な話だ。
友誼を、親交を、或いは恋愛感情への発展等といったものを求めて、彼等、彼女等は率先して二人との距離を詰めようとしていく。
そう。これが、転校生が現れるというイベントの、本来有るべき正しい姿の一つなのだ。
つまり──
「……」
僅か一日違いの転校生であるにも関わらず。同じイベントを経たにも関わらず。
相も変わらず周囲に透明な壁でもあるかのように学友達が近づいて来ないのは……純粋に間宮二郷という少年の在り方が悪いという事である。
だがしかし。それでも、二郷が呻きながら机に突っ伏しているのは、自分はぼっちなのに、二人が揃って人気者になってしまいそうで不安だから──等という愉快な理由ではない。もっと切実で、のっぴきならない理由が有るからだ。
そして、だからこそ。理由が有るからこそ、二郷は。
「っだあああああああああっ!! 四乃ちゃん、レイちゃん! ちっと付き合いやがれっ!!」
昼休憩の開始から五分の時点で、我慢しきれずに奇声とともに飛び起き、行動に出てしまった。
和気藹々と会話していた人だかりの中心に向けて、教室の机を踏み台代わりにして跳躍──着地し、雨のように降り注ぐ会話に対応しきれず固まっていた東雲四乃の手を取り、ワルツでも踊る様な軽やかな動きで、その背中に背負う。
更に、突然の二郷の奇行によって固まってしまった他の生徒達の間を、堂々と縫い進み、今度は、別の人だかりの中央で胡散臭い……つまり、いつも通りの微笑を浮かべていた五辻レイを、タンゴの様に力強く右腕で抱きかかえた。
そうしてそのまま、重さなどまるで感じさせない体幹の強さを見せつつ、教室のドアまで辿り付くと。引手に左手を掛けてから、そこで初めてクラスメイト達に視線を向けて口を開く。
「騒がせちまって悪ぃなぁ! なんか二人の体調が悪そうに見えっから、このまま保健室に連れてくぜ!!」
あまりにも唐突な奇行。そして、意味の解らない妄言。それ受けたクラスメイトの殆どは、そもそも理解が追いつかずに唖然として……逆に多少なり理解してしまった生徒は、転校生の一人である二郷への印象が『ヤバい奴かもしれない』という推測から『ヤバい奴に違いない』という確信に変わり、本能的な恐怖によって、とりあえず二郷の言葉に反射的に頷いてしまった。
勿論、善意とは左程弱くはないもので、数名の生徒は、四乃と五辻レイを案じ、声を掛けようとはした。救いの手を伸ばし、制止の口を開きかけて────けれど。
背負われ抱えられた当の二人に、なんら恐怖の色が無く……寧ろ喜色のような雰囲気すら纏っている事に気付き、結局は彼等の善意も押し黙ってしまう。
「やれやれ。相変わらず二郷君は唐突で強引ですねぇ……。ああ、皆さんどうぞお気になさらず。僕は彼の都合の良い女なので、こういうのは慣れっこなんです」
「……心配はいらない。私は、二郷くんに便利に使ってもらえるのが……とても嬉しいから」
「二人同時に致命的な誤解を招くような事言うのやめてくれねぇかなぁ!?」
そして、そんな状況。そんな空気の中で放たれた二人の発言により、クラスメイトの男子からの視線が嫉妬と畏怖に、女子からの視線が軽蔑と恐怖に一気に傾いた事を感じつつ。それでも昼休みの時間は有限である事から──結局、二郷は自分の評判は完全に捨てる事に決めて、そのまま廊下を駆け出したのであった。
────────
辿り着いたのは、校舎一階。その奥に在る保健室。
養護教諭が昼休憩で離席しているその部屋には、消毒液と芳香剤のミントの香りが漂っていた。
二郷は、背負い、或いは抱えて運んできた二人を休憩用の茶色の合成皮のソファーに座らせると、廊下に人が居ないかを確認してから扉を閉め、自身は体調不良者様に置かれているベッドの一つに腰かけ……其処でようやく、大きく息を吐いた。
そして、人二人を抱え全力疾走した事で息切れしているその二郷に、最初に声を掛けたのは、やはりというべきか五辻レイであった。
「はてさて……二郷君。これほど情熱的に僕達を保健室に連れ込んで、一体どんなご奉仕をさせるおつもりですか?」
「ぜぇ……はぁ……いや、しねぇよ。いきなり何訳のわかんねぇ話してんだ」
「ふむ。もしも膝枕ダブルサンドをお望みならやむを得ません。恥じらいつつも従いますよ?」
「膝……っ!? いやいやいや! だから何もしねぇって言ってんだろうが!? つか、なんだよその特殊性癖は! テメェは一体、俺をどんな奴だと思って────」
「……放っておいたら、危ない場所に自分から走っていく人」
「んぐっ!?」
常であれば、勢いに任せて進めてしまうような会話であったが、その途中で平坦な声色の四乃の言葉に的確に遮られた事で、思わず言葉を詰まらせてしまう二郷。
四乃は、そんな二郷の瞳を無表情にじっと眺め見ながら言葉を続ける。
「……二郷くんが、私と五辻さんを何の目的でここに呼び出したのかは、推測出来る。『危ないから、解決するまではやはり高校に登校しないで欲しい』と、私達にそう言う為」
運ばれるときに二郷の体に振れ、今も制服に残っている体温を逃がさないように、自身の胸元に手を置きながら、確信を持って告げた四乃。その言葉を聞いた二郷は、驚いたように眼をしばたかせつつ返事をする。
「お、おう。察しがいいじゃねぇか、四乃ちゃん。けど、そうやって察してくれたなら、解ってくれるよな? 俺は二人には……」
「──おやおや? 二郷君は一体、その先何を仰るつもりなんでしょうか? 昨晩、僕達と『約束』をしたというのに……まさか、たった一晩で其れを反故にする、なんて事はありませんよね?」
「ぬぐっ……!」
四乃がその洞察力で推測した二郷の要求に対し、なればとそれを好機と判断し、情にも訴えつつ説得を試みようとした二郷であったが……しかし今度は、ソファーからぬるりと立ち上がり、自然にベッドの右隣に座りこんだ五辻レイの耳元での言葉が、白檀の仄かな香りと共に、絶妙なタイミングでそれを阻害する。
妙に息の合ったコンビネーション。そして……五辻レイが口にした『約束』という言葉。
それを聞いて間宮二郷が思い出すのは、昨晩の出来事。
────────
昨晩。三那の団地から帰宅して、東雲家別邸のドアを潜った間宮二郷。
彼が、玄関先で目撃したのは
無表情のまま、手にスタンガンを構えた東雲四乃と。
不気味な微笑を浮かべながらそれに対峙する、五辻レイの姿であった。
あまりに予想外の光景に、二郷が慌てて二人の間に割って入って事情を聞けば──その諍いの理由は、やはりというべきか間宮二郷を起因とするものであった。
五辻レイが二郷に、わざわざ蟲女──【ツリクイ】に関する情報を教え、危険地帯である高校に誘うような真似をした事。それを四乃が知り、二郷に対する害意と判断し、問い詰めた。
その際に五辻レイの方も、助けられない事を後悔する人間を、愛玩するように目を塞いで囲い込む事こそが加害なのだと言い放ってしまい、結果として、意見の相違が拗れ、物理的な対立になりかけていた……と、纏めれば、そういう訳なのだという。
「……私は二郷くんに生きていて欲しい。悲しくても、辛くても、後悔をしても。それでも、穏やかに生きて欲しい。欠けた場所は、私が私の全部で埋めるから。だから……二郷くんを危険な所に導くのは。命を危険に晒すのは、許せない」
「見解の相違ですねぇ。二郷君は、化物から助ける事が出来たかもしれない命を自身の幸福のために見逃してしまったと知れば、取り返しがつかない程に後悔するような人間でしょう。貴女の語るそれは、ただの飼育ですよ」
言葉の応酬。二郷がとりなしても尚、二人の敵意は消え去らない。
バチリと鳴らされたスタンガンの電気の音と、仮面の欠片に触れる細い指……まさしく、一触即発の状態。
そんな、自身の為に二人の少女が衝突しているという……《《そんなくだらないもののために》》争っているという事態に混乱した二郷は、正しい対処が判らないが故に、つい、それこそ漫画の主人公が場を宥めるときの様に、こう言ってしまったのである。
「だあああっ!? 二人とも頼むから、ンなつまんねぇ《《どうでもいい》》理由で口論しねぇでくれ! ほら、不満が有れば俺が何とかすっからよ! 何でもするぜ! 聞いて解決してやる! 約束する! な? だから仲直りしようぜ!?」
恐らく、それは正解の言葉だったのであろう。『言葉だけ』は、確かに正解であった。
この世界が現実ではなく、普通の少年漫画の世界で、間宮二郷が、何もかも安心して任せることが出来る絶対無敵の最強の主人公であったならば、の話だが。
「……」
「…………」
二郷の言葉を聞いた直後。暫しの間、無言で……いつもの無表情と微笑で、二郷を見つめた二人。いつも通りの表情だというのに、けれど何故かその視線に、言いようのない──怪異と対峙した時とは異なるタイプの悪寒を感じた二郷であったが、
「……分かった。ごめんなさい、五辻さん。私は言い過ぎて……間違っていた」
「いえいえ、僕の方こそ申し訳ありませんでした。少々、軽挙妄動が過ぎました」
それでも、二人の少女がお互いへと向き直り、互いに頭を下げた。
その光景を目にした事で、事態の収束を確信し、安堵してため息を吐いた。しかし
「……そう。私は間違っていた。これは、駄目」
「そうですねぇ。ここまで自覚が無いとは、僕としても予想外でした。であれば、僕達がするべき行動は、『此れ』ではありませんでした」
「……あン?」
続く会話の不穏さに、何故か二郷の本能が警鐘を鳴らす。しかし、少年漫画のホラー作品で鍛え上げられた情緒では、悲しいかな決して答えに辿り着く事が出来ない。
そうして、二郷の愚かな発言によって言質を取った二人の少女は言葉を続けた。まるで先程の衝突など無かったかの様に。いっそ仲良くすら見える程に息を合わせて。
「──それでは二郷君、お言葉に甘えて、早速『約束』をしていただきましょう。僕と四乃さんは、二郷君の願った通りに、仲直りをしたんですから。願いを、叶えたんですから」
「……だから、二郷くんが関わっている怪異について、私達に洗いざらい全ての情報と……これからの行動を共有すると『約束』して欲しい。全部。嘘をつかずに」
つまるところ。これは意見の衝突以前に存在して居る問題を見つけ、二人の少女が呉越同舟と相成ったという話である。
「僕達が仲良くする為に『約束』してくださいね」
「……喧嘩をしないよう努力するから、『約束』してほしい」
────────
それが、昨晩の二郷の記憶。昨晩の二郷の失態。昨晩の二郷の失言である。
「約束、なさいましたよねぇ?」
「……二郷くん」
保健室のベッドの上で、真横から耳にかかる五辻レイの吐息と、伝わる体温。真正面からじっと向けられる、東雲四乃の視線。
二人の穏やかな『確認』を受けて……二郷は、右手で自身の髪をガシガシと掻きながら、答える。
「っ……そりゃあ、約束はしたぜ? したさ! したけどよぉ……けどまさか、昨日の今日で転入して来やがるなんざ思わねぇだろうが!? どんな行動力だよ!?」
昨晩は、圧力に負けてやむを得ず二人の要求を呑んだ二郷であったが、実の所、その時点では今ほどに深刻に状況を考えていなかったのだ。
何せ、転校とは一大イベントである。準備も含めて、転入するまでには一月は掛かるであろうと、そう踏んでいたのだ。それだけ時間があれば、【ツリクイ】への対応は終わっていると、そう思っていたのである。
それが蓋を開ければ、四乃は躊躇いなく実家のコネと権力を使って二郷と同じルートで裏口から。五辻レイは、中学の頃に教室に紛れ込んでいたのと同じ要領で、特殊個体として残っている人間操作の能力を用いて。一月後どころか翌日に、無理矢理転校してきたのだ。
それは、二郷にしてみれば青天の霹靂も良い所であった。だからこそ、呻くようにして二人に訴える。
「昨日も言ったけどよぉ、【ツリクイ】ってのはヤベェ化物なんだぜ? そいつが何匹も混ざってる教室に二人が座ってると、今にも襲われちまうんじゃねぇかって……そう思って、気が気じゃねぇんだよ。さっきの授業中もずっと、緊張で心臓が変な動きしてたくれぇだ。 つまりだな……俺はただ、二人には安全なとこに居て欲しいんだよ。だから、今は学校に来て欲しくねぇんだ。わかっちゃくれねぇか」
けれど……そんな二郷の願いに対して、東雲四乃は追従することなく、言葉を返す。
「……ごめんなさい。ありがとう。けれど、同じ気持ちを……私達も二郷くんに感じている事を、二郷くんにも知って貰えると……嬉しい」
「──っ」
無表情で淡々とした声。しかし、その中に混じる喜びと申し訳なさ。
それは、あまりにも簡素で明朗で、そして正しい反論であった。
二郷が四乃と五辻レイを心配しているのと同じように……二人が二郷を心配しているというのは、少し考えれば判る、余りにも当たり前の事だからだ。
そんな当たり前の事に気が付けない人間など、それこそ、人数を数える時に自分を含めないような、愚か者くらいであろう。
口を噤んだ二郷に対して、真横で彼の耳たぶを指で弄りながら、今度は五辻レイが、いつも通りの仮面の様な微笑を崩さずに囁く。
「それに、前提として……二郷君。『僕達』がその【ツリクイ】に襲われ辛いであろうという事は──そして、僕達が居た方が、事態の解決がスムーズに進むかもしれない事は。昨晩三人で相談して判っているじゃないですか。そうでなければ、そもそも二郷君は、約束すらしてくださらなかったでしょう?」
指先に四乃の視線が向けられた事に気付きつつも、五辻レイは二郷の耳たぶに自身の体温を染み込ませようとでもしているかの様に、指の動きを止めない。
「僕はそもそも『化物』です。四乃さん──正確に言えば、四乃さんの『右眼』は、僕を忘却しない程に【モリガミサマ】の強い残滓を残しています。だからこそ、人間と入れ替わる【ツリクイ】程度では霊的な干渉は出来ない。成り代わるなんて不可能。そうですよね?」
「……ああ、そうだ」
首だけを動かして五辻レイの指から耳を逃しながらも、彼女の言葉自体には同意する事しか出来ない二郷。
【ツリクイ】が入れ替われるのは、あくまで何の力も無い人間だけ。入れ替わる容器の形が異なれば、壊れるのは【ツリクイ】の方だ。それは、論理的にも────そして、二郷が知る『さかさネジ』の記載内容としても、正しい。だからこそ、二郷は【ツリクイ】は【スイガラ】級の脅威とまでは見做していない。しかしそれでも。
「けどな。例えば……俺達が連中に暴力を振るえるみてぇに、連中が俺達に暴力を振ってこない理由はねぇんだぞ?」
絞り出すような、少し震えの混じったその声を聞いて、ソファーから立ち上がり、二郷が座るベッドの横……五辻レイと反対側の位置へと静かに腰かけた東雲四乃が、体を傾け肩を触れさせながら言葉を返す。
「……だからこそ。被害が増える前に、敵が増える前に、対処出来る内に。絶対に信頼できる人員を使った人海戦術で、隠れている相手を即座に見つけ出すべき。……安心して。今の私は『眼』がいい。それに今は、本当に怖い時や危ない時は逃げる事が出来る……その上で、私には私の頼れる主人公がいてくれるから」
追随するように、二郷の手に自身の指を絡めながら五辻レイも口を開く。
「それに、人に成り代わる側の手口なんていうものは、僕が知り尽くしていますので。多少の畑違いが有るとはいえ──弱体化しているとはいえ、同業者に後塵を拝するつもりはありませんよ」
そうして。保健室のベッドの上で、左右に二人の少女の体温を感じながら、至近距離で懸命に説得された二郷は────
「……ぐっ……っだああああっ!! わかった! 分かったよ! 認める! 二人が居た方が、確かに隠れ腐ってるうんこ垂れの【ツリクイ】を見つけ出すのは効率が良い! 凄ぇ助かるっ! 俺が意固地になってた! すまねぇ! 悪かった! あんがとよ!」
とうとう折れた。天を仰ぎ、やけくそのように声を出しながらも、二人が居た方が助かると、言葉を以てそれを認めた。ブツブツと、「潮さんも鵺野先生も耳雄さんも女の子には助けて貰ってるから、多分セーフだよな」等と呟いているが、ホラー少年漫画の主人公の名前を持ち出している辺り、それは間宮二郷としては最大級の肯定と見て良いだろう。
やがて、気を取り直した二郷は、立ち上がり、未だベッドに座っている二人へと向き直ってから声を掛ける。
「……そんじゃあ、アレだ。決めた以上は明日からにでも作戦を始めんぞ。内容は……まあ、怪しいと踏んだ生徒に質疑応答したり、ストーキングしたりして、人間かどうかを見定める。化物ってラインが濃厚になったら、肉体言語の出番だ。悪ぃけど、頼りにさせて貰うぜ?」
一息に言い切って、二人に向けて両手を伸ばす二郷。
四乃と五辻レイは、互いに一度視線を交差させてから、一拍置いて表情をそれぞれ僅かに緩ませて言葉を返し、その手を握り返していく。
「……ありがとう、二郷くん……今度は少しでも役に立てそうで、嬉しい」
東雲四乃はそっと二郷の右手を掴んだ。
「僕は二郷君の便利な女ですので、それはもう遠慮せずに使っていいですよ? 使い道も指定しませんので」
五辻レイは絡めるようにして二郷の左手を掴んだ。
『 あし あああ あし ほし あああし ひひ にこ ほし かるかるかる あし 』
ベッドの下に潜んでいた、全身に無数の人の顔の皮を縫い付けられた姿の、皮膚と頭部が存在しない男は、力強く二郷の左足を掴んだ。
「……。ひ、うぎひいいいいいいいいいい!? ななっ、なっ、なんだテメェ!? いきなり何なんだよこの化物は!? 離しやがれこのウンコ垂れがああっ!!」
必死に足を振って掴んでいた手を振り振りほどき、四乃と五辻レイ、二人の手を引いて抱きかかえ、大きく跳躍する二郷。
保健室のドアの所まで移動して振り返り見れば、ベッドの下の男は、芋虫のようにゆっくりと床を這って二郷の方へと向かってきている。
「おや。やはり半端に強力な化物が居る事で、この高校もあの中学と同様に、同類が集まってきているようですねぇ」
「……都市伝説の『ベッドの下の男』。『隙間女』……でも、容貌が一致しない。妖怪の『ぬっぺふほふ』と『百目』を合わせたような……、一番近いのは、Y宮市の『かおくちさん』の伝承……かもしれない」
「ぐがああああっ!? 畜生、ホラーのテンプレかよ! ドアが開かねぇ!! つか、何でお二人さんはそんなに冷静なんですかねええええ!?」
即座に涙声になってドアをガタガタと揺らしている二郷の叫ぶような問い掛けに、二人は当たり前の様にして首を傾げる。
「……此処に、二郷くんがいてくれるから」
「二郷君は、僕を見捨てると胸糞が悪くなると信じていますので」
「……。畜生っ! わかったよ! やるよ! やってやんよ! クソ! 何処にいやがんだ主人公! テメェいつか出てきたらラーメン死ぬほど奢らせてやっからなああああ!!!?」
向けられた絶対的な信頼と、眼前に迫る化物の恐怖。
その板挟みとなった二郷は、もはやヤケクソとばかりに、装備を取り出す。
学生服の下の両腕にジャラジャラと巻かれた数珠を鳴らし、十字架のペンダントと三日月のペンダントをシャツをはだけ露にし、ポケットに仕舞っていた巻いた鉢巻きを頭に巻き、其処に経文と神道のお札を挟む。
左手には小型の水晶玉、右手には保健室に設置されていた消毒用エタノール。掌には、マジックで書かれた蛇の目模様を書き込んだ。
全身の怪しげな霊能グッズ。いつもの変態装備を纏って、間宮二郷は突貫し、四乃と五辻レイは、二郷に押し付けられた予備の除霊グッズを持って援護をする。
幸いだったのは『かおくちさん』が物理攻撃が通用するタイプの化物であった事で、二郷が水晶で殴打し続け、四乃がエタノールスプレーを吹きかけ、五辻レイが経文でしつこく叩いていたら、『塩』を使うまでもなく、昼休みが終わる頃には除霊出来た事。
不運なのは、そのせいで保健室が滅茶苦茶に散らかり、養護教諭に激怒され、放課後に三人揃って保健室の掃除をさせられる事になったという事。
「間宮ー。お前、転校生の女子二人を保健室に連れ込んで、抵抗されたから暴れたって噂になってるぞー?」
「違う……違うんすよ……本気でぇ」
「うんうん、先生は間宮を信じてるからなー」
そして最悪なのは、先日の三馬鹿撃破の件も相まって、学内での二郷の評判がアンタッチャブルなものにまで下がったという事。
笹島三那の励ましを背に受けて、二郷はとぼとぼと、放課後の保健室に向かったのであった。




