魔法の言葉
守ってみせる。
力になる。
そんな間宮二郷の言葉を受け、呆然とする笹島三那。
彼女の人生において、守るなど。力になるなど。誰からも言われたことは無かった。
妹を守る姉として、生徒を守る教師として、病の親を支える子供として。
生来の不器用も相まって、三那はいつも誰かを支える側の人間だった。
そんな三那だからこそ、自身の両手を包んだ二郷の掌の熱が、頬に移っていくように感じられ……しかし。
「はは……間宮。お前、こんな状況で大胆だなー。けど、その齢から異性にそんな接し方してると、何時か刺されるぞ。この女誑しめー」
積み重ねて来た人生経験。そして教師という立場により、三那は意図してその熱に蓋をする。そうして、二郷の掌に包まれていた自身の手を少しの躊躇いの後に引き抜くと、隠すようにして自身の太腿の間に挟み込み、二郷に大人らしく注意をした。したのだが……。
「……は? 接し方って何の事だよ?」
「おいおい、看破されたナンパ方法を続けるのは悪手だぞー?」
苦笑しながらそう言った三那に対して、二郷は首を傾げつつ、至って真剣に言葉を返す。
「いや、先生。俺は今、真剣な話をしてんだ。なのに、いきなしナンパとか訳のわかんねぇ事を言わねぇでくれねぇか」
「……あえ?」
返って来た二郷の反応。その余りの淡白さ──伝わってくる下心の無さに、思わず呆けた声を出してしまう。
彼女が、二郷のこの反応を予測できなかったのは、仕方のない事だといえよう。
実際、普通の男がこんな言葉を真剣な表情で吐くのは、それこそ演劇の舞台か、ナンパの場面か、もしくはホストの職場くらいのものだ。
しかし重ねて言うが、この少年は間宮二郷なのである。常々言われている通り、良い意味でも悪い意味でも、ホラー漫画で情操教育を終えたような異常者なのだ。
彼が前世の『青年』であった頃は、化物が視えてしまう事で、そもそも周囲の人物とのコミュニケーションが崩壊していた。『間宮二郷少年』としての記憶に関しては、重く暗い、いじめの記憶に塗り潰されている。
故に、二郷の対人関係の土台は少年漫画のホラーアクション作品しかないのだ。それらのアニメや漫画の描写こそが、唯一の良い物として。規範として。人格形成の軸となってしまっているのである。
「茶化して怖ぇ事から目を逸らしたくなる気持ちは分かるぜ。俺も死ぬほど怖ぇ……だけど、今だけは俺を信じてくれ。先生が信じてくれるなら、俺も逃げずに踏みとどまれる」
その結果として出来あがったのが、この人格。とうの昔に恐怖に折れているにも関わらず、蒼白になり震えながらも、それでも何とか必死に目の前の女性を助けようとする、正義の主人公のなり損ない。
そんな男の発言を、ただの教師の三那に予測しろというのが、無理な話なのである。
「えー、あー……わ、わかった……分かった、私が悪かった」
結局。二郷の言葉に裏が無く、その言葉が全てただの本心である事を察した三那は、二郷の眼を見る事が出来ず、窓からまだ夕焼けの赤が薄く差し込み、自身の顔色が相手に伝わらない事に感謝しながら、謝罪する。そして……大きく深呼吸をして、求める。
「……うん。それなら。間宮がそこまで言ってくれるなら、信じるぞ。信じるさ。どのみち、私が頼れるのは、もうお前しかいないんだからなー……だから、頼む。聞かせてくれ。間宮が知ってる、『人攫い』の正体を。その【ツリクイ】とかいう化物の正体を」
助けを求めてくれた三那のその問いに。真実を欲する願いに。間宮二郷は、一度緊張から唾を飲み込んでから、それでもはっきりと頷き、その口を開いた。
「これは、俺が読んだ漫画……じゃねぇ。その、あれだ。なんかの文献に書いてあった話なんだがよ────」
────────
【ツリクイ】
『さかさネジ』二十二話に登場するその化物の話は、とある高校の男子生徒の目線から描かれていた。
その根暗な男子生徒は、中学からの同級生である、同じクラスの髪を金髪に染めた少女に恋をしていた。けれど、その少女の周囲には、同じように派手な雰囲気の男子生徒達が何時も、何人も居て、男子生徒は少女に声を掛ける事すら出来ず、煩悶とした日々を送っていた。
当然の事ながら、自ら行動を起こさないが故に何事も起き無い日々は続き……しかし、ある雨の日に転機が訪れる。
男子生徒は、下校時の道端──ゴミ捨て場の真横で、蹲っている少女を見つけたのだ。
少女は、男子生徒が声を掛けてもまともな反応を見せず、大きな声で『助けて』『火事です』『人殺し』等と、人間の興味を引くような言葉をしゃべり続けるだけで……何より、その眼が昆虫のような複眼になって、すっかり変わり果ててしまっていた。
だが、少女に恋をしている男子生徒には、その体格が、声色が、臭いが、変わり果てても確かに少女のものであると直ぐにわかった。
────だから、少年は少女を持ち帰った。
保護しているのだと自分に言い聞かせ、蟲人間と化した少女の飼育を始めたのだ。
それからその男子生徒が何をしたのかは、作中では描かれていない。
だが暫くして、幸福を満喫していた男子生徒は、とあるクラスメイトから声を掛けられる。
『君があの子を飼ってくれていたんだね。ありがとう────次は君の番だよ』
そう言ったクラスメイト……確かにクラスメイトである筈の『少女』。元々は金髪の少女が座っていた席に、いつの間にか当たり前に座っていた『少女』に対し、言い訳をしようと男子生徒が口を開くと、『少女』は突然、男子生徒の口に何かを放り込んだ。
するとその直後。まるで、どこかから押し出されたかのような感触がして、男子生徒はそのまま気を失ってしまう。
そうして、夜を迎えた頃に男子生徒は夜に目を覚ました……目を覚まして、すぐに気付いた。
自身がおかしくなっている──脳そのものが退化でもしたかのように、思考がまともに出来なくなっている。それに加えて、視界もおかしくなっている事に。
突然の事態に、それでも下がった知能で必死に、助けを求めなくてはと考えた結果、大声で叫び、騒ぎ、走り回り始め……そのまま何日も彷徨った果てに。幸運にも、そんな男子生徒に語りかける声があった。
『アンタ、○○だよね……その姿どうしたの? つか、なんで叫んでるの?』
知能が低下した男子生徒は掛けられた言葉の意味すらわからず、それでも縋るようにして、警察を、事故です、救急車……等と、気を引く為の言葉を闇雲に叫び続けていた。
眼前の声の主は、暫くの間、困惑した様子で男子生徒を見つめていたが……やがて何かに気付いたかのように笑顔を浮かべると、こう言った。
『良く判らないけど、大変なんだね。大丈夫。安心して。あたしが保護してあげるよ』
……そうして。物語の最後の場面は、男性教師がクラスの生徒達の出席確認をしている場面で終わる。
並んで座っている生徒達の内、四人は、顔が黒く塗り潰されていた。
────────
「──とまあ、そんな具合の物語……じゃなくて、文献に書いてあった出来事だ」
二郷は話を区切ると、語っていた最中の恐怖を抑え込むようにして麦茶を仰ぎ飲む。
そんな二郷に対し、三那は暫し考えるような様子を見せていたが、それでも確認するようにして口を開く。
「……随分と、物語染みてるのが気になるけどなー。つまる所、『人攫い』──【ツリクイ】は、人を乗っ取る化物だと考えればいいのか?」
「応。その認識で間違いないと思うぜ。そうだな、わかり易く説明するなら……」
二郷は、周囲をキョロキョロと見渡すと、机の上に置かれているお茶請けのミニ羊羹のビニール袋を二つ手に取った。
「……おい間宮ー。羊羹は一人一つだぞ。察してると思うが、ウチの家計は火の車だからな」
「食うんじゃなくて説明に使うんだよ。 何なら後で代金出すから黙って見ててくれ……まず、こっちの普通の羊羹が普通の人間。そんでこっちの芋羊羹が【ツリクイ】だとするだろ?」
二郷は、二つの羊羹の包装を指さす。
「包装が肉体で、中身の羊羹が……いわゆる魂的なモンだと思ってくれ。普通の場合は、包装と中身は一致する。中身が違ってるなんて事はあり得ない。もしも中身が違ってンなら、生産時にエラーがあったか、誰かが封を切って中身を入れ替えるくらいしか方法はないよな?」
「……まあ、そうだなー」
「【ツリクイ】ってのは、その両方をやる化物だ」
二郷は二つの羊羹を開封して、小器用にその中身を入れ替えてから、切り口を綺麗に折りたたみ、まるで最初からそうであったかの様にして机に置く。
「獲物の魂を無理矢理押し出して、テメェの化物の体と入れ替えてから、元々『そう』だったみてぇに見せかけて封をする。出来上がるのは、蟲の化物の中身が入った人間と、蟲の化物に入れられた人間だ。勿論、薄汚ねぇクソ怪異の【ツリクイ】のガワはこんな立派なモンじゃねぇけどな」
「いや……待て。……待ってくれ間宮」
そこまでの説明を聞いた三那は、蒼白になりながら震える手で二郷の腕を掴んだ。
「なら、それならだな……私が必死に探しても、入れ替わった偽物が見つからなかったのは……」
「【ツリクイ】のクソボケが元の生徒の皮を着てやがるからだ。立ち位置を乗っ取って、中身が違うのに生まれた時からそういう奴だったって認識させちまう。『この羊羹は元から芋羊羹として製造されてます』ってな。……俺達みてぇな『視える』奴でも、かろうじで何かが違うって思うのが精いっぱい。視えない奴にはそもそも別人と認識できねぇ。全く以て厄介な性質の化物だぜ」
語られるのは、あまりにも荒唐無稽な与太話。だが、二郷が嘘を付いていないという事は、教師として生徒達を見守って来た三那にはよく判る。
むしろ恐怖に震え、蒼白になりながらも、不安を見せないように語るその姿は……クラス内のいじめを告発する子供に重なり、語った言葉がどうしようもなく真実である事を告げていた。
だからこそ、縋るように尋ねてしまう。
「なあ。なあ間宮。どうして……その【ツリクイ】はそんな真似をするんだ? 何か理由があるのか? 確かに、素行不良の生徒達だったが、肉体を奪われる罰を受ける程悪い子達じゃないんだぞ……? なんで、何の利益が、目的があってこんな不条理な真似を」
「それは……多分、理由なんてねぇんだよ」
三那の言葉に、しかし二郷は苦虫を噛み潰したような表情で、そう返す事しか出来ない。
【ツリクイ】がなぜそのような……人間と自身の中身を入れ替える様な行動を取るのか。その答えは『さかさネジ』の本編やその巻末解説にも書いていなかったからだ。
「そもそもの話だ。俺が知ってる限り、化物とか怪異とか幽霊とか悪魔とか、そういった連中とまともな意思疎通取れたことなんて一度も……いや、殆どねぇし、その中で人間の倫理観に多少なり理解を示してくれた奴なんざ、知る限りでもたった一人だけだ」
何時ぞやの記憶を思い返し、自身の口元を無意識に指の腹で拭ってから二郷は続ける。
「そういう化物だから。そういう存在だから。だから、そういう行動をする……怪異への理解なんてそれで十分だ。損得交渉相互理解。そんなものは、端っから不可能と思ってた方が良いぜ」
はっきりと言い切る二郷に対して、俯いてしまった三那。
そうして時計が二週ほど秒針を巡った後……彼女は、とうとう一番聞きたい質問を。一番聞きたくなかった質問をする事を決めた。
「……間宮。相手に交渉の意思も目的も無いなら、じゃあ、それじゃあ、あの子達はー……私の生徒達は、もう助からないのか? 化物になってしまっていて、この後も何処かでずっと化物として過ごしていくしかないのか……?」
当然の質問だ。行動それ自体が目的であるのなら……交渉を目的としているのでないのならば。
元に戻す手段などというものを、残しておく訳がない。
「は──さっきも言っただろ。無かった事になんざさせねぇって。大丈夫だ、俺に任せてくれ」
けれど。だがしかし。
笹島三那の震える声を、纏う絶望を吹き飛ばす様に、間宮二郷は彼女の肩を掴んでそう言った。
「敵の化物の正体が割れてるなら、俺みてぇなモブにも策が練れる。……よく考えてみようぜ? 入れ替えられた生徒が知能を失うなら、その逆に、入れ替わった【ツリクイ】は、知能を得てるって事だろ? なら、人間の言葉が通じるってことだよな?」
「それは、そうだがー……さっき、化物にはまともな倫理観なんて無い。交渉なんて出来ないといったのは、間宮だろう……?」
二郷の発言の矛盾に困惑する三那。
言葉が通じようと、会話が意味を成さないのであれば、交渉する事等出来る訳がない。当たり前にそう考えての反論であったのだが……。
「いいや、出来ンだよ。たった一つだけ、どんな相手とでも成立する魔法の言葉が人間にはあるからな」
「魔法の、言葉……? それは……経文とか、聖句とか、祝詞とかの話かー?」
「いんや、違う────」
自身の恐怖を覆い隠す為。三那を安心させるため。【ツリクイ】への深い怒りの為。
元の目つきの悪さとの足し算の結果、少年漫画の主人公であれば絶対に浮かべない……どちらかと言えば悪役が浮かべるような笑みを浮かべながら、二郷は断言する。
「魔法の言葉ってのは、肉体言語────つまり、暴力だ」
「うぇ?」
表情に加えて、その発言もあまりにバイオレントであった事で、思わず固まる三那。
そんな三那に……否。自分自身に言い聞かせるように、二郷は続ける。
「見つけ出した【ツリクイ】のゴミカスを、もう人間で居るのが嫌だって泣くまで、自分から消えちまいてぇって思うまで、暴力を振るうんだよ。肉の体を手に入れたなら……手に入れちまったなら、必ず──生き物としての恐怖が有る筈だからなぁ!」
「っ……」
あまりに躊躇わず、余りに当たり前のようにそう言う二郷に。その瞳に浮かぶ、恐怖を塗り潰すための狂気の色に。思わず震える三那。
(怖い……なのに、それ以上に)
────頼もしい。
本来、教師としては生徒が暴力に頼んで事を成そうとする事を窘めるべきなのだろう。それはダメな事だと、諫めるべきなのであろう。
だが、五里霧中の絶望の中で、たった一つだけ輝いている、濁った希望の炎。
それを手放せる程に、笹島三那は強くはなく。
「……それで、私の生徒達を助けられるのか?」
「おう……学園物ホラー漫画で、主役の教師がピンチの時に、モブの生徒が主役を張って必死にあがいて逆転する展開。王道だろ?」
「生憎と、私は漫画は読まなくてなー……だけど、そうだな。私と生徒達を苦しめた化物が痛い目を見るのは、爽快かもしれないな」
けれど、倫理に縛られて、生徒を見捨ててしまう程には弱くはなかった。
「ところで間宮ー、お前の考えは分かったけどなー。そもそも、【ツリクイ】が成り代わった生徒はどうやって見つけるつもりなんだ?」
「あー……一人一人どっかの教室に連れ込んで、ボロが出るまで尋問するってのはダメだよな?」
「それをやったら私は警察行きだし、間宮は少年院行きだなー。よーし、先生ともう少し頭を使って考えようかー」
「……いやいや、流石に冗談だぜ? 先生? バイオレンスが売りの押切作品のキャラだって、いくら何でも無関係なキャラへの暴力はしな……してたなぁ」
かくして。笹島三那のアパートでの、化物へ抵抗するための二人だけの作戦会議は続いた。
それは日が暮れ、三那の母が居る部屋から呻き声が聞こえてくるまでの時間の話。
笹島三那にとっては、本当に久しぶりの夕闇の先に心が沈まない日暮れであった。
……そして、その後。
帰路にて、騒がなければ無害だと三那が告げていた無数の『黒い人影』に、何故か追われる事となり、泣き叫びながら全速力で東雲邸へと帰宅した二郷。
邸宅の門を潜った段階で、息を切らしながらも彼は思っていた。
【ツリクイ】は確かに恐ろしい化物だが、それでも【モリガミサマ】よりどうしようもない化物ではないと。
吐きそうな程恐ろしくはあるが、それでも、事前情報で相手に勝る以上、立ち向かう余地はあると。戦術を練り作戦を詰めていけば、ある程度の余裕を持って対処が可能であると。
まだ明りが付いている別邸の玄関の扉を開いた時点では、そう思っていたのだ。
あまりにも、愚かにも。
────翌日。公立四ツ辻高等学校。一年C組の教室にて。
「……東雲四乃。病気で登校出来ていなかったけれど、今日から復学する」
教卓の前。机に座る生徒達の眼前に立ち、無表情に淡々と名前と来歴だけを告げる、長い黒髪と白い肌……そして眼帯が特徴的な、蛍の様に儚く美しい印象の少女。
「やあやあ、初めまして。僕は転校生の五辻レイと言います。学友として皆さんに顔を覚えて頂けるよう、一日一日、笑みを振りまいていくので、仲良くしてくださいね?」
仮面のような胡散臭い微笑を湛え、友好を求める、割れ砕けた笑顔を模した仮面の一部をアクセサリーのように頭に乗せている……まるで夜の沼のように、どこまでも引き込まれるような美しさを持つ少女。
「あー……よし。自己紹介は済んだな。まあ、そこの二人の言葉の通り……なんか、今朝、校長から急遽の通達があってなー。間宮に続いて、今日からクラスメイトが増えるぞー」
朝の職員会議にて、急遽、蒼白な顔をした校長から新たなクラスメイトを押し付けられ、困惑しながらも生徒達に紹介する笹島三那。
「……ぐぎぃ……」
そして、可憐な少女が二人も学友に追加される事実にざわめく教室の中。その状況に突っ込みを入れたくても入れられない事情があるので、机に突っ伏して唸る事しか出来ない間宮二郷。
予定通り。計算通り。計画通り。
結論だけ言えば、そんな二郷の作戦だの戦術だのといった浅はかな考えは、僅か一晩で崩壊していたのであった。




